「Walking History」
高くて2m足らずの身体に その人の歴史が詰まっていると思うと楽しい
昭和17年に死んだ安政生れの祖父の顔には明治維新の様子が生きていて
明治の末に教師になった母はバイオリンを弾いての浜辺での運動会をよく語った
父は津を訪ねた東郷平八郎提督の驕らない人柄を目を閉じて思い出していた
兄はアメーバ赤痢でふらふらだった脚がゲリラの攻撃で急に立ち上がって逃げたと…
ぼくはというと 敗戦の年の7月爆弾と焼夷弾で死の間際まで追い込まれた
泣けない怖さと その後の疎開や空腹の辛さはまだ体の何%かを占める
下の孫はいま10歳 夏休みには沖縄へ行ったり 自分の歴史を作るのに精一杯だ
そんな一つ一つ違う歴史を抱えた生身の身体が
街をあたふた行き来していると思うと 可笑しくなったり
事故か発作で仆れたら即個別の歴史も消えてしまうのか とさびしくなったり
また わざときつい言葉で世の中煽って自分なりの歴史に作り替えようと
その方がじっくり考えるより手間が省けていいと 瓦版までいうようになったりして
これじゃ 年が同じなら身体の中身までそっくりいっしょかと、
そんな不安にふさわしく今朝初雪が散り 平成23年もにわかに黄昏れた
こんな世の中 80歳という図体引きずって(先週躓いて怪我したもので)
しんどく生きる 否定しようとすればお前の身体の何分の一かも存在無意味だと
変身する一人一人にこころで呼びかけながら……せめて立春まで
苦しみ歩くこの歴史こそ真実なのだと!
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