嵯峨京子



 ホームページに20歳頃の写真をという提案で、家中を探してみたのだが見つからない。我が家は3年前の台風で屋根の半分ほどが吹き飛んだせいで、濡れてしまったものもあって、アルバムに貼った写真以外の古い写真がどうしても見つからなかった。携帯電話のない時代のこと、スマホで自撮りすることもないから、自分ひとりの写真というのは、撮影する人がいてはじめて残る一葉なのだと改めて感じた。

 写真は30歳のもの。裏書に1981年110日新年会とある。場所は、天神橋筋商店街の丸十寿司店(今はもうない)の2階。撮影者は、梅崎義晴氏。お店で「近文」の新年会をするのは珍しいことだったように思う。着物姿なのは、帰りに堀川戎に詣でるつもりだったのだろう。

 近所の書店で詩誌『月刊近文』を手に取ったのをきっかけに「近文」に入会したのは29歳の頃だった。主宰の伴勇氏は、若い詩人たちを育てることに情熱を注いでいた。自ら「詩商」と称して詩集の自費出版を格安で請負うこともしていた。又、赤石信久・筧槇二・木村孝・寺島珠雄・西岡光秋の5人の方々を社友として、関東の詩人や各地の詩人と積極的に交流していた。

 近文社は、『月刊近文』とは別に1991年51日『RIVI?RE』を創刊した。これも伴勇氏の発案によるものであったが、1992年319日に伴勇氏が急逝されたことで長く続いた『月刊近文』は廃刊になった。

 現在、『月刊近文』を記憶されている方がどれだけいるだろう。『RIVI?RE』は、通巻175号を発行し現在も続いているが、私の詩の原点は『月刊近文』である。

 ここに登場いただいた梅崎義晴氏、社友の5人の方々は既に故人となられている。

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