関西詩人協会運営委員の頁




大倉 元 委員


1939年徳島県西祖谷(いや)山村生まれ

 詩集『石を蹴る』作詞集『五十年前のラブレター』

「日本詩人クラブ」「関西詩人協会」
「近江詩人会」「風鐸」「ふーが」

 読む人には物足りない詩だと言われることが多いが、これからも、
普通の言葉で、難しい漢字等を使わず書いていこうと思う。

「過疎」


昔 
祖谷の郷では どこの家も
親と子と孫の3家族は住んでいた

戦後間もない僕が10歳位の頃
両親と兄夫婦と姪
それに僕たち兄姉の8人家族 
隣のオモは7人 
ナカは5人 ツボネは9人
シタは8人 イミチも8人

貧しいながら
急な斜面の痩せた土地にしがみつき
転げ落ちる土を鍬でかき上げ かき上げ
麦 芋 大根等を作り山の湧水を飲み
星は輝き草花は四季の化粧をし
自給自足ながら笑いのある暮らしだった

今 
僕の生まれた家では
甥の嫁が1人 兄嫁は老人ホームへ
オモは老婆が1人 
シタもイミチも老夫婦2人
ナカもツボネも住む人はいない
子供の笑い声はないが

冷蔵庫のビールは冷えている
山の湧水は変わらず流れ来る
テレビは3局が見られる
洗濯機は回る
星は輝き野の花は咲き
家のすぐ近くまで車が入る道があり
住みよくなったのに住む人がいない
先祖は眠っているが墓守がいない

村では老人たちが
都会へ出て行ってしまった
子や孫が盆や正月には
帰ってくれるんだろうかと

ぼそぼそと
晩の食事の用意をしている



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