「過疎」 昔 祖谷の郷では どこの家も 親と子と孫の3家族は住んでいた 戦後間もない僕が10歳位の頃 両親と兄夫婦と姪 それに僕たち兄姉の8人家族 隣のオモは7人 ナカは5人 ツボネは9人 シタは8人 イミチも8人 貧しいながら 急な斜面の痩せた土地にしがみつき 転げ落ちる土を鍬でかき上げ かき上げ 麦 芋 大根等を作り山の湧水を飲み 星は輝き草花は四季の化粧をし 自給自足ながら笑いのある暮らしだった 今 僕の生まれた家では 甥の嫁が1人 兄嫁は老人ホームへ オモは老婆が1人 シタもイミチも老夫婦2人 ナカもツボネも住む人はいない 子供の笑い声はないが 冷蔵庫のビールは冷えている 山の湧水は変わらず流れ来る テレビは3局が見られる 洗濯機は回る 星は輝き野の花は咲き 家のすぐ近くまで車が入る道があり 住みよくなったのに住む人がいない 先祖は眠っているが墓守がいない 村では老人たちが 都会へ出て行ってしまった 子や孫が盆や正月には 帰ってくれるんだろうかと ぼそぼそと 晩の食事の用意をしている
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