訳者あとがき(部分)

 何と悲しい知らせであろう。ヒーニーさんが亡くなった。2013年8月30日(金曜日)。七四歳の生涯であった。この『人間の鎖』の初校が出る前である。
 9月2日(月)午前、ダブリン南郊ドニィブルックにある聖心教会(the Church of the Sacred Heart)で葬儀が行われた。そして午後、詩人の棺は、125マイル離れた故郷ベラヒーの聖マリア教会(St. Mary's Church)に移され、4歳の時交通事故で亡くなった弟クリストファーが眠る「私たちの故郷の墓場」(本詩集56頁)で、詩人は永遠の眠りについた。青空の抜けるような晴れた月曜日であった。葬儀では家族から自宅の庭のユリが棺の上に献花され、『闇の入口』(Door into the Dark)の中の「天の調べ」(`The Given Note')がピーター・ファロンによって朗読され、長男マイケルが挨拶で弔問者たちに紹介したのは詩人の死の数分前に妻マリーに遺した「恐れることはない」(“Noli timere”)というメールの言葉であった。聖書に頻繁に出てくるこの聖句だが、「私はあなたと共にいるからである」(quoniam tecum ego sum)と続く箇所が「イザヤ書」四三章五節にある。弔問者たちは、詩人が望んだというブラームスの子守唄の曲が会堂に流れるとハミングし、あるいは口ずさみ、詩人に「お休み」を告げたという。偲び草には故人の庭先の花束と『人間の鎖』が配られた。詩人を直接知る人も、これからの読者も詩人の“Noli timere”を思い起こす度に、それぞれ詩人の生き方と詩にふれることになるのだろう。
 今、この悲しい報せと詩人の遺した励ましを心に留めながら、呆然とした気持ちで「あとがき」を書き直している。

下の詩はこの詩集『人間の鎖』の巻頭詩である。
    'Had I not been awake'

Had I not been awake I would have missed it,
A wind that rose and whirled until the roof
Pattered with quick leaves off the sycamore

And got me up, the whole of me a-patter,
Alive and ticking like an electric fence:
Had I not been awake I would have missed it,

It came and went so unexpectedly
And almost it seemed a dangerously,
Returning like an animal to the house,

A courier blast that there and then
Lapsed ordinary. But not ever
After. And not now.
「もし目覚めていなかったら」  シェイマス・ヒーニー


もし目覚めていなかったら 吹き荒れる旋風に
僕は気づかなかったはず 風はスズカケの木から
葉を吹き飛ばし 屋根でカサカサ音をさせた


僕は目が覚め 起き上がったが まるで電気柵のように
体中に電気が走り 体が小刻みにガタガタ震えた
もし目覚めていなかったら 風には気づかなかっただろう


風はまったく出し抜けにやって来て過ぎ去った
家に住み着いた獣のように 恐ろしいことだが
また舞い戻ってくるように思えた


あの時 あの場の前触れの突風は元に収まった
だがあの後 僕は決して元に戻った訳ではない
今だって元に戻っている訳ではない 
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