関西詩人協会運営委員の頁




奥村和子



「いちごを食べる米兵」

 

 

昭和二〇年六月一日 大阪で大空襲を終えた米軍七、八機の編隊が奈良県大峰山(一七一八m)上空を通過 一機が突然山を轟かす大爆音をたてて山上ヶ岳付近原生林に墜落 ボーイングB29 一一名の搭乗者はパラシュートで降下 警備隊から天川村と川上村の住民に捜索命令が出された 

 

六月二日 川上村伯母谷区長 林業 大谷重光 五五歳は早朝、村の衆四人で

鬼畜米兵拿捕に木刀握りしめ 南西の方山上ケ岳への剣峻な坂を登る

登ることおよそ二時間 沢伝いのブッシュから大男が現れた

軍服は破れ 顔や手足は血まみれ 両手を挙げて コウサンの姿勢

先頭の武蔵は「こいつら ようけ殺しやがって」と木刀で殴りかかったが

重光さんは「えらい傷や」と沢の清水で泥や血を洗ってやった

きれいなピンク色の若い肌があらわれた

一瞬 重光は一カ月前沖縄で戦死した息子重平 二一歳の頬を思い浮かべた

「腹減ってるやろ これ食え」と昼飯の残りの握りめしをあたえた

若い米兵はがつがつ食べた 梅干しまで食べた

下山に四時間かかり 村の大谷家に着いた

サンキュウ サンキュウというコトバしかわからないが男は従順だった

家の脇の畑から採った赤く熟れたいちごを男に食べさせた

男はもぐもぐ兎のように口をあけないでうまそうに食べた

へたは紙につつんでポケットにしまった

重光さんは男の行儀のよさに感心した

 

夕方下市から憲兵がやってきて米兵を取り調べた

男の名はA・R・ハート技術軍曹 二五歳 美しい妻の写真を所持していた

別れぎわに重光さんの肩をたたいてサンキューと一言

重光さんの手に握らせたのは磁石盤(携帯用羅針盤)

重光さんは毎年終戦記念日になると錆びないように洋銀製の蓋を磨きつづけた

戦死した息子の白木の箱には何にも入ってなかった

米兵の遺族には返してやりたいと願いつつ

 

七月二〇日

パラシュートで降下し捕虜になった米兵すべて ハート軍曹も

伊丹空港軍司令部あるいは信太山演習場で銃殺された

 

  参考 奈良県天川村歴史資料館資料他

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