関西詩人協会会報第18号
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目 次2000年イベント英訳詩の刊行 第二回ポエムセミナー 朗読法の実技指導 第5回詩の色紙展募集要項 文学館ツアーの報告 国旗・国歌についての諸意見 明珍 昇 青木はるみ 森田魚山 中野忠和 吉本 弘 詩誌紹介(追加) 総会が11月にあります 詩界ニュース 会員の詩集 編集後記 ※ 詩誌案内追加しています |
2000年を迎えたからということでもあるまいが、ことしはイヴェントの当たり年。三年に一度の行事としての英訳詩集の刊行「琵琶と尺八と詩」として円形劇場でくりひろげることばの花火。朗読についての講義、実技のフルコースも。さらに恒例の色紙展も総会もと目白押しのフル稼働である。詩のコンビニ化に埋没することなく、現代詩との接点を求めて、それぞれが感動的で有意義な催しとなることを期待する。 |
英訳詩集は秋に刊行 ことしの秋に約40名の会員の作品を集めた英訳詩集を刊行する。(募集はすでにしめ切り)右開きで日本語のページ、左開きで英語のページを配置し、版型はA5版。 英訳はNorman Angus氏、村田辰夫、藤井雅人、薬師川虹一(総括)の各氏に依頼。11月の総会時に配布する予定。 |
講座「朗読の面白さ」 朗読はことばや文を声を出して読む技術ですが、情報の伝達や告知が目的の読みと、一方、言外の感性を促す深い朗読法(詩の朗読など)もあります。他には諳じる朗読「朗誦」、聞く人を異空間にまで誘う劇的、感動的な「語り芸」とも言えるような朗読まで。一概に朗読といっても幅は広いのです。 朗読は基礎講座(アクセントの事、イントネーションなど)から発声指導(横隔膜発声)までを知りトライする3時間です。(萩原朔太郎作「猫」を予習して下さい) 朗読法の実技指導 講師 花邑てん氏は吹田市在住 新舞台「朗読恬(てん)」主宰 朗読劇団まんまる代表 H9年大阪舞台芸術奨励賞受賞 大阪府中学校国語科研修会講師歴任 日経レディスセミナー講師ほか 著書「朗読けいこ本」(バーズアイ出版) とき 2000年6月25日(日曜日) 午後一時〜四時 ところ ドーンセンター(大阪市中央区天満橋) 参加費 会員500円 会員外1000円 ※ 希望者は自作詩で朗読したい作品(余り長くない作品)を30枚くらいコピーしてきて下さい。作品に添って朗読指導して貰えます。 |
21世紀へ言葉の花火を ー琵琶と尺八と詩ー 主 催 関西詩人協会 期 日 2000年9月2日(土) 開場P.M 2:30 開演 P.M 3:00〜5:30 場 所 應典院 大阪市天王寺区下寺町1−1−27 п@06(6771)7641 ゲスト 中山鳳水(薩摩琵琶)平家物語の弾き語り ウベ ワルタ(ドイツ人)尺八 入場料 前売 \ 2,000円 当日 \ 2,500円 詩の朗読のご希望の方は下村和子委員へハガキにてお申し込み下さい。〆切6月15日 なお多数の時はご希望に添えない場合があります。ご了承下さい。 |
第五回詩の色紙展 会期 10月7日(土)より13日(金)まで1週間 会場 西梅田地下画廊(地下鉄西梅田駅) 申し込み締め切り 9月15日(金) 参加者は募集要領に基づいて、前もってハガキかファックス、又は電話で、担当役員原圭治さんへ申し込んで下さい。 |
11月12日(日)に総会があります 第一部 午後2時〜5時 第二部 午後5時半〜7時半 会 場 東興ホテル(地下鉄南森町) (詳細は19号へ) |
第四回 文学館ツアー 第四回文学館ツアーは3月24日(金)正午、JR大阪駅に集合、茨木市立川端康成文学館、高槻市上牧町「本澄寺」ない、三好達治記念館を順次見学した。中岡淳一委員を中心に文学館担当の福中都生子事務局長らも合流。参加者22名。 富士正晴記念館見学中は雨だったが、退館時に日差し暖かく晴天となる。「川端通り」から川端康成文学館へ、阪急上牧駅→本澄寺間も徒歩で往復。並木道に沿っての文学散歩となった。 各館とも見学時間は充分で、多様な資料にゆっくりと接することができたが、とくに三好達治記念館では、達治の係累を継ぐ三好龍孝住職から、年表をもとに約1時間、熱意をこめた解説を聞き、4時半すぎ帰途についた。(柴田・記) 既に公表している記事です。 |
時 評 言 明珍 昇 民族の心ひらく国歌を ー「君が代」をめぐってー 「君が代」はふしぎな国歌である。戦中、ことあるごとに口ずさんだこの詞、このメロディーは「海ゆかば」「軍艦マーチ」と共に体内に伴奏されて、「大君の辺にこそ死なめ」「守も攻むるもくろがねの」…あの我が君が代に栄えあれと身を震わせた世代もある。そこに「大和ごころ」の証があり、「み民われ生ける験あり/天地の榮ゆる時に遇へらく思へば」の単一民族国家に生きるものとしての誇り、純血の息吹に溺れる世代もある。 戦後、天皇制を中心とする国体の護持がマッカーサー司令部によって容認され、新憲法の主権在民の思想のもと象徴天皇としての一系が温存されたのも、この強固な単一純血の国民性への怖れによるものであった。それは一面には占領政策の一環としての懐柔的取り引きでもあった。 その後「君が代」にとり替わるものという踏み込みはなかったとしても、放送協会提唱による国民の歌の試みもあったし、国民の心の襞にふれる愛唱歌として識者の意向の寄るところ、「ふるさと」「さくら」「荒城の月」「日の丸」などが話題にされることもあったが、いずれも国民的意志集約としては実を結ばず、その目的も当初より「君が代」に替わる国歌制定への推進の方向性を欠いたものであった。 さて、「君が代」の「君」は象徴天皇であり(政府見解)、代は治世のことである。戦時の幻影を引きずって生きねばならない世代にとっては、呪わしく耐えがたい歌であろう。そして今、それへの拒否反応は、それが一系賛美による復古への警戒というよりは、それが制定化への手続きと共に起こりつつある懐柔的な融和の風潮であり、本来美徳としての平和、協調のモラルのすり替え現象にある。極論すれば懐疑放棄を強いられ、惰性的風俗に流される思考停止の怖ろしさである。その黒白を未完成期の教育の現場に持ち込んで、踏み絵のように利用するは、最も忌むべき非教育的行為であろう。「君が代」を仰いで万民それを讃えるとは、象徴天皇と共に歩む平和国家のイメージとして微笑しい構図だが、そこでは国歌としてのテーマの偏狭さが問題なのである。百歩ゆずって相互敬愛の応答としても、より幅広く多くの民衆の素直な共感において妥当なものであろうか。また、歌詞とメロディーの音楽的不一致も指摘され、詞としても、色調やひびきが紡ぎ出す国語としてのふくらみや余韻に欠けている。民族の心の襞から遠ざかった歌からは、地球人としての理解も友情も生まれることはないのではないか。 そのような体制やイデオロギーを単直に押し出した偏狭な歴史観よりは、自然的因縁としての火山列島の風光明媚の山水や潮流めぐる宿命的風土に生きる民族の地の底からわき出るような生の喜びや伝統的感性の重層のこだまとしての歌が、民族の幅広い意識の集約として成案されることは望外のことであろうか。筆者はひそかに、島崎藤村作詞の「潮音」(若菜集)を思ってみるのである。 |
国歌の歌詞しらべ ー詩の周辺 C− 青木はるみ 君が代の「君」と「代」の解釈が問題になっている。小学校音楽教科書では、国歌君が代は「君が代は千代に八千代に…」で始まっているわけだが、これが古歌と明示され、林江守作曲であることは案外知らされていない。国歌は『古今和歌集』巻第七「賀歌」であり「わがきみは千代にやちよに…」であった。 明治三年、薩摩藩砲兵隊長大山巌が古歌「君が代」を国歌に選び、海軍軍楽隊教師のイギリス人フェントンが作曲、明治13年に宮内省雅楽課の林広守らが雅楽調に作曲。それをドイツ人エッケルトが「君が代」に編曲したのだそうで、ちょっと、このことを聞きかじったとき私は、へえ、何だか最初のうちは国際協力というか、柔軟な発想だったらしいなと思ったものだ。どうも、国歌の法制化の問題が柔軟性を消失させることはわかるが、イギリス人が慣習のみで、典型的な君主賛美を歌い継いでいることを考えると、いったい世界の国歌の歌詞はどうなっているのかと、気になってきた。一般公募して決めたのはオーストラリア、ジャマイカ、フィジー、ハンガリー。公の場で二曲組み合わせて演奏する南アフリカ共和国。二つの歌を国歌として認めているのが、ニュージーランド、デンマーク、タイ王国。つまりオリンピック用にはAとか、他のシーンではBとか。王室用、一般用とか。 さて誰を讃えているかといえば、イギリス(女王)、アメリカ合衆国(星条旗)、カンボジア(国王)、大韓民国(わが国)朝鮮民主主義人民共和国(国)、コロンビア共和国(はらから)、インド(きみ)、パナマ共和国(国民)、スイスは(神、わが父なる祖国の王)となる。 私などがいいなと思うのは、親しみのある歌を国歌にする形。例えばスゥエーデン王国「古きこの国 ほこれり/その名は いまも高く/われら変わらず 勇まし/栄光の国に住まん/栄光の国に住まん」 オーストリア共和国「ひらけし 山河 響くは つちおと 榮ある未来/まご子のふるさと/うつくし この国 輝く わが国/輝く わが国」いずれにしても国歌の歌詞というのは面白くない。 |
定着は 日の丸? 魚? 森田魚山 定着した 定着だあと 痔痔狡憐慄で大騒ぎ ここは琵琶湖世界有数の古代湖です シカゴ市長から現天皇へ送られて約40年 1962年から3年間で県へ2,242匹! 滋賀県の設備で育て殖して目標80万尾! 子鮎を モロコを エビを食い食い散らし ここ5年で9.7倍の大激増! 魚の名はブルーギル%結桙フど真ん中 皇居の一つのお堀で約90%は当たり前 日本中の池や川を占領させ定着させた 「日の丸」を定着させたいが定着しない 自自公党が悪堕組み 定着した 定着だと叫べど 決めれど 定着しないは当たり前 日本中に定着したのは 「日の丸」ではなく 移植した魚 外来外魚ブルーギル! |
敬意は表すべき 中野忠和 「君がよーお前がよーと歌ひたし」、 「千代ちゃんと八千代ちゃんの歌かかいな」。 こんな川柳をある所に寄稿したぐらいだから、私は「君が代」を畏れ畏れてはいない。でも「君が代」吹奏裡に日の丸が掲揚される時には敬意を表している。 つもりだ。 例えば甲子園の高校野球の開会式を見に行った時など、起立して足を開き、踵を合わせ手をズボンの折り目につけて聴き入り、日の丸に注目する。国歌・国旗に対する礼儀だ。 前述したように「君が代」を畏れ畏んでいるわけではない。その上、好きという訳じゃないから国歌は「君が代」でなくてもよい。変えようという意見には反対もしないし、「君が代」よりもっと日本にふさわしい国歌が作詞作曲されていいし、されるべきだ。でも、「君が代」が国歌であり、「日の丸」が国旗として国際的にも認知されてるんだから、少くとも公式の場では敬意を表して聴くべきだ。勿論、過去の戦争につながる記憶を拭い去る事はできない。それでも新しい国歌・国旗がきまるまでは敬意を表して聴く姿勢を持っていなければ、新国歌・新国旗にも敬意を表して貰えない。 蛇足だが、「君が代」はロック調で歌われてもよい。「君が代行進曲」とあるんだから。 |
国旗・国歌考 吉本 弘 国旗、国歌は、国家と国民を統合する一つの拠りどころであり、その意義にこそ存在するものである、というのが私の基本的な考え方です。従ってこれは、本来的には個人の思想信条の自由とは、相対する原理が内在していることも、私の考えの前提です。この考え方からすれば、国旗、国歌の必要性を否定するものは、国家と国民の統合不必要乃至は軽視しているものと思わざるを得ません。 もちろん、国家、国民を統合する手段としては、国旗、国歌だけではありませんし、またそれのみでなし得るものでもありません。しかしこの場合、国旗、国歌は最も重要で、簡潔で、象徴的なものであると評価します。国旗、国歌のみで、国家と国民を統合することは不可能ですが、政治(外交、防衛を含む)、経済、文化などの体内の伴奏≠ニして重大な役目を占めていると考えます。国家、国民を統合することは、理屈よりもむしろ民族として持っている潜在的な意識と感情の鼓舞と扇動であります。 戦後の日本人は、日教組の教育と進歩的<}スコミと知識文化人によって、思想信条の自由と個性の尊重などの個人の自由について大きく啓蒙されました。しかし一方で、民族意識、伝統心情、国家思想は影を潜めました。幸いなことに、日本は単一民族の島国国家で、民族戦争がおこる自然的基盤がなく、単一国家民族としての体裁体面を保持しつづけています。 今日の国旗、国歌論争は、表だってこの国家国民の統合という意義が主張されず議論されています。国旗、国歌肯定推進派は「国家、国民の統合」に対するナショナリズム≠ニいう的外れの批判をおそれてか、この意義を前に押し出していないとしか思われません。また反対否定派はひたすら個人の自由と個性の尊重のみの視点からのみ主張を繰り返しています。 私の国旗・国歌論ですが、私は国旗・国歌は必要で、国旗は「日の丸」、国歌は「君が代」で良いと思います。この目的からして、どこかにもっと真実無上のものがあると仮定しても、現在はこれ以上の歌詞のものは考えにくいからです。 憲法上、「象徴天皇」はなかなかの発想であり、現在では国民の思想に定着した究極の民主主義論法であると思っています。「君が代」反対派は「君が代」「日の丸」イコール戦争もしくはオートクラシーを論拠にしているようですが、この主張ほど世間の事情に疎く、日本国民を愚弄する議論はありません。 戦後54年、戦争を体験した私たち世代をはじめ、いわゆる戦後世代に至るまで「日の丸」「君が代」で戦争を惹き起こしたいという者はおりません。現在の国民はそんなお粗末な人ばかりではないと私は確信します。「日の丸」「君が代」はこうした政治的根拠からして、国民の代表による国会において憲法に忠実に、国民の総意として国旗、国歌として、追認までされていることは何人も疑義をはさむ余地のない事実です。 勿論それでも、個人としてこれに反対することは自由ですが、国会によるこの結論は、いささかの不満はあっても、民主主義国家ではこれに従わねばならない重大な義務が自由の権利と同様に存在することを忘れてはなりません。 |
エッセイ ・江藤余波 田井中 弘 毎月購読している月刊雑誌の中に「文学界」がある。大抵1日かせいぜい2日で机上から消えるのだが、今月は珍しく机上におかれたままである。『追悼江藤淳』と丸谷才一・俵万智の特別対談『百人一首腕くらべ』関川夏央の『新しき村』。それに渡海仁の『書店の現場から』(現代詩が売れない時代、あの詩人たちはどこへ?)があるからだ。 毎年のことだが、梅雨が終わり、夏日となると、年老いたゆえだろう、朝早く目覚め、涼しい間にと、5時過ぎには田圃に出向き、減反による休耕田の草刈りをする。その時、もう2メートルにも伸び、木のように硬い、セイダカアワダチソウにきまって立腹する。日本の草なら風の靡くように、草刈り刃の回転に従って倒れて行くが、彼はすっくと立ったまま、倒れようとしない。腹立ち足払いをかけるように、さっと引くと、長々と横たわり、次に刈るべき場所に倒れかかる。二倍も三倍以上もの労力がいる。持病のある私は、思わず失禁している。それに枯れて乾燥しても、燃えもしない。ブルトラですきこむことさえできないのだ。 七時には仕事を切り上げ、帰宅し、湯を浴び、朝食をすませ、高校野球を見ながらさて「文学界」を読もうとするのだが、机に凭れたまま疲れて居眠りし、半分夢を見ている。4月の10日過ぎだった。野洲町の友人の嶽山武良夫氏が来遊し、「江藤は『私と妻』のようなつまらんもの書きやがって」といきなり言った。私は江藤は余り好きではなかったが、『私と妻』は第一、無駄のない文章と恋々とする女々しさがあったのが、江藤らしくなくて好きだった。嶽山氏は早く妻を亡くしたから強がりを言っていたのだろう。嶽山氏は今会えば何と言うだろう。江藤がなぜ伊東静雄の「反響」が好きだったのか。などと思い、だから、当分「文学界」は机上の儘なのだろう。(柵 同人・平成11年度農民文学賞受賞者) |
短 信 市が文学館シンポ 設置推進に動くか 大阪市教委主催「(仮称)文学センター・プレ事業」(94年〜)の第6回として、パネルディスカッション「わたしの好きな大阪の文学」を、2月5日、西区で開いた。コーディネーターに「関西文学」編集長で市の同センター基本構想・基本計画委員の河内厚郎氏、パネリストに同基本構想委員長・同計画策定副委員長の難波利三氏ら作家四名が当たり約220名が参加した。 大阪を基盤とした小説や作家の話題が主だったが、「インターネット文学館」「文学街区」構想も話し合われた。会場からの発言も募り、1月25日付読売新聞紙上に「心をいやす『大阪文学館』を」を発表した当会員の三島佑一氏から設置促進の要望があり、柴田も現代詩の分野の熱意と希望を表明した。(柴田忠彦) 文学館陳情書 1,000名分を提出 11年10月15日、文学部会で集めた署名959筆を大阪市へ提出した。 同日、野口運営委員長をはじめ、松村信人(散文)、水谷なりこ、原圭治(詩)、萩本阿以子(短歌)、立岩利夫(俳句)、竹森雀舎(川柳)の各代表6名も同行。 応対したのは、文学センター担当の窓口である市教委社会教育部の岡村憲一企画主幹で、席上、各代表から陳情項目に関わって、要望の内容を具体的に伝えた。 大文連・文学部会として一日も早い文学センターの建設を望むが、当面、具体的に難波の精華学習ルームに文学センターの準備室を設け、文学資料の収集と会議室の確保を実現できないか検討してほしいと要望して終了した。 署名の内訳 関西詩人協会 133 他文学団体 210 演劇関係 202 大阪写真家協会 25 府美術家協会 33 親子劇場 72 個人その他152 合計959筆(「大阪文化のひろば」122号より) |
会員の皆様、詩集のご出版おめでとうございます(2000年)
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詩界ニュース(2000年)
各賞受賞詩集
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山口三智 | 新芸象 | 萩原迪夫賞受賞 | PO会員 |
味園史智郎 | 群 峰 | 新人賞受賞 | PO会員 |
「現代詩・平和賞」を創設 詩誌「陽」の会では、創立20周年を迎えるに当たり「現代詩・平和賞」を創設する。 対象 詩友賞(詩集・評論・同人詩誌) 正賞額・副賞30万円 同人賞(上に同じ) 正賞額・副賞20万円 2000年1月〜12月までの発行奥付のあるもの。 〆切・2000年1月10日消印のあるものまで有効。 選考委員・小海永二、明珍昇、原圭治、福中都生子(総括) 送付先 〒546-0033 大阪市住吉区南田辺2−14−23 пEFAX (06-6692-0888) |
編 集 後 記 私は徒に思想を詩の第一義にもち出すものではない。まして観念やイデオロギーにおいては尚のことである。それに替わるものとして存在としての側に生きる現実派である。 国旗国歌の法制化に前後して、「放置国家」返上とばかりにガイドライン法や国民皆背番号制、通信傍受法が動き出し、祝祭日の便宜的移行、2000円札の発案など軽重とりまぜて新世紀へのご祝儀案が目白押しに提案、実施された。その反面、滅私、天声という各界のリーダーの宣り詞のかげに、各界至る所に先送りされた懸案が解決されたことは聞かない。果ては「考える教育」の材料に日の丸、君が代を持ち出した良心者が処分の対象となる。権威の背景にはつねにまやかしと隠匿の赤ら顔がつきまとうのだ。かくして生半可な集団主義の傘の外に追いやられた真実や個人や主体性といった古びたことばが、さみしげに痛々しく霧散していく。均質化に走るものは危うく、その衰弱は一途である。 この号をもって私の編集担当は終わる。足かけ4年にわたるご理解ある御協力の程厚くおん礼申し上げます。(明珍 昇) |