日本詩人クラブ主催・日中国際交流に参加して
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 名古きよえ     2007年1月27日

 中国から沈奇楊克が講演に来られると知り、出席したいと思っていた。その日は昨年の12月9日で、予定どおり上京できたことを嬉しくおもった。
 沈奇氏は「地球」の第9回アジヤ詩人会議がウルムチで行われたとき講演された。先生にお目にかかるのは3度目かと思う。


 今度の講演はゆっくり聞けて先生の研究の深いことを知らされた。
演題は『「先駆」から「常態」まで』副題に─中国大陸先駆的詩歌20年の省察と予想─ だった。
 今レジメを読み返して、先生が私たちに向けて中国詩歌の流れとこれからの方向について心を開いて話して下さったことに感激し、ありがたく思っている。海の向こうの先生に(ありがとう)と言いたい。


 詩人も時代の変動に深く影響をうけるのはどこの国でも同じだと思った。
 中国は1970年代半ば新詩潮の「現状突破」、1980年代「先駆的詩歌の濫觴」そして1990年代「純正詩歌陣営の詩学紛争」があり、今日は従来の詩作法を徹底的に変え、幾つかの新しい形式を次第に作っている。


 1990年以後は4項目に分けて話されたが、体制下にあって詩人は独立自由の詩作をしたこと、民間の立場で、官主導束縛に別れを告げ、自由自在に自我を働かせ、そして自我こそ良しとする民間化のメカニズムで詩の新天地を開いたことだった。「何を書くか」という問題、人間存在に対して全面的開放に導いた。ずっと制度や潮流に遮られて来たので、真実への探究はやや性急であったきらいがあり、精緻、典雅、静粛、高速等伝統詩の持つ優れた品性に欠けるということである。


 現在は幾つかの反省に立っている。言語と表現問題、即ち 複雑、雑駁、多様化によるマイナス面、グループに依存して共同の美学や利益の拘束、「流派」「時期区分」「小派閥の氾濫による心理的メカニズムの病変、創作メカニズムの病変が生じたことである。
 即ち「心理的メカニズムの病変」は独立して穏やかで優雅な詩歌精神を長期に渡って欠いたと言えるのである。
 「創作メカニズムの病変」とは詩が貧弱化し、矮小化し、平凡化するものである。みなが「先駆」を競い、先駆という名だけで権威を取る。詩作は易いと見なし、簡単に眼前の潮流を真似る。それは一見個性的だが、模倣でしかない。「先駆」を目指すとともに伝統をも省みる、両者のよく整合されたものが優れた詩と言えるのである。     


 以上は先生の講演の中より抜粋させてもらったが、日本の詩にも通じる点があり、今後私たちの創作に役立つのではないだろうか。
 終りに詩の朗読をされた。通訳の佐々木久春氏に贈る感謝の詩で「現在、秋田大学名誉教授の佐々木先生がおられなかったら、自分はこのように日本へ来て講演する事もな無かっただろう」と「蓮の花」に託して喜びを詩われた。


 そこで思い出したのが2004年のアジヤ詩人会議。ウルムチの「天池」へ行き野外朗読をした時、私は「蓮の花」という詩を朗読した。中国語で(リェン〜ファ〜)と現地の人に発音を教えてもらったりして。「日本へ伝わってきた蓮が見事に咲いています。蓮の花を通して日中の友好も育ちます」という意味であった。あの時、沈氏もいられたと思う。蓮は日中をつなぐ美しい花である。



 楊克氏は詩人であり、出版の仕事をされている。世界詩人会議、アジア詩人会議に出席されている。私が楊克氏の講演で感動したことは「中国新詩年鑑」を8年間続けて編纂され、2006年度は今進行中と言うことだった。毎年、香港、マカオ、台湾地区の詩人および外国滞在中の中国詩人の作品を選び載せているという。内容も「忘れられた詩人」「年度の実力ある詩人」「年度の詩歌に関する事件」「年度の推薦」「年度桂冠詩人」「中国詩歌の顔」等の項目を設け、「中国アニメ現代詩」「携帯メール詩」等の項目もあるという。これまでに年鑑は多くの優れた詩人を選出し、数え切れないほど民間詩社、民間詩報、インターネット詩歌論壇、数え切れないほどの自費出版の作品を作りだした。


年鑑」が民間に届けられた影響は大きく、良い詩は民間にあって、真の詩歌変革は民間にあり『詩経』を源とする中国古典詩歌も民間方式で伝えられてきたのであり、真の詩人は生活的感受性に忠実であるべきであると同時に自己の内心にも忠実であるべきだと言われた。
 「年鑑」の発行部数は2万冊で、何千冊、またある時は何万冊の増版がある。中国の100近くの文科系の主要大学図書館、資料館、文学評論家、西洋の中国文学者、新聞社、多くの中国詩人に贈られるのだという。
 なお、これまで国の資金、すなわち税金を受けたことはなく、海外の経済的援助を受けたこともない。商業的に発行の努力をしても損になるしごとであるが、「年鑑」の編集委員は効率的で着実に現代の民主的価値観念と協力精神を有するグループで、詩人だけでなく各部署の専門家を集めている。
 ある年、2000部も売れたという奇跡もあったが、それも損を減少するだけで、儲けることにはならなかった。多くの個人的資金と時間、勢力、無私の貢献に寄るのである。


 以上、楊克氏の講演のあらましであるが、体制下のなかで、大変な努力をこれからも続けていかれるのだろうと情熱が感じられた。楊克氏も「民間」という言葉をよく言われた。民間という言葉は誤解されやすいが有名、無名の身分、また一群の人、一種類の話し方を言うのではなく、詩歌の生命における活力の源というべきものであると言われた。


 楊克氏は50歳、沈奇氏は56歳。
 私は二次会にも参加して、ふだんあまりお話し出来ない方とも色々と雑談できた。


 2007年夏、第10回アジア詩人会議が中国の雲南省で開かれるという。私も出席したいと思っている。「天池」での中国の詩人はゆったりと穏やかで、静かな感じの朗読だった。今年も日本から多くの方が出席され良い場所で朗読されることを願う。
 もう一つ思い出を加えるなら、沈奇氏がトルファンで講演されたとき言われたのは、「詩人はなるべく旅をしたり、行動したりする事である」と。
身を動かせて実感するを大切にしなさいと言われたのであろう。それに人は出会うことで友好が育つものである。と今回も感じた。




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