第四回国際ヨーロッパ言語作家会議
            I
                               薬師川 虹一
(2009年)
 隔年に行われるICWELが今年もマラガの古い修道院・神学校を改装したセミナーハウスで開催された。タクシーに乗って、この修道院の正しい名称を言ってもなかなか通じない、「セミナリオ」と怒鳴るとすぐに通じるところである。マラガと言う町は古い町で、「太陽海岸」と呼ばれる美しい海辺に沿った街だから、いわゆるリゾート都市である。日本ではあまり知られていないので、日本人観光客に会うことはめったにない。昔はギリシャとも交流があり、アラブに占領され、ローマに侵略され、さまざまな苦難の歴史をたどってきた街だから、いたるところに歴史の跡が残っている。
 日本からマラガへの直行便はないので、どこの航空会社を利用してもどこかで乗り継がねばならないのが不便と言えば不便である。私は前にも書いたが、歳をとってからは大事を取って、ビジネスクラスを利用している。だから関空からフランス航空でパリまでの旅は、優雅に過ごせる。ほとんどベッド状態の座席でのんびりとパリまで飛ぶのだが、そこで、どうしても三時間ばかり待たねばならない。これも、ビジネスクラスのおかげで、空港のラウンジが使えるので助かる。スーツケースを置いたままでトイレに行けるのが何とも便利なのだ。独りで外国へ行かれる方ならおわかりだろうが、空港で、トイレに行くときほど困ることはない。かさばるスーツケースを持って、トイレに入るのは何とも不便なものなのだ。その点ラウンジを使えると、そういう心配をしなくて済む。その上、飲み物食べ物新聞、何でも揃っているし、何でも無料だから言うことなしである。パリからマラガまでは約三時間かかる。飛行機も小さくなって、ビジネスクラスも簡便なものになってしまう。
 関空をお昼過ぎに飛び立って、マラガにつくのは現地時間で夜の十二時近くなる。日本時間では、十五・六時間と言うわけであるから、かなりの強行軍だ。夜中のホテルについて風呂に入ってすぐに寝てしまう。
 今年は、ちょっと趣向を変えて正午から始まる会議をサボって、と言っても別に何があるわけでもない、ただ二年ぶりに会う顔馴染みと、挨拶を交わし、会長のマリエッテさんから、名札と、部屋の鍵と、会議の資料を受け取るだけだから、夕食に間に合えば十分なのだということを今までの経験で悟ったので、今年は、マリエッテさんに、夕食には間に合うようにまいります、とメールで伝えておいたのである。別に何をするわけではないが、せっかく有名なコスタ・デル・ソウル(太陽海岸)へ来ているのだから、しばらく海辺で遊んでから、修道院へ行こうと思っただけのことである。ホテルの前の広い道路を渡ればそこはもう浜辺である。九月一日の朝は、晴れやかに澄み切っていて、人々はのんびりと浜辺で寝そべったり、海に浸かったりしている。泳いでいる人はほとんどいない。サーフィンなんて無粋なことをしている人は皆無だ。棕櫚の葉で葺いた大きな傘の下で、長いベンチを借りて昼寝を楽しんでいる。で、ぼくも四ユーロ出してベンチを借り、葉っぱの傘の下でゆっくり昼寝をすることにした。地中海の波は穏やかで、瀬戸内海のようだ。時差ボケの身体が次第にほどけてゆくのが分かる。
 しばらくして気がつくと、三時になっていた。よく眠ったものだ。やはり疲れているのだ。見た目には若いかもしれないが、体は正直だ。八十と言う歳はやはり八十だけのことはある。と妙な事に感心しながらやおら起きて、ベンチを借りたレストランで軽い昼食を摂る。夕食から一週間、修道院の質素な食事で過ごさねばならない。娑婆の食い物もこれがしばらくのお別れと言うものだ。こうして僕ののんびりとした太陽海岸での夏休みは終わる。
 お土産を買うのは面倒な仕事だから、ここらで済ましてしまおうと横着な考えを起こしたが、さてとなると何処にもお土産物屋さんの様な店はない。日本なら海辺に沿って、沢山のお店が出ているだろうし、そこらじゅうに空き瓶や空き缶が転がって、たこ焼きの容れ物などが汚らしく散らかっているだろうに、ここにはそんなものは一つもない。白い砂浜が美しくどこまでも続いているばかりだ。たばこの吸い殻一つ落ちていない。
 ふと見ると、浜辺に直径五メートルはありそうな大きな煙突のようなものが一本だけにょっきりとそびえている。所々に窓のような小さな四角い穴があいている。まさかこんな浜辺に昔のミナレットがあるわけもない、と思って、近づいて説明板を読むと、古い時代の灯台だそうな。フェニキアの人が船で渡ってきたときの目印だったのかもしれない。マラガに来るのはこれで四回目だが、今まで知らなかったのは、ただひたすら会議だけに出てすぐに帰っていたからだ。考えてみれば勿体ない事をしていたものだ。もう一度来られるなら、もう少しサボって、そこらを見物しようと思った。
 よく眠ったのですっきりした僕は少しその辺りを歩いてみることにした。アイスクリームでも、と思ったが、シエスタの時間なのか、店らしいところも皆しまっている。町中が静かなお昼時だ。昔イタリアの女友達が「コイチ、シエスタと言っても本当に眠っている人なんかいないんだよ」と言ってたのを思い出す。何をしているのかはご想像にまかす。
 ふらふら歩いていると、ちょっとしたコンビニかスーパーのようなところが開いていた。ありきたりのブランド物より、土地の物の方が面白かろうと思って、入ってみると、近所のおばさんたちが夕飯の材料を買いに来ているようだった。京都へ帰って、行きつけのお医者シャンの看護婦さんたちに、と思って、名前も知らないチョコレートのセットを買って出た。後日談になるが、このチョコレートは結局お医者さんへ行くのが遅くなったので、家で食べてしまった。あまり美味くないうえに、どれをとっても同じようなものばかりで、少々がっかりする代物だった。
 そうこうするうちに夕方になってきたので、タクシーを拾って、修道院へ入ることにした。TVはもとより、新聞、ラジオ、など一切娑婆の空気を伝える物のない、ただ質素な料理とマラガワインだけの清らかな生活が一週間続く。国際会議とは言うものの、実態はスペイン語圏だけ、それもスペインとアルゼンチンの会員だけの会議である。公用語は一応スペイン語、フランス語、英語、の三か国語となっているが、飛び交うのはスペイン語ばかりだから、僕にはさっぱりわからない。ただいつものようにマリエッテさんが発表されるペーパーをすべて英語に訳してくれているから何とか話の内容はわかるし、質問は英語ですると彼女が通訳してくれるから何とか会議の態をなす。(続く)



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