「会員の詩」の頁です。

関西詩人協会自選詩集(第7集)から
掲載させていただきます。

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竹内正企



「老春のなぎさ」



八十路の老春に 米寿がやってきた

美のタブローは薔薇の妖精(フェアリー)に決めている

自在変化の妖精は裸婦の幻覚だが

うす紫の蝶が共演して面白くなってきた。

 

わが敬愛する詩人の堀口大學先生は

米寿になって文化勲章を受けられた

「門がまえゆかしき奥にひそみ咲く

 そのししむらの 花の恋しき」と詠んでいる。

 

サヨナラの先達詩人たちの遺訓は

生涯青春の気力を持続せよ という

老いて官能美も萎えてしまえば痴呆が近づく。

 

老春のなぎさには生命の繋がりがみえる

遠い海鳴りの彼方から響きあう貝の歌

摩耗された真砂のしとねに貝を産む連鎖

その中には 桜貝が ふたつ

 

耳朶の甘噛むイヤリングが

黄泉のなぎさにつづいている。

                       

  

 

所属:日本詩人クラブ 日本現代詩人会 フーガ
著書:『竹内正企自選詩集』『薔薇の妖精』『定本・牛』





司 茜



「なんで切らなあかんのやろ」

 

母の名は冨

 粋な黒塀見越しの松に仇な姿のお富さん

楽しげに歌っていた

まん丸だった母

 

母が乳癌だと告げられたのは

東大寺の修二会が始まったばかりの底冷えの午後

卒倒したのは付き添った私であった

 

帰り道

うどんでも食べて帰ろう

私をうながし

はよ食べや 冷めるで

割箸をさしだした母

茶碗のなかに涙と鼻水を流し続けるばかりだった

 

こんな羽二重餅のような

お乳をなんで切らなあかんのやろ

まん丸い手のひらに載せて

母が呟いた夜

火の用心

火の用心

拍子木が遠ざかっていった

 

リンパに転移もなく

数年 元気に過ごしているようにみえたが

いつのまにか鎖骨 脚腰へ癌は転移し苦しみの中で

三十年前の秋の彼岸に母は逝った

 

私は稼ぎに出ていたので

一度も家に帰りたいとは言わなかった

 

母の年を超え生きて

なお言い訳ばかりの涙を

お墓に流す

 

 

 

所属:日本現代詩人会 日本詩人クラブ 風鐸
著書:『若狭に想う』『番傘をくるくる』『塩っ辛街道』




小野田 潮



「鬼百合」

 

 

笹の密生している土手に

この夏も何十本もの鬼百合が

赤鬼の顔を競っている

だれに向かって威嚇しているのか

収支の数字を検証しながら

ぼくは赤鬼の方へ傾く

笹よりも高く首を出さねば

花を開くことができないから

鬼百合たちは異常に茎を伸ばしたのだ

 

だれかに手折られ賞でられたこともないのに

何十年も前から夏になればそこで花をつける

鬼百合に持続する意志が隠されているなら

ぼくにも学ぶことがある

損益のことばのなかで

仕事をすることは

貪欲な鬼の形相を秘めて

想像力を削り

鬼百合のリアリズムに与(くみ)することだ

                       



所属:日本詩人クラブ 日本ペンクラブ 日本未来派
著書:『源流』『夏日』『いつの日か鳥の影のように』







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