参加会員

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    まえがき
          関西詩人協会代表
               杉山平一


私どもは、大阪を中心とする関西一円の詩人のあつまりである関西詩人協会の仲間です。
 我国には、百人一首という和歌の詩をカルタ遊びにして楽しんだり、また題を出して、全国民から募った和歌から秀作を選んで、正月には天皇の御歌ともども朗誦する催しを百何十年続けている詩歌の伝統があります。
 近代になって私どもは、その詩歌を欧米の詩の形式に溶かし込んだ自由詩を創りあげて来ました。なかでも、私どもは何故か、ボードレール、ランボー、ヴェルレーヌ、コクトオなどの詩にとくに親しみを覚える詩人多く、国民でも化粧品や店の名前などにフランス語を氾濫させるほど、フランス語へ傾倒する民族です。
 その意味でも私ども詩をフランス語を解する人に読んで貰う機会を得たことは、非常な喜びです。




遠藤カズエ
手話  
      〜紫陽花によせて〜

  ── 私の名前はエンドウです
    どうぞよろしく
    あなたのお名前は?


今 私はつたない指で
向かい合ったあなたの目を見て
一生懸命に語りかけています
お互いの胸元に指が 手が行きかう
外国語の稽古も
初対面の人との会話はここから始まる


その時々の表情を持った指先は
丸や線を描き
ついつい大きな身振りになってしまう


部屋の外では
大きな丸い紫陽花が蕾をいっぱいつけて
音のない細い雨にうたれている


たぶん もう少し日が経つと
あなたと私の会話にも
紫陽花のように変化して
花が咲くはず

ルーマニア語による遠藤カズエの詩です


永井ますみ
あかずきん




おばあさまは
おやまの家にひとりぼっち
寝台によこたわって
やまのみどりを眺めます
ことりの声がふりそそぎ
藤の花や山つつじの色模様
濃いみどりのあとは
はじけるような赤がきて
やがて
そそけ立った枝の上に雪が舞うでしょう


木の間隠れにゆれる帽子
あかいシャッポの青年
一日にすこしの糧を届ける人があり
そのやさしげな手と
少しの笑いがあれば
ひとりぐらしが気楽なんだよ


黒いおおかみが現れて
おまえを食うぞ言われた時
としよりの私なんかおいしくないさ
街へお行きって言ったのは
ことばの綾というもの


おとなしく食べられれば良かった
あれから
青年は現れなくなり
窓には霞がかかり
目もかすんで
お腹だって空いているのかいないのか

ルーマニア語による永井ますみの詩です

左子真由美
書くこと



書くことは見つめること
考えること
形の中にある湖に触れようとすること


湖に映る月の
金色のひかりのなかに
踊る魚たちを感じること
楡の木をゆするかすかな風を知ること


高鳴る胸のなかで
果実が熟れてゆく
そのあまやかな香りを
移りゆく色を
私は書けないでいる


ああ 林檎の実のなだらかな完成
そのなかにある真実のひとつさえ
わたしは掴めないでいる。

ルーマニア語による左子真由美の詩です

金堀則夫



屍が晒されている
つかもうとしても つかみきれない

石のくだけたものか
水のかわききったものか
川原にひろがっている
ほり起こした 手は
砂の深さをつかまねばならない
生きてきた無限のいのち
つかんでも つかみきれないでくずれていく
すくいあげた砂をにぎりしめる
手のひら
ほり起こした深さだけ
塔をつくる
つみあげる高さは
くずれていこうと
あたりの空気を狂わせ
微粒子がするどく屈折していく
ぽっかりとあいた深さ
どこまでもうずもれていく
底なしに深まっていく塔を持っている
手にしたところで
お前の手でどうすることもあるまい
おもわず払いおとす 手と手が
時を欠落させていく

ルーマニア語による金堀則夫の詩です

三木英治

午後の花ざかり



時の流れるのが見えぬだろうか揺れる車窓を さまざまな景色と共に、
学校がえりの若者のほかに老人たちもいて
午後の電車はどこに向かって走るのだろうか。


恋人たちの若い肉体の隙間から
停車のたびに 老人が消えてゆく、
かわりに北風がすべりこんできて
午後の電車はどこに向かって走るのだろうか。


消えた老人たちが偲ばれる、沿線の
満開の桜 いまを盛りの夏の噴水や 木犀の
黄金の香などが 鎮魂のしるしのように。


去年(こぞ)のかなたの四季の賑わい、一瞬の現在
愛に努める明日明後日、そしてひとの死へと
時は轟轟と流れているのではないだろうか。


ルーマニア語による三木英治の詩です

名古屋哲夫
ある日



白昼
屋根の上で
闇をまとった
猫が
夕闇に向かって
舞う
こうもりの舞
ルーマニア語による名古屋哲夫の詩です


有馬 敲
事件のあとに




ひとりの人間が息を引きとるとき
おびただしい言葉が死ぬ
静かにこの世を去っていったひとも
あわただしくあの世にむかったひとも


「ほんとうにお世話になった」
「ありがとう ありがとう ありがとう」
「もう駄目だ よろしく…」
「幸せになってください」


携帯電話で話されたさいごの声も
留守電に吹きこまれたメッセージも
Eメールから送られて途切れた文字も
ほんの一部でしかない


まして
緊急になにも伝えられなかったひとたちの
無数の無念の言葉は
ついに記録されることがなかった


くりかえし くりかえされる
殺害現場のビデオ映像のむこう側では
死者たちの重い沈黙がうずくまり
濃い闇が立ちこめている

ルーマニア語による有馬敲の詩です


杉山平一

出発!



シグナルが春のみどりに変った
ぼくの自転車は出発する
あたたかい風が頬を撫でる
凍ったこころも溶けはじめた


燕が早くも海峡を越えつつあった
負けじと踏むぼくのペダル
木々の芽も指をひろげる
白い雲もやわらかく溶けてきた


何処へ と人はきくが
未来は見えぬもの
とにかく行くのだ


おのずからひらけるのが
道というもの
前へ  前へ  何かがぼくを押すのだ  

ルーマニア語による杉山平一の詩です

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