「会員の詩」の頁です。

関西詩人協会自選詩集(第9集)から
掲載させていただきます。

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北原千代



「海のエプロン」

       

    
エプロンにおかあさんが入っている
産んで育ててくれたおかあさんが今度はわたしのなかに
聞いていたとおりのことが起きた
エプロンからずぶぬれの黄いろい
潮辛い手が伸びてひっぱたかれている
ほっぺたが斜めである
ひっぱたいたのはだれでしょう
エプロンに入っているのは本当はだれでしょう
夕方には臨月のようにエプロンが膨らんで
二十人ほど入っている
くらいかなしい目と口が
早く電灯つけて早く消して早くつけて
エプロンの胎内は真っ暗らしい
走ってあえぎながら走って
エプロンに入ったおかあさんたちと列車の旅に出る
降り積もる季節の線路
窓の外には氷がはりつき
氷で表示された無人駅を幾つも通過する
いにしえの人びとの骨のうえを
鉄の車両が氷を割って骨を砕いて列島の肋骨のうえを
ひどく朱い夕焼けが
潮辛い雫を垂らしている
煮凝りのような目がエプロン越しに
地の果てを見ている
ターミナル駅でさいごに
たったひとりのおかあさんの
ふしぎに若やいだ指がわたしに教えてくれた
エプロンはこうしてほどくのよ

おかあさんを海に置いてきました


                      

  

所属:日本現代詩人会 詩誌「ERA」 個人誌「ばらいろ爪」
著書:詩集『繭の家』『真珠川 Barroco』エッセイ集『須賀敦子さんへ贈る花束』





岸田裕史


「エレクトロ 祇園町」

 

           
この子を拾ったのは八朔をすぎたころ
八坂神社の石畳によこたわり
胸にささったセルを抜いてほしいと見つめられた
着物のすそからメタノールをとりだし
傷口に吹きつけるとセルはすぐに抜け落ちてしまった
この子のまなざしのなかには
何か忘れることのできない解離が潜んでいる
それでも雪洞に照らされたこの子の肌は白く柔らかなので
わたしのお店につれて帰った

このクラブはわたしのすべてだった
白川をわたるとき
巽橋からこの子の清楚な下着と
ここまでたどりついた因果のすべてを棄てさせた
それから細い首を押さえつけて
白川の水を飲ませ
夜光性のストロンチユムを塗りたくった
しばらくすると紫外光に反射し
この子の裸はいままで見たこともないほど白く輝きはじめた
ああ ここまで白ければ祇園町でも暮らしていける
その白い肌をもっと艶やかにするため
降圧チョッパから電流を流し
エレクトリックな美白に仕立てあげた

冬がすぎて白川の桜に新芽が吹きはじめたころ
この子の深いまなざしに魅せられ
人のいいお客が通いはじめお店のなかは賑わいをました
この子は明るくふるまうお客の皮をめくり
隠されている悪戯を舐めつくしていた
その舌先が肌に触れると
どのお客も目を閉じてよがりはじめ
自ら皮をめくりもっと舐めてほしいと愁訴していた

この子はいったい何者なのか
この一年のあいだに
わたしが大切にしていたものを磨きあげ
人目につかないように密着フィルムのなかに隠してくれた
それからわたしの皮をめくって白い骨を舐め
今年もまた八朔をすぎたころ
八坂神社で若い女を拾ってほしいと見つめられた





 


所属:日本現代詩人会 日本詩人クラブ 「イリプス」 個人誌「CYPRESS」発行
著書:『都市のしじま』『メカニックコンピュータ』




横田英子



「蛍の道」

 

 

           
緑道を家に向かって歩く
自転車に乗った少年が
片側の道を通過していく
下校の子どもたちが
クラブの話をしながら追い抜いていく

公園の躑躅の紅が 夕陽に映える
少し向こう 通過していく南海電車
平穏に過ぎる初夏の一日
もう自動車免許返さないといけない
気楽に外出もできないと
悔しそうに語る友は 孫の話では笑顔になって

暗くなった帰路
外灯の光に 夫々の辿った道筋が浮上する
半世紀もの時代を重ねて
私たちは尚 歩む
夜の田舎の道なら 蛍が飛んでいたろう
もっと向こうの田圃では誘蛾灯の青い灯が
またたいていた

その遥かな時を振り返る
小学校入学は昭和二十年四月
夏休みの宿題は食料になる草を摘んでくること
終戦の日は夏休みだった
それでも草をいっぱい持って行った
何日か経ってビスケットが二枚配られた
そうだった 互いに頷いて

あれから七十余年
今も 草の匂いに満ちた味を忘れていない
思わず吐き出した草色のビスケット
そんな話も浮上して
さよならと分かれ道
外灯が点々と灯る道 家路を急ぐ




               



所属:「リヴィエール」 日本詩人クラブ 日本現代詩人会
著書:『川の構図』『風の器』『炎みち』他







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