詩誌案内

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アリゼ
詩誌「アリゼ」創刊1987年  代表・以倉紘平
発行所 〒661−0002 尼崎市塚口町6丁目26-2 
2003年1月現在 92号 隔月刊

オフセット印刷、縦21p横18p  平均60ページ 
アリゼ(Ies alizes)はフランス語で貿易風の意。命名は詩学社のオーナーであり詩人の今は亡き嵯峨信之先生。創刊当時10数名だった同人もいまや30名となった。それぞれ個性的な書き手ばかりだが、発表の場を求めてアリゼに集い合ったのは、縁としか云いようがない。
 編集にさしたる特色はない。詩作品が主で、作品の掲載は逆回りの50音順が原則だが、原稿到着順のときもあり、順不同の大らかさ。
 「船室」「船便り」は散文である。寄稿者や同人のエッセイの頁である。豊崎美夜のエッセイを好評連載中。。

 創刊同人の吉崎みち江、丸山真由美、前田経子、加えて今村清子、梓野陽子らが、主要メンバーとなって校正、発送などに当っている。会計は柳内やすこ。長年にわたって順調に発行を続ける事が出来たのは、こうした同人たちの努力のお陰と思いたい。
2002年度の同人の詩集刊行は、6月に柳内やす子『地上の生活』(土曜美術社出版販売)10月に前田経子『ねじ花抄』(湯川書房)がある。
(アリゼの会・編集部)                                               2003年3月更新

 

Ilya(イリヤ)
創刊2007年7月14日
年二回(夏7月・冬1月)発行予定
同人は左子真由美、佐古祐二、尾崎まこと
キャッチ・フレーズは「美味しい詩・イリヤ」
各号にゲストを迎え、創作はもちろん生きる上でのヒントと刺激になるような
一文を掲載いたします。
左子・佐古・尾崎、それぞれが「愛の詩学」「命の詩学」「存在の詩学」というように、詩的ポジションを異にしながら、ヒューマンな志においてひとつであるような
開放的で奇妙な同盟です。
「ささやかですが/今/あるということの不思議から/ かけがえのないあなたへおくる詩を/はじめてみたいです」…という左子の創刊の言葉をいつまでも大切にします。
同人という枠を超えて、詩歌という方法による「人間と時代の希望」を素手で探り、みなさんとの連帯を図っていきたいと思います。また楽しい、「ウエブ版イリヤ」もありますのでこちらもどうぞ。
発行所 〒583-0872 大阪府羽曳野市はびきの1-7-2 米田方 尾崎まこと
「ウエブ版イリヤ」                                
2007年11月更新


 

歩く木

創刊 1994年9月1日 横長変形 ワープロ 10頁前後(印刷・片沼)
発行 歩く木 編集委員会 (代表者なし)連絡先は境 節さんへ
同人 7名 片沼靖一・境節・清板美恵子・高田千尋・原鈴子・へたのゆう・行田博美。
 1995年秋・倉敷芸文館ホールで谷川俊太郎氏を招いて作家小川洋子さんとの対談と境節・清板美恵子の詩朗読、谷川氏の朗読、四人のトークを「歩く木」の企画で行った。毎年二回児島文化協会に任意で参加し詩画を出品。
 児島で詩の同人誌を出したいと片沼氏が切望、ほとんどの同人が他の同人誌に入っていたが賛同した。詩が書きたい人の集まり。詩が好きという一点で、自由さが特色かも知れない。なお、12号から定岡久美さんが同人参加している。近く15号が発刊の予定(境節)
                                            2003年1月更新

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KAIGA〔絵画・改題〕

創刊 1975年9月(金高義朗・編集発行)1977年2月より原口健次が代表となり、32号(1988年6月)以降「絵画」より「KAIGA」に誌名を変更する。
ホームページ 2003年8月末開設
グループ絵画の「グループ」の意味は、一人一人が集まって一つのものを作るということです。
趣旨 ことばという絵具で、ぼくたちの自由な個性をおもいきり原稿用紙に塗り潰していく。そこには新たな小宇宙が、新次元が誕生することだろう。それが、「絵画」の趣旨である。
現在の主な寄稿者は、秋平総祐、上田忠明、及川徹、金高義朗、久保田つかさ、河野晋平(故人)、島田喜光、勝賀強、谷澤理衣、原口健次、理久創司。(文責・原口健次)
                                      2004年1月1日更新
 


 

海陸風
 創刊  1998年4月1日。季刊。2000年春までに7号発刊。A4版コピー印刷、20頁内外。発行所は未踏社、代表有馬敲
既刊アンソロジー『我が愛する世界の詩人たち』(1997年未踏社)はおもに現役詩人を20数人、日本語訳で紹介したが、それを契機として、翌年より季刊の海外交流詩誌として発行している。当初は藤井雅人と二人の共訳共編で出発し、アメリカの詩人ロバート・ブライと有馬との詩交換など掲載してきた。13号より、個人編集になり、数人の翻訳者との連携を保ちながら2003年春号で20号を迎えた。
今後も安易な権威主義を排し、世界各地で活躍する、知られざる詩人に注目し、海外交流詩誌として発行を続けていく。(有馬敲)
                              
2003年1月更新

 


 

花音(かおん)
1988・5創刊。A5判。12〜16頁。不定期発行。
 女性ばかり4人で発足。10号の後1人辞めましたが、残った3人いしだひでこ・永橋京子・片山礼の固定メンバーで続けています。同人費・会費の類は一切とらず、毎号、印刷に要した実費を頭割りにし、実務担当者にその都度渡すだけです。同人誌の場合、毎回一人何頁までと制限があったり、頁数によって掲載料を負担するのがふつうだと思いますが、「花音」は、一人何頁書くかは全く自由です。号によっては、一人が6頁取ったりします。その場合も、費用は頭割りです。お金がないために、書きたい詩が書けない、という悩みを持つ女性が寄り集まったのが「花音」だったわけなので、「気兼ねせず、その時出したいものを出そう」が方針です。当然、たくさん書く人がトクをする事になるのですが、そこは各人の自主判断・自主規制で、毎号同じ人が何頁も占領するという事態になったことはありません。
小人数で、気心の知れた者ばかりだからこれでOKなのだと思います。メンバーそれぞれが現実生活と格闘しつつ、自分を取り戻し、自分を表出できる場がこの小誌です。(文責・片山礼)


 

風の森

詩誌「風の森」 創刊は1990年6月1日。年3回発行(2・6・10)のペースは頑なに守って現在は28号(1999年8・1現在)を数えている。A5版、ワープロ印字による版下印刷。発行部数は550部通常号は24ページ
 同人は宮内憲夫、長田大生、山村信男の3人。
発刊の辞で「現代詩の枯れ枝に三匹の蓑虫が、鬼の子がぶらさがっている。一匹は黒い、一匹は青い、一匹は赤い蓑袋の鬼の子である。かれらが、枯れ枝で踊り唄いだすのは1990年代の鬼の子の唄である……」としるしたが、この3人の盟約が成る経緯について一寸触れる。ある詩話会の納会で、一杯の酒で気分高揚したしていた山村が、連れしょんに立った長田に一丁旗上げしようか…と話を持ちかけたことが発端,、主旨というような立派な理由は無い、もし長田がそのとき同意しなかったら、この詩誌は陽の目を見ることはなかったかもしれない。長田はかつて『計画』という詩集をひっさげて登場、退嬰的な京都の詩風土に新風を送り込んで諸人を瞠目させたが、その後寡黙となり、結党をを機に再び詩作にインファイトしたいという、その思惑が一致したというわけである。そこで、二人では淋しいのでもう一人引っ張り込もうと、当時『藪の中』というユニークな詩誌を主宰していた宮内に白羽の矢を立て、かくて三人の盟約は成った次第である。以来、男三人トリオで運営してきたが、不協和音を奏でない程度に三人三様の声を響かせている。触れれば生きている脈動が、熱気が伝わってくる。そんな詩をめざしている。(山村信男)


 

交野が原
詩誌「交野が原」編集発行人の金堀則夫が主宰する個人誌である。
創刊 1976年 年2回発行(春・秋)A5版平均110頁。毎号50〜60人の執筆者で、詩・評論・エッセイ・書評・「子どもの詩広場」がある。子どもの詩に、小・中・高校生の詩賞「交野が原賞」を設定している。そこから育った詩の仲間で、美濃千鶴子、南文乃、黒田亜紀らが詩誌『石の森』で活躍している。
 『交野が原』は、郷土誌とか、同人誌、とか、個人誌とか限定したくない。もちろん商業誌ではない。常に自由な可能性を展開できるものでありたい。現在は、全国から詩の書き手が自らの文学を確立するための場として充分に生かせるようにと発行している。
 関西詩人協会会員の主な執筆者は、福田万里子、島田陽子、下村和子、杉山平一、日高てる、明珍 昇、相馬 大、福中都生子、有馬敲、青木はるみ、山村信男、津坂治男、朝比奈宣英、瀬野とし、他。


 


 

乾河
詩誌「乾河」1990年6月に創刊の『乾河』は2003年2月に36号を発行している。A5版・30頁。高格堅固な同人誌として日本文芸家協会編『文芸年鑑』(新潮社)をはじめ全国版詩誌が登載紹介している。
  
同人は朝比奈宣、有田忠郎、齋藤健一、たかぎたかよし、武部治代、富岡郁子、みえのふみあき、林堂  一。詩と雑文のみ、他の一切を載せない。正体不明の文章をエッセイとか随筆とか標記する雑把は好まない。絵(写真)、カットの類いも使わない。浅薄な情緒、装飾は嫌う。同人誌の美醜は同人の質的総量によって造る同人自画像としている。その独自のスタイル、デザインし他人の自画像そっくりそのまま眞似る亜流の鈍感を詩の同人誌にまでみることがあるが、彼ら<詩人>のタフさには嘆ずるほかない。
  『乾河』は同人例会とか同人著書出版記念会というのをしたことがない。万人に読まれることを希んでいないが、根強い読者を全国的に持っている。詩が万人に読まれるとき詩(人)は間違いなく堕落すると同人の齋藤はいう。大仰を好まず、マイノリティー・アナーキー・ダンディを生き方としている。おのおのが豁達で独自な世界をもつ八名の同人が、堅固な思想と表情を備えた詩誌をこころがけている。編集発行人は朝比奈である。(文責・朝比奈宣英)               
2003年1月更新
 


 

季(関西四季の会)

詩誌「季」(関西四季の会) 創刊 1974年 第82号、A5版、オフセット印刷、40頁 小林重樹
同人13名 秋里深一郎・奥田和子・小原陽子・紫野京子・清水健次郎・杉本深由起・高橋善介・竹山晟・備前芳子・福山良子・舟山逸子・矢野敏行
 第4次復刊「四季」の関西在住会員によって関西四季の会が結成され、杉山平一氏の提案で誌名を「季」と決定。
 詩、訳詩、評論、エッセイ、小説を掲載。
「『四季』には由来イズムもエコールもなく、それは期せずして各人によって奏でられたシンフォニーであった」(復刊「四季」終刊号、田中冬二)という言葉のように「四季派」などというものは元来存在しない。「四季」の詩人、知性と精神といったものにかかわり惹かれるが、また、その自由さにこそ惹かれるのである「個の名において」というのがこの詩誌の姿勢である。(小林重樹)
                        2003年1月更新


 

呼吸
アンソロジー「呼吸」  「現代京都詩話会」が発行する『呼吸』は2002年10月で第2巻12号(112号)になる。『呼吸』は1990年1月に第1号を発行し、月刊で100号まで毎月欠かすことなく、B5版の簡易な軽印刷の体裁で発行してきた。また同時に毎月の例会ではこの『呼吸』を材料に合評会を重ねてきた。この間に参加した詩人は60余名にのぼり、掲載した詩は千篇を越えている。
1998年4月号で百号を迎えるに当たって会員のアンソロジーとして『呼吸詩集』を刊行し、以後は年間に3回発行する予定で現在のA5版体裁に改訂した。
  「現代京都詩話会」は同人という形式をとらず、主に京都で詩を書く様々の傾向の人々が、毎月の合評会を中心に、自由に集まる形をとっている。
代表を武村雄一、顧問に有馬敲とし、日高滋、名古屋哲夫、村上知久、武村雄一、藤井雅人、史麻雅子、根来眞知子、安森ソノ子、西田純など現在約30名の会員がいる。事務局・藤井雅人(文責・武村雄一)
                                     2003年1月更新

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さん らんど(SUN LAND)
創刊2006年10月。
島田陽子氏の2回連続講座「大阪ことばで詩をつくる」「金子みすゞへの旅」を受講したことがきっかけとなり、2003年11月より助言者として島田陽子氏を迎え「詩の教室」が始まった。
「誰にでも詩は書けますよ」という氏のはげましのもと、子どもの本に関わる者達15名からスタートした。
創刊号を2006年10月第2号を2007年10月にだした。
現在の同人は11名。集まりは月に一回持っている。

                2008年4月更新

 

詩楽(sigaku)

季刊(年4回)詩誌「詩楽」は、平成12年(2001年)尼崎市立小田公民館で「現代詩を読む」講座として出発しました。

その後、10数人で学習グループとして自主活動を続け、テキストとして各自の作品を月刊冊子として65号まで合評・学習を続けてきました。
 数年前、私たちの作品も人前に出して大勢の批判にさらしてみようと、「詩楽」を季刊同人誌として出発しました。活版印刷A5判。35頁建。発行は70部余りですが、ここを拠点に詩を楽しむようになりたいと願っています。現在の同人は10人。皆初心者です。参加を歓迎します。
                         連絡先・貞瀧和子 (06-6491-7083
平成20年(2008年)10月に75号を発刊しました。
                                  2008年12月更新
 


 

進化論(しんかろん)
佐相憲一・個人誌
2004年8月15日 創刊
非売品
『進化論』・・・内容:書き下ろし詩作品のほか、書評・エッセイ・論文・時評など、佐相憲一の公的詩活動をまとめて記録。各地の詩関係の情報も時事的に紹介している。

年2回発行 2009年1月1日・10号発行

(文責:佐相憲一)
                       2009年1月1日更新



 

創刊 1968年、年3回刊行。
発行 大阪詩人会議 2008年11月・93号発行。

事務局長:木村勝美
編集長:畑中暁来雄
会計:いしだひでこ
運営委員長:原圭治
会員45名

 1964年にグループ誕生、機関詩誌「よどがわ」「大阪詩人会議」を経て四つの地域グループに分かれ、うち市内グループが「軸」を発行し、今日まで存続している。

詩の創造と普及を軸に民主的な詩運動の集団として、創造上の傾向や方法の違いをこえ、平和と進歩、民主主義をめざす立場にたって運動します。また、これらの問題を日常的に深めていく努力をします。私たちは、創作、批評、研究活動に励み、かつ地域の文化の発展のために活動します。全国組織「詩人会議」と連帯し、広く詩界にも通じた、とても活発な草の根詩誌です。(文責:佐相憲一:2009年1月1日更新
 


 

樹音(じゅね)

 A5版、平均28頁、オフセット印刷
1990年の夏、「楽しい詩の鑑賞と実作教室」が、森ちふくを講師として奈良市富雄南公民館で開かれた。半年間の講座であったが、講座終了後詩の魅力にとりつかれた有志8名が集まって、森の主宰で詩の会「樹音」が発足した。2・3の会員を除いては、ほとんどが詩作は初めてという者ばかりであった。現在は月一回、第四月曜日水曜日に合評会を行っているが、当初は毎月第二、第四木曜日に合評会を開き、詩作を重ねる中で、1991年7月1日に、詩誌「樹音」を創刊するに至った。第二号は同年10月発行、以後毎年1月4月7月10月の年4回の発行として、同人全員がいろいろ意見を出し合いながら、編集・校正作業を進めている。その内春号は、一つのテーマを決めて、全員がそのテーマでの作品づくりに挑戦している。1999年夏号で第33号となった。またそれ以外に1995年10月には『あんそろじぃ樹音』を発刊し、同人の作品を一冊の詩集にまとめて発表した。1999年9月には『あんそろじぃ樹音』の第2号を刊行した。また発足以来長いあいだ、会員は女性のみであったが、2003年からは男性会員二名も加わり、詩のみではなく詩とエッセイの同人誌として新たなスタートを切った。同人数は2003年2月現在、次の11名。渡邊真理子、板垣史郎、大西利文、中谷あつ子、撫子、稗田睦子、藤千代音、みちや治美、森ちふく、木綿藍、結崎めい(結崎めい)                             2003年2月更新


 

粋青


suisei 45.JPG創刊1995年8月。2006年5月現在45号。PC印刷、A5版。24頁、限定30部発行。発行、粋青舎、後山光行の一人誌
 刊行の主旨、編集の方針に関しては、創刊号のあとがきの一部を引用する。「手持ちのワープロで原稿を作成し、コピー印刷する手軽な方法を採用してみた。理由は私に必要なのは30部で充分と思うからである。長く創作活動をしているが、充分楽しむことを忘れていたような気がしている。」
  ワープロ、コピーからPCの時代になったが、手軽な制作方法を継続している。
 2005年8月に10周年記念号(第42号)を発行し現在に至っている。また5周年記念号と同時期に始めた電子版「粋青」もNo.39を発行するに至っている。
ちなみに、最新号(第45号)の掲載内容は、詩篇5作、創作ファンタジー1作/スケッチ4作(カラー印刷)エッセイ2篇/絵筆の洗い水(21)/舞台になった石見(35) 雪舟 益田兼堯像/等々である。
  私が遭遇した20世紀の最後の5年と21世紀の最初の5年の私自身が記録できたら良いだろう、との考えもあって始めたものであったが、当初の目的は別として期日は過ぎ去ってしまった。あとは「ぼちぼち」と気が向くまで創作を楽しもうと思い始めている。食傷気味の作品が多いなかで、創作者本人が楽しめないで読者の期待などもってのほかの考えもある。「粋青」は詩書き一人に心地よい器である。(後山光行)2006年6月更新

 


 

叢生(そうせい)

詩誌「叢生(そうせい)」1982年8月創刊。隔月刊で現在(2003年2月)124号。A5判型オフセット印刷。平均20ページ。発行所叢生詩社。発行人島田陽子。
同人は17名。秋野光子、内海信子、江口節、姨島とし子、佐山啓、島田陽子、下村和子、曽我部昭美、原和子、藤谷啓一郎、麦朝夫、毛利真佐樹、安森ソノ子、八ツ口生子、山本衛、由良恵介、吉川朔子。他に購読誌友45名、同人は毎年、数名が詩集を発行している。最近では由良恵介『さっちゃんの日記』(編集工房ノア)、麦朝夫『世界中どこでもみんなこんなふうに暮らしているの?』(鳥語社)下村和子『隠国青風』(砂子屋書房)、姨島とし子『この手の記憶を』(編集工房ノア)佐山啓『空は顔がひろい』(編集工房ノア)曽我部昭美『緑の時間』(叢生詩社)、島田陽子『新編島田陽子詩集』(土曜美術社出版販売)などがある。
 江口節は『鳴きやまない蝉』(編集工房ノア)によって「第8回神戸ナビール文学賞」を、また集中の詩「積み上げて」で「第10回詩と思想新人賞」を得た。2002年6月には同世代の4人と詩誌「多島海」を創刊するなど、意欲的である。
 叢生の特色は、詩歴の長い同人ばかりなのに、隔月発行毎に開く合評会の出席率がよく、遠慮のない意見をのべ合えることだろう。詩の技法も、目ざすところもさまざまだが、それぞれの世界を深める、という一点にゆらぎはない。(島田陽子)   
                                                       
2003年1月更新

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地虫

昭和29年(1953年)12月発会、昭和30年1月 詩誌『地虫』発刊
月刊誌である。会員は7名で出発。大上敬義、森口武男、寺嶋清子、喜寅茂夫、藤井実雄、三木昭二、鵜崎博。経済上の理由から、3号から表紙裏表紙あわせて8頁とした。現在もその形を続行。蝶々雑誌、メニュー雑誌と笑われたが、現在(平成11年7月)535号。
『地虫』の主張主義については、8号に現編集長の大上敬義が書いている。
@『地虫』とは花土の中に生きているいろいろの虫の総称である。
A『地虫』の声は小さいが、『地虫』はたしかな歌をもとめる。
B『地虫』は声がまちまちだが、『地虫』はそれなりにハーモニーがそろうまで耳を澄ます。
C『地虫』の声はにごっているが、他人の裏声の真似はしない。D『地虫』は借金をしても詩語を借りることはしない。
E『地虫』は通訳を必要としない。『地虫』は土着の虫から。『地虫』は解説を遠ざける。『地虫』は標本になりたがらないから。

 同人は現在9人。大上敬義、森口武男、上田敏夫、桝谷優、上田緋紗子、吉本 弘、富田恵美、西村博美、中田智子。(文責・森口武男)
 


 

てふてふ

創刊2006年7月  てふてふ代表者 上田緋紗子
発行所 〒639−1001 大和郡山市九条町732−2
A4版4頁 月刊

 生まれたばかりの微生物だった虫けらの一匹が、半世紀ほどの間、真暗な土の中でぬくぬくと這いずり回っていたが、そろりっと顔をもたげた。とたんに陽の光が強烈に全身を照らした。「あゝ 時間がない」虫は強く思った。そして自分がすでに年を経ていることに初めて気がついた。脱皮せぬまま大木の幹にしがみついた。不思議なことに虫はいつの間にか蝶の蛹に変身していた。あせらずゆっくり脱皮して行こうと考えた。青空はどこまでも高く、木々の緑は光に満ちあふれていた。昭和一桁生まれの私にとって小学校「国民学校」で習った蝶のことを、旧仮名遣いでてふてふと書いて「ちょうちょう」と読んだ。
創刊にあたり会の名前を自由に羽搏くてふてふと命名した。たとえこの生命が小鳥の餌食になろうとも、虚偽のない自分の分身のためにも詩を書き続けていきたいと願っています。(「創刊について」T、より)
 上田緋紗子と富田恵美が創刊し、2号から三村彰子が加わったが10号で脱会。7号から吉村満恵が加わり、2008年12月で第29号を出すことができた。
てふてふが詩誌の特色として、生活の中で感じたことを、やさしい言葉で表現することに重きをおいています。又、詩をお読みになられた方がお元気になられるような詩語が表現できたらとも思っています。(文責・冨田恵美)

                                    (2009年1月更新)
 


 

どぅえ

 @創刊1999年11月1日。2002年10月1日に7号を出し、目下8号へ向けて準備中です。
A5版40頁前後の冊子タイプの本で、発行所は未踏社。
A同人は目下5人、有馬敲、猪上清子、根来眞知子、村上知久です。
編集人・有馬敲のそれと感じられないけれど強力な馬力に引きずられて、各人がなんとか作品をひねり出していると言えるかもしれません。創刊号は有馬敲、猪上、根来が詩を、杉本千代子がエッセイを書きました。2号から杉本にかわり村上が加わって4人とも詩を書いています。創刊後日は浅いですが、いままでに「詩と思想」「詩と創造」などの各誌に紹介され、予想外の反響に喜んでいます。
 B刊行の動機は、観光化した祇園の花町ことばでなく、京都で日常使われている言葉を使って詩やエッセイを書きたいと思ったことです。やり始めてみると予想以上に難しいのですが、「ぼちぼちやっていこか」という感じで進めています。年2回ぐらいの刊行をめざして行こうと話しています。
C京ことばにこだわる事と、年2回の刊行予定の他は特に細かな取り決めはなく、どういう雑誌になるかは出来てのお楽しみといったところです。(文責・根来眞知子)      2003年1月更新

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ふ〜が

詩誌「ふ〜が」  創刊は1974年(昭和49年)2号のあとがきに発行者の中川郁雄が、……なんとなく琵琶湖のほとりの彦根市に密着して、のんびりやっている感じが皆の連帯感である。郷土性を主張しているのでもない…と記している。誌名の「ふ〜が」は「fugue」で、音楽用語を借りた詩人学校(近江詩人会のテキスト)に発表された詩の一節から思いついた。音楽家から「烏滸がましい」と怒られそうだが、バッハのフーガについて辞書にはあるが、今もって良く解らない。風雅の道は「ふ〜が」に通ずると、名誉ある誤解を受けているフシもある。いずれも近江詩人会を母胎にもつ仲間同士である。
  B5版、30頁、年2回発刊の意気込みも年1度発刊がやっとだ。平成14年12月現在29号出すのに29年かかっているユックリズムだ。現代のすさまじい世の中で、のんびりやっている感じも悪くない。
発行所は宇田良子、他に石内秀典、沢田弘行、武部治代、竹内正企、村井八郎、村田好章、藤野一雄、山本みち子の9名がいる。(文責・竹内正企)
                  2003年1月更新


 

BLACKPAN(ブラックパン)

詩誌「ブラックパン」 創刊 1954年(S37) 右原厖。
 同人 天野美津子、冬木庚、安村重己、吉川仁で創刊。日高てる、山村順、長津功三良の3名は2号より参加。
創刊号に<ビキニのきのこ雲が噴き上ってからと言うもの、太陽は一個の黒パンに見えた。然し……然し……われわれは、其処から出発する>
しかし、気鋭の右原厖も出発時のようにはいかず51号1970年1月7日より日高てるが引き継ぐ。そして、1976年10月20日、ついに66号にて休刊とする。
開店休業4年。67号より78号まで、個人誌として日高てるが存続させる。(67号女流特集、68号男流特集、69号新鋭特集、70号犬塚堯特集。)
故あってか成田敦、紫圭子、三井喬子らと意気投合ここに79号より再び同人誌とする。
2008年を機に新鋭8名と共に「私たちの詩のありか」をBLACKPAN誌上にて展開する。実験は爐精神の初心の試みでありたい。編集寺西貞子、岩谷まり(文責:日高てる)

                 2009年1月更新


 

プリズム



創刊 2006.5

同人名 西きくこ 東尾緯子 福岡公子 吉田国厚 
代表者 西きくこ

 気の合った四人が詩の話をしている内に同人誌を立ち上げようということになった。詩名の発端は、西きくこがプリズムを持参、その色の美しさに驚嘆!! プリズムがそのまま誌名になりました。
生まれたばかりのプリズムですが、頑張って成長していきたい。(文責 東尾緯子)
                               2007.2.更新

 

別 嬢(べつじょう)

詩誌「別嬢」  1990年4月創刊。播磨灘詩話会を母体とした季刊誌。2003年1月現在48号。A5版型。ワープロ印字。平均50頁前後。発行所(松尾方)別嬢倶楽部。発行人松尾茂夫。
 編集は松尾茂夫・高橋夏男・住吉千代美が当たり、詩・随筆・評論の三部の構成で定期刊行を続けている。
同人は14名。前記の3名と東めぐみ、大川ひろ子、在間洋子、清水翠、高谷和幸、田代光枝、月村香、時安喜子、西川めぐみ、西川保市、藤木明子。詩歴には関係なく、誰もが自由に書く場を与えられている。
詩集のほうも精力的に出している。
 高橋夏男『ふたつの村』(風来社)、在間洋子『花瓶の水』(土曜美術社出版販売)半どん賞(及川賞)受賞、西川めぐみ『田尾さんの耳』(風来社)姫路文化賞(黒川賞)受賞、西川保市『鬼はまだいる』(編集工房ノア)田代光枝『母子像』(編集工房ノア)、高谷和幸『残氓』(土曜美術社出版販売)「第9回ナビール文学賞」受賞、松尾茂夫『デンキブランでみた夢』(別嬢倶楽部)など。
 また、高橋夏男は『流星群の詩人たち』(林道社)を著して、平成11年度姫路市芸術文化賞(芸術年度賞)を受けた。ジャンルは異なるが藤木明子の『ひょうごの暮らし365日』(神戸新聞総合出版センター)は好評を博し、広く読まれている。
 なお誌名「別嬢」は、播磨風土記に登場するヒロインの「わけのいらつめ」を音読。命名は松尾である。(文責・西川保市)                       2003年1月更新


 PO(ぽ)

 創刊は1974年(昭和49年)1月10日。
2008年夏、130号刊行。A5判、平均150頁。
会員数48名、誌友20名。編集長・佐古祐二、編集部・左子真由美、寺沢京子、中野忠和、藤原節子、藤谷恵一郎、水口洋治。
 刊行の主旨・芸術である文学作品の創造として、詩、評論、海外作品の紹介を目的とする。編集方針・現代の流行にとらわれず文学的精神を堅持して新たな読者の獲得を目指す。
 発行形態・従来の紙形式の雑誌以外にインターネットで読めるようにホームページを開いている。詩に関しては、ウエッブ版「PO]として、詩誌版とほぼ同時に公開されている。
 詩の学習講座として「詩の実作講座」を大阪阿倍野「市民学習センター」で開催している。そこでは古今東西の優れた作品の学習と実作指導を行っている。
 関連団体として、詩を朗読する詩人の会『風』(代表 中尾彰秀)がある。8月をのぞく毎月第3日曜日の午後5時から、天王寺近鉄デパート近く、ユーゴー書店隣の喫茶「スワン」で開催。例会数380回を越え、全国最長記録を保持し続けている。
 「PO」は毎号特集を組んでおり、各界の支援を得ている。出版社竹林館から地方小出版流通センターを通じて販売されている。

                    (2008年7月更新)

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三重詩人

詩誌「三重詩人」 1950年8月,中野嘉一、錦米次郎、能登秀夫、丹羽征夫、浅野タダヨ、西村言人、しろうわきち等によって、創刊され八集まで継続(第一次三重詩人)されるが、総合詩誌的なサロン団体の性格にあきたらない錦米次郎たちが袂をわかつ。
 1951年11月、第2次三重詩人は錦米次郎、能登秀夫、浜口長生らによって復刊され、現在の『三重詩人』がその歴史を受けついでいる。『三重詩人』は会の規約の総則として次ぎのように掲げている
──三重詩話会は、民主主義的な文化、平和な生活、人間の自由と真実が認められる社会の実現のために、文学、芸術の創作、批評、研究を行う。従って私達の文学活動、作品創造は、他のいかなる支配干渉も受けず、ひとりひとりの思想、良心の民主的な結集の上になりたつものである。──このような理念をもって、約半世紀にわたり一貫して地方における詩文学の運動体として活動し、多くの詩人を育成して世に送り、早逝した会員の作品集を何冊か刊行してきた。
 現在『三重詩人』は177集を数え、A5版型写植印刷、平均60頁、会員数27名。編集委員として、大矢博人、岡本惺、加藤千香子、加藤英雄、高崎一郎、田畑実、中岡淳一、錦米次郎、丹羽征夫、深谷守男、黛元男、毛利真佐樹、山野治、吉川伸幸、伊藤眞司が力を結集している。(
編集発行・黛元男)
昨年、『錦米次郎詩集』を鳥語社から刊行した。この全詩集は、日本農民文学会から農民文学特別賞を受賞した(文責・伊藤眞司)


 


 

詩誌「めらんじぇ」

  「MELANGE」―めらんじゅー 

 第一期「めらんじゅ」発刊は1982年。
1997年3月に発行人・君本昌久の死去で、哀しみを振り切るようにドライに「MELANGE」と改名。現在2000年5月で第4号。(通巻36号・B5判53頁)。
 同人は磯田ふじ子、大橋愛由等、栗山要、正下敏明、富岡和秀、富哲世(編集)、西嶋祐子、西谷民五郎、日出山陽子、福田知子(編集・発行)、船越康弘、山口洋子の計12名。
 「MELANGE」とは混沌・カオスの意。異文化ごちゃまぜのチャンプルです。同人は神戸、大阪、静岡、千葉在住。年齢も30代〜70代まで。40代が中心ですが、現代詩の世界では若いほうかも!
 現代詩をはじめ、俳句、評論、エッセイ、書評など(内容も充実したかしら?)ともかく賑やかになりました。神戸モダニズム論あり、古事記など日本の精神文化論あり、芸術文化論あり、文学論ありでこれもチャンプル。現代に生きる新鮮な言霊の発光体を見据えて、それぞれの発語のあり方、表現方法を各自の書き方で追究しています。
 この2年間で同人の既刊本は詩集・句集・評論で計10冊。
* 発行所 「ルナ企画」                    (文責 福田知子)     


 

Messier(メシェ)

詩誌「Messier」 創刊 1993年6月15日。A5版。タイプオフ。16〜20頁。年2回発行2003年1月現在20号
グループ代表 香山雅代・編集も香山雅代
 創刊当初は、名古屋哲夫・西川治男・香山雅代(編集)・大堀タミノ・佐藤博美・土師かず子・松尾直美・渡部晴美の八名の同人によった。
現在の同人は、大堀タミノ、香山雅代、松尾直美、佐野博美、支倉隆子、紫野京子、細見和之、岸田美智子、橋本光子、桂あさみ、丸本明子の参加もあり、今後も各分野でご活躍の詩人の参加を予定している。
 詩誌Messier(メシェ)の由来は、そもそも、星雲や星団に付されたM32やM87という番号のイニシャルM。フランス人の人名に依る。天文科学者Charles Mwssier(1739〜1817)シャルル・メシェに因んで命名されたもの。極微から極大へ詩的言語宇宙の往還におもいをいたそうというねがいのもと、創作活動の活性化と持続をモットーとし、同人各位の個性を尊重し、常に豊かな活動の助長の場としたい思っている。主として、詩作品と星間磁場@唐フエッセイ。時に、詩人による連句作品、ドイツ語による創作詩などを掲載。(文責・香山雅代)
           2003年1月更新


 

Moderato(モデラート)

詩誌「マデレット」  1994年5月15日創刊。年2回発行で2003年1月現在18号。縦10.5p横20pの変形版。32頁、オフセット印刷。発行者岡崎葉、発行所「出発社」、発行部数1000部。年間購読費1000円。個人誌ではあるが執筆参加協力者は、山田博、いちかわかずみ、羽室よし子、大原勝人。毎号企画内容によって、多方面で活躍中の方々に、執筆依頼をしている。
 主な購読先は、詩人、エッセイスト、歌人、作家。音楽・美術関係、マスコミ、官公庁などなど。最近、注目を浴びたのは、福岡市在住の詩人、古賀博文さんとの往復書簡「地方で詩を書くこと」。詩をより立体的に演出するために、往復書簡、リレーエッセイ、アンケートの試み、対談などで、毎号独自の企画を立て、一人でも多くの詩の読者との出会いを求めている。
 『Moderato』とは音楽でいう中位の速度。刊行の動機は、媒体をだすことで、新しいネットワークが広がり、創作活動の核となると考えたから。<21世紀のキーワードは和歌山>という捉え方で、地方都市から全国に向けて発信する詩の情報誌をめざしている。(文責・岡崎葉)                        2003年1月更新


 

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RAVINE(ラビーン)

詩誌「RAVINE」 創刊1961年6月 A5版 64頁前後 同人数26名 本家勇、木村三千子、福田康彦(以上創立同人)
荒賀憲雄、白川淑、谷村ヨネ子、中村不二男、並河文子、村田辰夫、薬師川虹一、他。
 刊行の経緯 戦後間もない昭和24年5月に京都の詩人たちが集まって会を結成した。「コルボー詩話会」と唱えた。昭和28年『骨』が分離独立し、「コルボー」が同35年に解散すると、翌36年6月に天野隆一を中心にしてRAVINEが創刊された。「コルボー」解散後、同人達は二つの流れに分かれる。一つは天野忠を中心とするリアリズム系のグループであり、一つは天野隆一を中心とするモダニズム系のグループであった。RAVINEの性格はこの時から始まった。以来、編集装丁を全て天野が担当して平成3年11月に100号記念号を出し、2000年春現在132号を出している。創刊以来の同人は、本家、福田、木村の三人になったが、10人で始められた同人も、今では26人を数える。天野没後の編集は木村を中心に、荒賀、中井、薬師川の4人が編集委員会形式で行っている。
 天野の主張により、合評会など一切排して、自律した同人の自由意志による発表を尊重してきた。同人相互が影響しあいながらもRAVINEが永続してきた秘密はそこにあると言える。派手なパフォーマンスを行わず、地味に、だが粘り強い同人誌であり続けている一方で、村田、薬師川は亡き児玉実用門下であり、現代英詩の翻訳にも活躍の場を広げている。ヒーニーの全詩集の翻訳と注釈は出版文化賞を受けた。また、白川淑は美しい京言葉で現代の京都の持つ詩情を歌い上げ、独特の地歩を固めているし、谷村ヨネ子は不思議なユニセックスの世界を紡ぎ出して新しいモダニズムを創造しているようであるなど、少しずつ脱皮しながら新しいRAVINEが生まれつつあると言える。
発行所 薬師川虹一方(文責・薬師川虹一)
 


 

RIVIERE(リヴィエール)

1991年5月1日に創刊号を出す。19名であった。「月刊近文」の同人も兼ねてである。その頃、故伴勇氏がご自分の亡き後を心配して、即続けられるよう並列しての新しい詩誌の発行を呼びかけたのがきっかけである。そして、第3号を刊行後、伴さんは逝った。創刊以来の横田英子、石村勇二、永井ますみ、小野田潮、小野田重子、当間万子(泉本真里に改名)、正岡洋夫、松本映、水月とも、以後出入りはあったが、同人に蘆野つづみ、安心院祐一、後 恵子、戸田和樹、平野裕子、藤本 肇、ますおかやよい、清水一郎を加え、出戻ってくれた釣部与志、河井洋、山下俊子である。編集を石村勇二、河井 洋、永井ますみ、横田英子が順繰りに行っている。隔月発行で現在91号である。
 A5版、40〜44頁からなり、永井ますみが先ずパソコンで打ち、木下印刷所へ持って行く。発行所と会計は横田英子である。発送は永井ますみ、諸々の会報を河井 洋が受け持つ。夫々役割を分担している。
 全員の詩誌であるよう心がけているが、東京から、愛知、岡山、広島と各地の人との密接な関わりがむつかしい。合評会は、毎月行い出席者の詩を評しあって、互いに研鑚している。(文責・永井ますみ)     2007年2月1日更新



 


休刊又は廃刊になった詩誌



 

貝の火
1995年9月25日創刊(1999年5月20日9号発刊)A5判型、オフセット印刷。当初60頁でスターとしたが、現在は130頁を越えるようになっている。発行所は草月舎〒654-0009神戸市須磨区板宿町2-4-20武貞方。編集発行 紫野京子E-mail:shinok@takesada.co.jp 個人誌
 同人はいない。執筆者は創刊当時、編集者を含めて8名(香山雅代、小林重樹、田口清光、田口義弘、中正敏、本多寿、村岡空、紫野京子)9号の執筆者は28名(創刊当初の執筆者のほか、朝倉勇、淺山泰美、雨宮テイコ、岡島弘子、加島祥造、木島始、小出眞里、後藤信幸、佐岐えりぬ、佐川亜紀、清水茂、杉山平一、高野喜久雄、中村不二夫、藤村壮、古田嘉彦、松本康子、真辺博章、明珍昇)表紙は画家、難波田龍起の水彩画、扉は写真家竹内敏信のモノクロ写真(毎号新作)。カットは武内寛。
 大震災の後、全く詩が書けなくなり、自分が立ち直るために創刊したが、現在では9号の後記に書いた言葉のようなあり方になってきているので、一部を抜粋させて頂く。
 「貝の火」では真摯に生きること、思索すること、思惟することを大切にしたいと思っている。「高み」へと心を向ける垂直のはるけさと、「無辺」へと続く水平の広がりとのいずれをも求めたいと望んでいる。
詩を書くことが「生きる」ことと根底でつながっている、そういう姿勢で詩と向き合っているひとたちの、目に見えぬひとつの「場」が「貝の火」であってほしい。(紫野京子)
(現在終刊:永井)

 

灌木(第2次)
詩誌「灌木 第2次」
私達の同人誌『灌木第2次』は、1999年9月号で550号に達した。記念号として、全国同人参加を目標にいま編集に追われているところだ。『灌木』の前身は『再現』であった。創刊は1953年11月。やがて『灌木』と改称した。主宰者はともに喜志邦三師であった。そして喜志師の死と共に、1983年10月号から『灌木第2次』と誌名をあらためた。
 喜志師は西宮甲子園口におられた。私は芦屋である。『灌木』の原稿を持って、毎月のように師のお宅にうかがった。「高橋さん、灌木は私の最も大切なもの。印刷会社から届けられてきたその晩は、一冊を枕元に置き、それを抱いて眠るのですよ」といわれた。
 師は晩年のその頃も詩壇に関心をはらいつつも、『灌木』にすべてのエネルギーを注がれていたようだ。
 詩歴などにとらわれない。年齢も無関係。全同人は平等。誌面における発表作品の位置も平等。同人に序列はない。右は『灌木第2次』の基本だが、師の方針をそのまま受け継いだものである。
 現在運営委員は次の七氏。大賀二郎、高橋 徹、立川喜美子、中川道子、中西 衛、水谷なりこ、横田英子。実務として高橋が編集発行、水谷が会計(収入)、中川が会計(支出)と発送、大賀が会計監査。
 次の記念号は600号だが、さてその日を無事に迎えることが出来るか。詩人に年齢などない。と構えているが……(高橋徹)
  終刊しました


 

大西宏典氏は2008年1月に亡くなられました

麦秋  [詩の周辺・改題]

 創刊 1993年3月1日 2002年1月、誌名を『詩の周辺』から『麦秋』に改題。2003年1月現在48号を発行。誌型はA5版 毎号 32〜52頁季刊であるが臨時増刊号として特集を組むことがある。編集・発行人、麦秋社・大西宏典
 本誌は基本的に個人詩誌の形態を保っており、一定のレベルの作品品位をお持ちの方で同人参加を望まれる方であれば参加を拒まないが、あくまでも自由な立場で詩誌の編集発行を継続してゆきたいので、創刊以来続けてきた、詩作品を中心とした評論、エッセイ、美術、戯曲(詩劇)等の総合的展開を充実させゆきたいと考えています。
 因みに創刊以来、同人ではないが本誌に寄稿され詩人を敬称略で掲載させていただくと、その作品掲載回数順に、春木吉彦、協本しげる、清家守彦、福中都生子、南村長治、細井文衛の諸氏であるが、本誌の編集方針上、寄稿作家に作品内容、枚数等の制限を設けたことはなく自由に表現していただいている。
 何分、1950年から10年間、詩の同人誌『尖塔』『QES』の編集・発行にかかわっていたが、61年頃より20年間、詩作を中断し油彩画の制作等、美術関係の分野に没頭していたので、現在の詩壇情報には疎く、本誌の編集内容も独断的で偏狭な側面を露呈していた事もあったが、今後はできるだけ独善志向ではなく、独自の個性的で自由な詩世界を構築してゆきたいと考えています。(大西宏典・記)         
2003年1月更新

 

陽(ひ)

詩誌「陽」 1977年1月1日創刊の「月刊大阪」が、82年6月1日刊、57号で終刊になった時、私は「文学運動の潮時」として後記を書いている。その末尾に次の一条を残した。「今順風満帆の「大阪」は、新人も多いが、実力のある詩人が大半である。それぞれに風をはらみ、孤立を怖れずに独航を意志として、新しい詩の水平線をめざしてしてほしい。」
 大阪終刊後に誕生した三誌のひとつが「陽」である。他の二誌は「叢生」と「異郷」で「月刊大阪」の母胎は井上俊夫、犬塚昭夫、福中都生子三名が結団した同人誌であった。
 その頃私は、「年鑑大阪詩集」を小野十三郎監修のもとに発行、又「コミュニティ誌・ひまわり通信」の編集責任等を背負っていたが、ある日「陽」同人のM氏のことばに愕然とした。彼女は「フクナカトモコが熱中しない「陽」なんて、すぐにつぶれるとB氏に言われた」と喝破されて、私は急ぎ「陽」のもとに駈けつけたことを告白する。
 82年9月1日以後、参加者約80名、約半数は、文学学校・公民館、カルチャールーム等、私担当の講座後の参加で、創刊号からの結成同人15名程が中核として活動している。新メンバーも20年30年のキャリアを持つ実力者が牽引力となって新風を吹きこんでいる。(現在60名)
 「陽」は「現代詩」を認識と行動と、表現という自己実現の美学として、真摯で努力好きな女性が多い季刊詩誌である。
 社会と時代と世界をみつめながら、更に批評と表現の核とし、新しい人間の生道を発見する集団として育って欲しい。(福中都生子) *終刊しました。


 

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