「会員の詩」の頁です。

関西詩人協会自選詩集(第7集)から
掲載させていただきます。

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北口汀子

「襲 撃」


西日を背にして十字路に立った私の行く先には
見知らぬ影が迫っていた
私の心臓は鷲掴みにされた
影はニヤリと私を見下すように笑った
私の鼓動が早まったかと思うと踵を返し
影に背を向けて走り出していた

あの日から 西日を背負うことが恐ろしく 日が落ちてからしか
職場を出られなくなっていた 怖がること自体不合理だとはわかっ
ても あの恐怖には どんな論理も励ましも気休めも通じない 
それからは 日が経つにつれ あの日のことが心に蘇ることも
少なくなり 俗に云う 平穏な日々が流れていた。

しかし

ある晩 同じ十字路に立った私の前に 再び影が現れた
なぜだ… こんな夜更けに……
月だ 西に沈もうとする月を背負ってしまった
見知らぬ影はニヤリともせず 私の目の前でその腹を裂いた
蒼い血が溢れ 私の足を濡らしていく

震える足を動かそうとしたが足はもつれ 蒼い血だまりの中に倒れ
込んでしまったそこにある影もまた 蒼い血に染まり 私の身体
と分かちがたく溶け合っていく身体中の毛穴を 細い針となって
突き刺さってくるのは 影なのか影の血なのか?

世界の輪郭がぼやけていく
脳髄に青い花が咲く
私にはわかる やがては
屍となっていく私の手
その指先からは漣がこぼれる
やがて
漣は流れとなり私を運んでいくだろう
運ばれていくまでの須臾(しゅゆ)のとき
私の身体は影のような棘に覆われ
その棘が養う甘い果実を貪るのだ

所属団体  関西詩人協会
所属詩誌  リヴィエール、たまゆら、瑠璃の坏
主な著書   微象(かそけきすがた)、漆黒の阿(しっこくのほとり)




小沼さよ子

「寒月寒夜」

寒月寒夜
家族にとどいた デザートローズ
砂漠の薔薇という岩石 ただひとつ魂をのせ
黒鳥よりも軽く
黒曜石よりも重く
重なった花びらの石がとどけられた

 涙じゃないよ
 ここは地の果てアルジェリア
 どおせカスバの夜に咲く女の
 うすうなさけ

寒月寒夜
重い歌が響いた
ホルムズ海峡を越えて
花びらの魂は過酷な労働のイナメス天然ガス
プラント施設エネルギーの土台の下に散って
いった
企業戦士という生業の果てに
死んで帰って来た
黒い薔薇の命よ
アルジェリアの
無窮の青い砂漠の星座よ
寒月寒夜
祈りしかない心に
白い雪が舞いしきる

所属団体  関西詩人協会、近江詩人会
所属詩誌  ガイア





正岡洋夫

「月夜」


久しぶりの
月夜であった
老いた松の枝の
塀の上に出ている部分だけが
影になって長く横たわっていた
その上に
右側が少しだけ欠けた月が
ぼんやりと浮かんでいた
頭を手術したあとのようだと
その黄土色の月をじっと見た
地面の近くを風が流れた
あれから何年が経っただろう
松の枝は傾いて
塀の上にもたれるように
葉先が掌のかたちに伸びていた
窓の向こうのベッドから
上半身を起こして
手を少し挙げているように見えた
今も呼ぶ声が
しきりに聞こえている
人のいない窓のあたりから
木霊のように聞こえている
あれはひょっとして
と思ってみたりするのだが
ああ、ともう一人の声がして
ただ月だけを見つめている
今はいつもと同じ月になって
にじんだ輪から放たれる
黄土色のひかりに
枯れかけた松の色が溶け出して
何か得体のしれぬ不安が
また空を覆いはじめていた
西のほうへ流れる風が
塀の上で止まっているような
静かな
月夜であった
                                  

所属団体  関西詩人協会、日本詩人クラブ
所属詩誌  Rivière
主な著書  『断橋の周辺』(近文社、1987)『時間が流れ込む場所』(編集工房ノア、1999)、『海辺の私を呼び』(同、2001)、『食虫記』(同、2009)

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