日本詩人クラブ国際交流の集い


              薬師川 虹一    


  2008年12月13日、青山学院のアイヴィーホールと言うところで、国際交流と忘年会があった。メキシコの詩人がくると言うので、出かけていった。メキシコの言葉が聞けるかも、と言う期待もあり、どんな詩人かな、と言う好奇心もあって、はるばる東京まで出かけた。
 案内どおり、地下鉄の出口を出ると、ちゃんとお一人が待ち受けていて案内してくださるのには驚いた。少しばかり案内してくださると、そこには次の方が案内に立っておられる。恐縮するほど丁寧な準備の仕方だというのが最初の驚きだった。
 昼食を食べ損なっているので、喫茶室に入って、ケーキセットを注文してお昼に代える。なかなか高級感のあるお店で、さすがは青山学院だと思う。卒業生らしい品のよい奥様方が静かに話しながらお茶を飲んでいる。騒がしい表通りと打って変わった雰囲気だ。結婚式があるらしく、若い人たちがそれらしい服装で集まっていた。


 会場へ行くと、式次第や詩人の紹介や、講演の梗概、名札等が渡されて、なかなか準備の良いことを感じさせられた。メキシコから来た詩人は、アンバル・パストと言う方で女性だった。始まる少し前だったのだが席はかなり満員で、前のほうへどうぞ、と言われて厚かましく前の方の席に座った。斜め前に大柄な白人の女性が座っていて、少し色の浅黒い男性と一緒に話している。隣の方に尋ねるとそれがパストさんだそうなので、早速英語で話しかけると、ちゃんとした日本語が返ってきたのに驚いた。隣の女性が言うには、どうやら、意識的に英語は話されないらしい。
 パストさんの紹介文を読むと、1949年にアメリカで生まれた方だそうだ。つまり私より丁度20歳若いと言うことになる。60歳か59歳と言うところらしい。話ていると隣の男性は、彼女のパートナーだと言うことがわかった。


 紹介文によると、彼女はアメリカの機械文明と、経済至上主義的な文明に嫌悪感を感じ、子供の頃からたびたび訪れていたメキシコの文化に惹かれ、25歳のときメキシコへ移住し、36歳でメキシコ国籍を取得したと言う。しかし金髪に青い目をした彼女がメキシコに溶け込むのは容易なことではなかったろうと思う。当時作られた彼女の作品わたしが男だったときを読むと、それがしみじみ判る気がした。女性の詩人が男だった時と言うのは、女性と言う素直な人間の姿で生きていなかった頃、という意味であろう。彼女はメキシコへ来て初めて人間として、女性として生きることが出来たのである。
 彼女はスペイン語より先に先住民の言葉を完璧に習得したという。残念ながら、その言葉で詩を朗読していただくことは出来なかったが、言葉に対して敏感なことがよくわかる話だと思った。彼女は言葉に拘る詩人である。詩人なら誰でもそうかもしれないが、彼女は言葉に魂が宿っているし、いなければならないと思っている。その点、アメリカ語には魂が宿っていないと感じているのだろう。いや宿っている魂が、自然な魂でない、と言うのだと思う。


 わが国にも「言霊」と言う言葉があるほど、言葉に霊が宿ると言う文化はあった。今では霊の宿らない言葉が横行している状態は、TVを見ているとよく判る。TVだけではない、詩人達の使っている言葉にだって、本当に魂がこもっているかどうか疑わしいものが多いのではないだろうか、と自戒を込めて、思うのである。それに反して、メキシコの原住民に近い人々の言葉には、霊が宿っていることがよく判ると彼女は考えた。
 そこで、そういう人々の詩的呪文とも言える物語を採集し編纂した『呪文と陶酔―マヤの女たちの歌』と言う素晴しい本を発行されたと言う。彼女がそういう呪文めいた詩を録音しようとしたとき、何度録音してもうまく録音できなかった、と言う不思議な体験を語ってくれた。呪文めいた詩の言葉の魂が、機械に取り込まれることを拒否したのかもしれない。


 私は少し意地悪質問をした。「直接口から出る言葉とテープレコーダーから出る言葉とは同じなのでしょうか」と。テープであれ、デジタルであれ、機械を通して出てくるとき、言葉はすでに加工されているのではないだろうか。答えは、「判りません」と言う日本語で返ってきた。これは私の質問の意味がわからない、と言うのか、直接口から出る言葉と機械から出る言葉との違いをどう説明してよいのかわからない、と言う意味なのかは私には判らなかったので、家に帰ってから、さらにしつこく、メールで、同じ質問を長々と書いてみた。その答えはまだ返ってこない。多分私の質問が通訳の方に、よく判らなかったのかもしれない、と思う。本当のところは、私は彼女が言葉の魂を大切になさるのなら、何故その言葉を機械に取り込もうとなさったのか、その真意が知りたかったのである。


 他にも興味深い話はあった。マリア・スーと言う女性と知り合った話である。メキシコ原住民の血を引く辺境の住人なのだが、金髪碧眼のパストさんが同じ人間であることを信じられないのだった。で、とうとう彼女はパストさんの体中を隈なく、陰部まで撫でてやっと彼女が同じ女性であることを認めた、と言う。このはなしはパストさんの「わたしが男だったとき」と言う作品にもでてくるのだが、このスーと言う女性との出会いに私はとても興味を持った。このエピソードはパストさんのメキシコ原始文化に対する強い憧れを示すものではないだろうか。憧れを持つということは、パストさんがどれほど原始文化との同化を求めていても、そこにはどうしようもない異質感の存在を示すのではないだろうか。
 この質問もどうやら理解してもらえないと思えたので、マリア・スーと言う女性は、自然そのもの(パストさんがどんなにもがいてもなり得ないもの)と理解してよろしいか、と言う単純な質問に変えたのだが、質疑応答の時間はなかった。


 国際交流と言うのは、何でもいいから、思ったことを尋ねてみることから始まるのではないだろうか。お話を聞いてありがとうございました、大変興味深い話でした、で終ってしまえばそれで終わりだ。知らない言葉での朗読を聞くのも交流の一つだろうが、折角本人がそこにおられて、お話をされたのだから、その話の内容について、何らかの反応をしてあげるのが礼儀と言うものではないだろうか、と思ったまでである。通訳を介して質疑応答するということは、なかなか難しい。これを隔靴掻痒と昔の人の言葉は実に上手くできている。場所を借りている時間のこともあろう、司会をしている方々がそわそわしておられたのがよく判るが、何とかもう少し時間を延ばせないものだろうかと思った。
 こんなに面白い話が聞けたのに、質問の手があまりあがらないのは何故だろう。


しかし、忘年会に変わって、宴会になると、詩人達はパストさんを我勝ちにとり囲んでそれぞれ何か話しておられる。それなら講演の後にすぐ質問してあげたら盛んな反応にどんなに彼女も喜んだことだろう。人前ででしゃばるのははしたないことだと言う日本的文化なのかもしれない。



 実はここに書けないようなもっと面白いお喋りをしたのだが、余りはしたないことをすると顰蹙を買うだろうから、ここらで止めておこう。







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