関西詩人協会運営委員の頁


 名古きよえ委員


著者略歴
1935年京都府美山町に生まれる
既刊詩集に「てんとう虫の日曜日」「蓬のなかで」「窓べの苺苗」「秋の光に(詞華集)」「目的地まで」
詩画集「名古きよえ詩画集」
「知井」主宰
日本詩人クラブ・近江詩人会会員。地球・AKIKUSA同人

道端の楠   名古きよえ



楠は枝が枯れて
五本も切られ 残りの六本で生きている
苔むし 宿り木が生え
蛇がのぼってくる


老いた楠は
もう父の星を探そうとは思わない
父は戦争で荒れた山で働き
生活の安定を願って 公の仕事もした


彼は家族を安心させ
敗戦の街から帰ってきた
従姉妹や叔父と助け合った


信じる人がいて 言葉が素直で
出会う人と挨拶を交わし
喜んで働いた


わたしはあれからずいぶん離れ
わたしの幹の空洞にさみしい風が通る
空洞は大きくなっている


諦めた夜 星が一つ
「ここにいたよ」というように光っている
父の星だと すぐにわかった


星の下には
穏やかな街が見え
平和であることが 伝わってくる


「わたしはもう見失わない」と枝が揺れ
「楠でよかった」と根が叫んだ
雲に覆われても見える
聞こえる 楠になった





1 沈黙  名古きよえ

──死者は私たちの傍らにいる──


(一)


南国のまぶしい光が 平和祈念公園にふりそそぐ
月桃の花は 白い葡萄のように咲いている


今年 戦後六十年目
私も沖縄を訪れ
摩文仁の丘の 刻銘碑の前に立った
初めは 刻まれた方の名を読んでいたが
ふと 死者の沈黙を感じた
数えきれない死者の思いが
陽光の船に乗ってきている


こちらを見ているようで 目がない
松の枝葉のようで 根がない
何か待たれているようで 声がない
私は 彼らに変わる言葉を 叫んだ
声のない言葉で
「戦争を始めたその人は だれ?」


刻銘碑の間を 歩いていく
黒い屏風のような 刻銘碑の間を
責められながら 歩いていく


向こうから友が来て
暗い笑みを浮かべた
私たちは殆ど無言で 丘の上へのぼり
青い海を見下ろした


岩にくだける白波
岸壁に咲いている月桃の花
このくりかえしは 残酷だ
岸壁には 月桃の花が咲いている


私のように 初めて訪れる人達
六十年前の激戦を想像しても
明るい陽射しは
死者たちの沈黙に届かず
生きている者の前を慣らすばかり


ただ 静けさは
犠牲者の霊そのもの
おおきな沈黙が
私たちの傍らにいる





(二) かたりべの涙


ひめゆり同窓会の上原当美子さんの証言
七十七才 小柄で姿勢の真っ直ぐな方
彼女が最後に 生きのこり幸運だと
思うのは どうだろうか
「死にたい
 殺してください」と
アメリカ兵の前で 目を閉じたという
アメリカ兵はチョコレートをくれた
毒で殺すのかと思った


彼女たち生き証人は人の前で語るとき
死者の顔を思い浮かべ
声を耳に蘇らせ
血をあの時のように 体にまとう思いで


悲しみよりは 怒りが
怒りを抑えて 祈りが
老いた体をふるい立たせる


「どれだけ 人に届くだろうか
 再び戦争をしないと 約束してくれるだろうか」
時には迷い 時には泣くが
あの海を真っ黒にした軍艦
追い詰められて 海へ消えた人達
どうしても伝えなければならない誓いがある


私は上原さんの話を聞いた
 教師になって 生き抜き
 戦争のむごさを 語りつづけている と
知らされた


ひめゆり平和資料館は
同窓生だけの資金で建てられ
今年 展示替えがされていた
若者も引きつける 知恵の賜物だった


『私は待っていました、本土からの助けを』
彼女は あの時を思い出す
助けがやって来ると


語りつぐことの大切さよ




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