関西詩人協会会報第16号

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平成11(1999)年10月1日発行者 杉山平一


水平線


関西詩人協会 ホームページ


目 次


第六回関西詩人協会総会ご案内
<受賞作>   宿 題  青山由美子
選考経過と選評
講座、朗読、文学散歩が希望
第19回詩の教室  5月15日(最終回)
会員の活動

時評言
エッセイ
国旗、国歌についてご意見を
会報委よりの報告



第6回(’99年度)

関西詩人協会総会ご案内


  日 時   11月7日(日) 14時〜17時
  会 場   京大会館(京都市左京区吉田河原町15−9 TEL(075)751-8311
  総 会
    関西詩人協会賞授賞式
    本年度運営、収支報告
    次年度計画、予算案
    次期運営委員の選出
    新入会員紹介
  講演 「詩と俳句の言葉」
          講師 俳人 坪内稔典氏(「船団」代表・京都教育大学教授)
  詩の朗読 自選詩から
  懇親会 17時20分〜19時20分
  会 費  6,000円     


第一回関西詩人協会賞

<受賞作>   宿 題  青山由美子

 

夏の夜に出かける
堀の回りをひと回りすること
少女の頃からの宿題だ
二人の子供は小走りに先を行き
夫はいつのまにかいなくなっている
また いくさにでも出たのだろう

二条中学の生徒だった頃は
マラソンといえば二条城
ひと回りしてから家に帰るように言われたが
私の家は主(あるじ)を失ってガラガラ崩れていたから
走っても走ってもゴールは見えず
すべてを封じ込めた水藻が深くなるばかり
ひとつめの角
立ち止まって待つ娘と息子
ふたつめの角
小さな手足がにょきにょき伸びて
みっつめの角
息子はいくさの準備を始めた
よっつめの角は見えないが
娘は知らない誰かの顔になり
息子は堀に飛び込み石垣を登り始めるだろう
またひとりになった私の横を
ざんばら髪のさむらいが通り過ぎて行く
足をひきずり鎧をきしませて

帰る家はどこか
宿題をやり残した者たちが
今夜ももくもくと歩き続ける
青山由美子さん略歴
  • 1959年7月5日生
  • 京都教育大学卒
  • 神戸「市民の学校」記念文学祭新人賞受賞(1991)
  • 第一詩集 「赤い夜」(1993)
  • 詩誌「すてっぷ」同人


選考経過と選評

青木はるみ

関西詩人協会賞は第一回目なので、よく知られていない上、短期間の募集だったが57篇のそれぞれに真摯な作品が届いて感激した。まず事務局の原圭治氏宛に郵送された作品はチェックしてのち名前を消し、作品のみをコピーして三人の選考委員が受け取り、自宅で充分に読み込んでから十篇を選び、七月二十四日選考会場に持ち寄った。

私が選考委員長に決まり、原氏立ち会いのもと、最初に五十七篇全体を展望しての感想を各自が述べ、次に選んで来た十篇を用紙に記入し、原氏が集計した結果、三人がすべて選んだ作二篇が浮上した。「宿題」と「握手」である。あと二人が選んだのは「蝶の舞う木」「凶器」「偶然」「種のプログラム」「兎」でこの五篇に丹念な検討を加えた。しかし一人しか選ばなかったにしても「肋骨の籠」の体制への静かな抵抗感と芸術的な文体の魅力は、充分に三人の心をとらえていた。

いよいよ、上位の「握手」について話を進め共感を得たものの、やはり現代を生きる我々の不安を鋭くイメージ化する点で、「宿題」の方に選考委員三人の賛成がすんなりと集まった。「宿題」というタイトル自体、人生に於ける誰もが抱えているものを暗示させているし、しかも観念的でなく具体的に「場」を据えて空間と時間に奥行きを与えている。自己の体験を介入させつつ妄想の深まりを二条城という舞台で成功させた。

関西詩人協会賞が「宿題」に決定。そして原氏から作者青山由美子さんの名が明かされた。応募リストを眺めてみると、静岡、名古屋、倉敷、横浜、福岡、松山、高知……と実に広範囲。ふだん関西詩人協会の催しに参加しにくい人に、この賞の意義があるように、と今後も期待したい。

金堀則夫

先ずこの賞は新人賞であり、今後の詩作活動を奨励するものであることをしっかり踏まえて選考に臨んだ。三人の選考委員が、集まった五十七編から第一次審査をし、十編ずつ選んだ。三十行以内という規定の中で詩の書き手がどう一編の詩に表現するか、それが決め手である。一編の詩を評価して「賞」を決めるのはどうか、という声もあるが、詩一編で選考される緊張感が「賞」としてふさわしい。詩の書き手を評価するのではないから、あくまで三十行以内の作品のみで選考されるのである。「桜・賛歌」という作品もよかったが、少し行が越えたということで選考外になってしまった。
 また、新人賞である。詩作における新人という概念をどうとらえるか、かなり年配者の作品もあったようだし、詩作の熟年者もおられたようだ。審査するとき、なまえが伏せられていても作品からそれが感じられる。応募する側が新人という意識ならば、それで対応すればよいのであろうと考えた。
 青山由美子氏の「宿題」は三人が一致して選んだが、吉川朔子氏「種のプログラム」は捨てがたい作品であった。


津坂治男

題材・方法とも多種多様で、そこがいちばん楽しかった。ただ、独立した作品としての必要十分条件が満たされているのは少なく、そこが今後の課題と思われる。
 入賞の「宿題」は、描かれた空間と時間に厚みがあり、不分明なところもかえって想像力をかき立てられた。結びにかけて、世紀末に生きる者の不安感にじみ出ている感じだ。
 これと並んで印象に残ったのが「握手」ですべてが「数字と数字のたし算ひき算ですまされる時代」を前に「同じではありませんという握手」が必要だろうという意見、全くその通りだと思う。ただ問題は、その状況・気持ちが詩としてどう形象化されているかということで、いっそうの表現努力を期待したい。
 このような批評は他にもいくつかあって「凶器─二十世紀末─」と「トカゲのしっぽ」も目にとまったが、それぞれ観念と現実との接点が多少ぼやけた感じを受けた。
 ともかく、新しい詩的世界を産むための陣痛をともに味わわせていただいて、いい勉強になった。


講座、朗読、文学散歩が希望
                   ──アンケート結果から──

 本会発足以来、はじめての会員アンケートは五月から六月にかけて実施回収、回答者は121名であった。そのうち、行事催しについての項目では講座52、朗読48,文学散歩45,実作指導24の希望に分かれ、会報発行の回数については年4回の希望が43、3回が43、2回が21、となったが、このアンケート結果をふまえ、本年京都で開く総会では講演を設定、会報については年4回(季刊)の発行案が6月19日運営委員会で提案された。

 アンケート回答の中には、詩人叢書の出版や他ジャンルとの交流、視覚障害者向けのテープ作成など意欲的な提案もみられたが、まだ現状では手が回らないものもあり、総会開催地の持ち回りも関西一円、中国四国地方への会員分散という地域広がりの難題もある。

 次ぎにその一部をピックアップする。
○詩画展の開催
○詩についてのトーク
○パネルディスカッション
○詩の合評会
○文学センターで詩誌・詩集の展示・即売会
○会報は特定の人にかたよらずグループの活動、交流の場に
○会報の増ページを
○老人の行き場を
○現代詩資料館の設定を
○みんなの協会として活動できるように
○意欲ある会員に運営参加の道を。
今後これら貴重なアンケートの回答結果をふまえ、会運営に反映させることが課題となろう。

第19回詩の教室  5月15日(最終回)
               言葉の火矢  山村信男
 あらゆる詩の言葉は究極の言葉である。この命題をかざして最終の詩の教室に臨んだのだったが、当方の力不足と、時間切れで十分に語り得なかったことが残念である。たかが現代詩。とみくびっているわりには、当方執着心旺盛で、従って、されど現代詩のされどの処をしっかり踏まえて頑張ったつもりであったが………。

本日の聴き手のの中にモンゴルからの若い留学生がいて、最前列で熱心に私の拙講に耳傾け、且つは自作詩まで発表した。日本語にはかなり習熟していると見受けたが、なにより未完の青くささが爽やかで、無自覚な神経症的な言葉に毒されていない、一途な言葉運びが気持ちよかった。今までの遊牧文明を築いてきたモンゴル民族が、21世紀をいかに切り拓いていくか、日本という異国の地から望郷の思いを込めて、広角的に放たれたこれらの熱血あふれる言葉の火矢は、核心部を射抜く射抜かないにかかわらず、このところ冷め気味の当方の心情をいたく刺激した。この事は当日の貴重な収穫の一つだったと思っている。ありがとう。

「詩の教室」聴講の記 奥田博之


関西詩人協会の「詩の教室」は、平成8年3月の第1回講師日高てる氏に始まり、平成11年5月第19回山村信男氏までおおむね隔月に開かれてきた。開講されてみれば、私は第1回から一度も欠かすことなく出席していたことになる。私は、平成7年12月に第一詩集「ガラスのうさぎ」を詩画工房より上梓したが、そのあとがきに次のように記した。「詩について、私は門外漢で詩の世界の動向がわからない。日本をはじめ世界にはどのような詩人がいて、様々な提唱が行われ、様々な手法で書かれた作品があるだろう。そのこともわからないままである。これまで詩にはまったく縁のなかったわたしが、詩集を出すことに如何程の意味があるか不安であった」と。その同じ気持ちを引きずって、「詩の教室」に参加した。振り返ってみれば、それは私にとって必要な学びであった。詩論や詩評、詩については勿論のことであるが、色々なタイプの講師の方にお会いできたことが嬉しかった。各講師はそれぞれご自分の詩の特有の表現を持つ詩人の方々で、人間としてもその詩を見る目にしても、バラエティーに富んでいて益するところ大であった。 ある講師は咄々と語られ、ある講師は雄弁で熱心に、或いは噛み締めるように語られた。殆どの講師はご自分で資料を用意しておられたし、或る講師はビデオを用いて話された。自分の詩歴を語りながら、自己を語る語り口の方もおられた。明治以降の近代詩より現代に至る詩の歴史を資料を用いて語られた人、ご自分の詩と、詩の知識を色々と披露された人、詩の形式、手法、詩表現に出来る限り立ち入って話された講師もおられた。他の人の自作詩の朗読も聞けたし、私も自作詩は毎回欠かさず発表し、助言を得た場合も少なくない。また、知遇を得た人もいる。第3回講師福地邦樹氏は平成9年2月に逝去された。氏の話を聞けたことが私の貴重な思い出となっている。


全19回に及ぶ「詩の教室」も、この5月をもって終了した。参加者は延べ332名に達した。今回は特に「詩の教室・聴講皆勤の記」として、奥田博之氏に回顧して頂いた。お世話頂いた原圭治氏の労を多として厚く御礼申し上げたい。(編集部)
会報17号を読む


会員の活動

「柵」150号と三人の受賞祝賀会

 詩誌「柵」志賀英夫主宰150号刊行と田井中弘氏(農民文学賞)南邦和氏(宮日出版文化賞)山南律子(神戸ナビール文学賞)の受賞を祝う会が六月十三日(日)午後三時から大阪南森町の東興ホテルで開催された。
 杉山平一氏の講演や参会者の自己紹介など五十六名の出席者の和気こもごもの懇親の集いであった。

朗読グループ「風」25周年の催し

 水口洋治、左子真由美さんらの「詩を朗読する詩人の会・風」が設立25周年を迎え、『あんそろじー「風」』の六冊目の出版を祝う会が尼崎市内で開かれ、会員九人の詩に曲をつけてソプラノ歌手が歌い、詩の朗読や「詩・美術・音楽」についての座談会があった。第二回風賞は最優秀賞は該当作なし、優秀賞飯島和子、石村勇二、増田耕三、山本耕一路と決定し表彰が行われた。
 同会は毎月第三日曜日に大阪天王寺の喫茶店で詩の朗読を行ない、関西在住の詩人をゲストに呼び詩の魅力について語り合う。


金時鐘詩集『化石の夏』を読むシンポ

六月二十六日、大阪府立中央図書館(東大阪市)ライテイホールで金時鐘(キムシジョン)(本会会員)さんの注目の新詩集『化石の夏』を読むシンポジウムが開かれ、詩人や市民340人が集まった。
 第一部で金真須美さん(女優)が、詩集の中から「化石の夏」ほか数編を朗読し共感を呼んだ。
 第二部の基調報告では、パネリストの作家梁石日、一橋大講師鵜飼哲、詩人瀧克則の三氏がそれぞれ日本語で詩を書くことの特性≠強調した。「旧植民地時代の子どもの頃から刷り込まれてきた日本語で詩を書くことの二重性」を解読した梁氏。鵜飼氏は「その過去の封印と生の軌跡をたどることで、日本語が世界文学となるための金詩の位置」を述べ、瀧氏は「なお疎外されている金さんの詩の復権」を訴えた。司会の細見和之氏が「唖蝉>沂烽ウんの詩はそこから─」とまとめたあと、第三部では、金さんが『今、居る場所』と題して講演した。
 「私は、なぜ日本語の回路を通ってしか詩にたどりつけないのか。今もって日本語とのせめぎあいの中で表現活動している」苦衷を吐露し、日本の現代詩の閉塞状況打破の必要性を熱っぽく聴衆に語りかけた。(南村長治)


 時評言


短詩の流行?

短詩の流行?とやらが最近詩書の批評らんになどに目につく。一行詩かどうの、五行詩がどうのと外形好きが文芸信条に事欠いて、定義づけを目論んだりするものだからか。しかし、所詮詩作は個々の内実にあるのものだし、行き詰まった詩作への打開に託す消極派も含めれば、枠組みをまず設定して事件化し脚色することは意味のないことだ。

それらの論評には短詩かくあるべしと気色ばんで、昭和初期の短詩運動家顔負けのマニュアル好きもいるし、四行詩とか五行詩を短詩の正統とか言って殻にたてこもる慢性やどかり派もある。
しかし作る側の多くは六行から十行くらいの詩篇でも短詩と思っているのだし、何よりの書いている本人は恣意的に数行詩くらいの思いで作っているのであって、それに目くじら立てて山頭火の自由律俳句などをあげつらって、語の凝縮、緊迫性は段ちがいときめつけても、作る側は俳句をめざして短詩に止まっているのではない。ちがったサンプルをまず規定し、それにあてはめてどうのこうのというのは本末転倒というべきであろう。

本来、詩はかくあるべきというのもナンセンスだ。見開き2ページに四行ほど並べてその前後、余白余韻を楽しむべしと、したり顔のおせっかい好きもあるが、作る側はスペースのむだを省き、なるべく多くをのせたいという大阪即物のこころでやっているのもあるのだ。

それに何よりも短詩は諧謔敵自由精神の発露ゆえに不定型をのぞむのではないか。おせっかい派の言は、それを発する人の次元のありようで受け取りようも異なるだろうが、ついには言うに事欠いて短詩の運動もこれくらいが関の山だとか、最近は沈静化現象だという勝手な尻ぬぐいには、開いた口もふさがらない。詩ある限り短い詩はいくらでもあるのだ。(M)


エッセイ


詩が生まれる時(下)   中岡淳一

殊に私を感動させたのは、還暦をとうに過ぎた詩人の若々しい詩精神である。その感性が紡ぐ言葉の断片、イメージは忽ち、一篇の詩を構築させる時もあるだろう、が総じてじっくり醸成されるのを待つ。詩はその詩人の主題や、書法により、同じモチーフを扱っても、イメージの捉え方、構成力や表現方法で全く異なる作品が生まれるが、凝縮された言葉により構築される世界だから、単なる行切り文の羅列ではなく、煌めく言の葉の結晶体でありたい。現代詩の読者は同時にまた、詩を書く詩人でもある。だから詩を書く者すべては、衆目に晒され批評の場に立たされているのだ。そして、否応なくさけて通れないのが、現代という曖昧な社会を構成している一員であるということだ。だから誰もがアンチノミーを背負って生きている、その背景が照射されていない作品に、わたしはあまり興味はないが、詩はまた、そんな状況を無視してでも生まれる。

学ぶのは楽しいこと  片山 礼
TVドキュメンタリー人間劇場「捨てたら終わりや!岸本おじさん生きまくりの詩」を見て

現代はモノは豊かになったが心は貧しくなった、としばしば言われるが、私はその言い方には同調できないところがある。生活に必要なモノは、ないよりあった方がいいに決まっている。電気、ガス、水道、そして学校。こうしたモノもない状況で暮らしている人たちは、まだまだ地球上には沢山いる。ネパールを訪れた詩人の岸本さんは、計算ができないために労働の報酬をごまかされても分からなかった子供の話を聞いて、ショックを受けた。教育が必要だ、と思った。義務でなく自発的な教育が。そして本当に、村に小学校を作ってしまった。スゴイなと思う。障害認定一級の身で、学校へ行けなかった岸本さんにとって、勉強する機会もないまま育ちゆく子らの存在は他人事ではなかったのだ。

早朝六時、村の子供たちが、一日分の水を汲みに、山道を下りて、又登る。両親はすでに働きに出かけ、自分たちで朝食の準備。それから学校へ行くまでの一時間、教科書を開いて読み書きの練習をする。そんな姿を見ると、学ぶことは本来こんなふうに、楽しくすばらしいことだった筈だと気づかされる。一体いつから日本では、勉強といえば面白くもなく、教室は息のつまる場所になってしまったのだろう。

見上げれば広大な山脈が続くラトポイロの村の丘で「ここが故郷のような気がする」と語る車イスの岸本さん。読み書きを教えてくれたお父さんを「宇宙のような存在だった」と言う岸本さんは、岸本学舎の子供たちからみれば、まさに「宇宙のような」お父さんであるかもしれない。(6/23テレビ大阪で放映)


国旗、国歌についてご意見を

 日の丸、君が代について国旗、国歌とする法制化があっという間に国会で承認されました。本会報でもいつか取り上げてと考えていたところ、その機をのがしてしまった感ですが、法制化されることと強制的実行ということとは別のことで、今となっては落ちついてその経過をふまえ、(特に君が代については)ことばに生きるわれわれとしての意見を述べることは誇りある責務のように思われます。
 賛成すれば右翼、反対すれば左翼といった割り切り方でなく、地球規模の民族的知的感性の上からもご自由に「声」をお寄せ頂けませんか。宛先は編集部へ。


★会報委よりの報告

▼会報は年三回、二、六、十の各月一日に発行します。原稿しめ切りは各一か
月前を締切と変更します。詩人会の会報は、会員相互の交流の場と、他の機関
へのPRを目指して発行しています。▼年三河の発行ですから新鮮なニュース性
は期待できませんが、その問に底流蓄積されたエネルギーの結晶としての紙の
役割と割切れば、このお百度参りに似たミニコミ紙の威力も捨てたものではあ
りません。具体的な編集面での柱としては、会員の業績の記録、アットホーム
な企画記事、たとえば人物やグループの「クローズアップ」、シビアな詩人の
見た「現代の視点」阪神大震災への視点、随想的な「私と詩」、この協会発足
の目玉ともなった文学館設立への歩み等、啓蒙、解説的読み物もとりあげます。
▼企画記事は会報委の手足の動くところ、その開拓の分野はさまざまでしょうが
なにぶん物ぐさに落ちるは世の習性とか、眼光紙背に徹する力不足をカバーして
無難に依頼を原則としていますが、このことは逆に、種々なご意見、近況、自己
PR、グループPRの可視性をはらむ誘い水と了解くださって結構です。なにぶん紙
面制約もあることですが、編集側としては、出来るだけ多くの会員の方々の活動
ぶりを紹介したいのです。
▼会員外の発送先としては、全国紙、地方の有力紙、各詩人会、主要図書館など
百件くらい発送します。きちんと読まれるならば、これ程確実なPR紙はありませ
ん。この協会は所帯が大さいので、複合的に色々の記事があってよいと思います。
「時評言」でも述べたようなシビアな格闘の現象の場が案外、このようなささや
かなミニコミ紙のエッセンスなのかも知れません。 (明珍)



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