関西詩人協会運営委員の頁
吉田定一
「猫の鈴」
伽羅橋の橋の上で、 「ぼく、帰りがお早いですな」
と 父が猫なで声の 他人行儀なおかしな挨拶をした
はあ?! と 一瞬口ごもり 俺は父と その後ろにいる女に ぺこんと頭を下げた その時、振り返る俺の小さな肩に かぼそい女の声が乗った
――あの子 どこの子?
いまもそんな記憶が 天の高みに吊るされていて ( 俺の人生に どうってことはないのだけれど… ) 卯月の季節が巡りくるたび 天からあの声が あの女の姿と一緒に 俺の肩に舞い降りてくる
――あの子 どこの子?
ぺこっと女は頭を下げ 春風に運ばれるように 消えていくのだが いつもその場に あの子どこの子の自分が取り残され 年ごと俺は 迷い子になる
そんなこんなを思って 誰かがそっと 仕掛けてくれていたのだろう
右に左に 首を振り頭を振る ――ここは何処?
その度ごとに なぜか喉仏のあたりで チロリン チロリン と 父の呼ぶ声が 猫の鈴となって響くのだ
そうして俺は あの時のあの子のまんま 烈しく老いを重ねてきた |