日本詩人クラブ国際交流の集い、報告
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 薬師川 虹一     2006年12月27日

 ケルン文芸家協会との交流や、スペインのマラガで開かれている詩人の国際会議などには出席してきたが、中国の詩人との交流会には出たことがないので、2006年12月9日に東京で開かれた日本詩人クラブ主催の国際交流の集いに参加してみた。大阪での大会で顔見知りになった方々にお会いできたことも嬉しい。関西の名古さんや北原さんの顔を見かけてほっとした。

 話は沈先生の概説的な講演から始まった。一口に中国四千年の歴史などと言うが、今の中国に果たして四千年の歴史が在るのかどうかははなはだ疑問だと思っていたのだが、果たしてその点で私には少し理解できないところが残った。沈先生の原稿が日本語に訳していただいてあったので、助かった。ここではその翻訳原稿を頼りに話を進めてゆこう。

 1910年代の胡適魯迅たちによる白話文学運動のことまではいささかなりとも知っていたのだが、その後のことは全く知らないので、このたびの講演会は非常に有益であった。

 どうやら中国の現代詩は1942年に行われたらしい毛沢東の『延安座談会における講話』から始まるようだ。どういう講話なのか知らないので何とも言えないが、49年に中華人民共和国が始まって、66年の文化大革命が10年続き、毛沢東が亡くなって一つの時代が終わってから、新しい詩の動きが始まったようである。中華人民共和国が、その前の中華民国の歴史を引き継いでいるのかどうかはしらないので、それを訊ねたいと思いながら、時間がなかった。

 どうやら日本と同じような状況の中で、歴史の継承性が断絶したのではないかと言う疑問が私の頭の中にはあるのだが、明治維新では、その点巧みに歴史が継承されてきたのではなかったか。教育に関する勅語は非常にうまく和洋折衷、江戸・東京の連続を仕組んでいる。中国がそういうことを経験しているのかどうかが私の知りたいところだったのだが・・・。

 そういった不得要領のなかで話は進んでいった。そこで『大陸現代漢詩の歴史的決起はもはや百年の新詩作法を徹底的に変え,そして幾つかの新しい伝統を次第に形成している』と言われると、私の頭は決定的に混乱してきた。百年の新詩作法が徹底的に変えられたと言うことは、文字通り理解すれば、そこで、漢詩は『徹底的に変化した』と言うことになるのではないか。つまり歴史の継続性は徹底的に変えられた、と言うことなのだろうか。私達が中学時代から習ってきた漢詩は徹底的に否定されたのだろうか。それだけではなさそうなのだ。話によれば、文革終了後新しい詩の流れが出てきたと言う。『朦朧詩』と呼ばれたらしい。だがそれも80年代になると厳しい批判にさらされ、資本主義、修正主義的と言われたらしい。『朦朧詩』と言うものもはなはだ判り難いものなのだが、勝手に私はシュールレアリズム的なものではなかろうかと想像しながら聞いていた。その後さまざまな詩派が乱立する。80年代は混乱の時代と言ってよいのだろう。

 『現代中国詩のメカニズムは・・・すでに一歩一歩非体制化していった』と言う発言は一体どういう状況を言っているのだろうか。「非体制化」という言葉を、果たしてマルクーゼが言ったような意味での二次元社会の出現と解してよいのだろうか。彼らはマルクーゼによる通過儀礼を経過してきたのだろうか。これが私の第二の疑問であった。沈先生は言う、「独立自由の個人的な詩作に再び戻り」と。これは凄い発言である。だがこれが「非体制すなわち体制外の詩作である」と付け加えられたとき、私は、「非体制」とは「反体制」を含みうるのか、という疑問を持たずにはいられなかった。

 こういう不得要領な話の中で、きわめて理解しがたい言葉が出てくる、即ち「民間」と言う言葉であった。話は前後するが、沈先生の話には四本の柱があった。一つは「体制外」、第二は「民間」第三は「生の全面的開放」第四は「言語意識」である。

 「官主導の束縛に分かれを告げて自由自在に自我を働かせ・・・」ることが詩歌を「民間」に戻すこと、だと言われる。まことに尤もな話で反対する気持ちはないのだが、ここでもまた私の意地悪根性が顔を出す。では、自我と民間とは同じなのか。官には自我がないが民には自我がある、と言うのだろうか。官は制度で、民は自我だと言うのでは比較が出来ない。そこで、「民間」とはたとえば、西洋的意味での「市民社会」のことと言い換えてもいいのか、と質問してみた。暫く通訳と相談されてから返って来たのは、少し違います、と言う答えだった。それでは、英語で言う、public との違いは如何かと再度尋ねてみたが、

返答は要領を得なかった。

 別の人が質問に立ち、歴史認識について、古典の意味を尋ねられたが、その返答もよくわからなかった。

 話はまだまだ続き、疑問はますます湧いてくるのだが、困ったことには質疑応答に必ず通訳が入ることだ。つまり共通の言葉がないと言うことなのだが、これが国際交流にとって、一番問題なのではなかろうか。互いに目を向け合い、顔を見ながら質問し答える、と言う形が取れなくては、本当のところが理解し合えないように思える。そこで、共通語が必要だと言うことになるのだが、今のところ、残念ながら世界の共通語と言えば、どうやら英語、と言うことになるのではないだろうか。沈先生も英語はお話になるようなので、出来ればお互いにたどたどしい英語で直接対話が出来ればよかったと思う。

 数々の要領を得ない状況はあったが、それでも私にとってはとても貴重な経験だった。中国の詩人達も私達と可也似た状況にいられると言う感じを持ったこと、言葉の壁を破らねばならないこと、が判っただけでもよかったと言わねばならないだろう。今まで、中国や韓国の詩人達と交流された方も多いと聞くが、どういう話し合いがなされたのか,聞いたことがないので、その点、自分の目と耳で確かめられたことは大変有意義であった。日本詩人クラブの方々のお世話に感謝して、舌足らずの報告としよう。

日本詩人クラブ国際交流の集い、報告

 薬師川 虹一     

 講演の第二は詩人の楊克氏による『「先駆」から「常態」まで』と題した興味深いものであった。第一講演の沈先生の話で、あまり理解できなかった、「民間」と言う言葉の概念が、可也明確に語られたように思う。以下に楊氏の話の紹介と、その問題点とを記してみよう。
 沈先生の場合と同じく、言葉がわからないので、日本語に訳された原稿を基にしたことをお断りしなければならない。


 楊氏は詩人として長年『中国新詩年鑑』の編集に関わってこられた方である。沈先生の話がいささか講義調の物であったのに対し、楊氏の場合は実作者として可也自由な話になっていたのが率直な感想である。彼はまず、「『1998年中国新詩年鑑』編纂のきっかけを回想してみると、・・・公開出版された年度の詩選は一冊もないのが長年の状況であった」と語り始める。ここで、『公開出版』と言う言葉に注目しなければならない。これは第一講演で聞いた、『民間』と言う言葉と同じ意味のもののようである。謂うならばそれまでは,全て「官製」の出版物であったと言うことだろう。楊氏の話は全てこの点に力点がおかれていたと言ってもよい。つまり、『民間』対立する言葉は『官製』と理解すれば沈先生の話を補完するようになっているのだ。
 「『年鑑』は勇気と胆力を持って、自由純正な詩歌精神を守り、この激しい変動の時代にこのような価値ある文書を残しているのであるが、これがすなわち中国詩歌のバックボーンなのである」と楊氏は語る。


 では中国詩歌のバックボーンとはいかなるものかを見てみよう。楊氏は言う、「これまで何十年も、公開出版物としての年度詩歌選集には、すべて国家認定の正式な刊行物掲載の作品しか選ばれなかった」と。詩歌の世界にも国家の統制が存在していたことが明らかに伺えるので在るが、その国家による統制が次第に解放されてきたことが、『中国新詩年鑑』の出現を許すことになったと理解できるだろう。楊氏は続ける、「良い詩は民間にあり、真の詩歌変革は民間にある・・「詩経」を源とする中国古典詩歌も、民間方式で言い伝えられてきたのであり、ここ三十年「民間性」はすでに中国新詩の「小伝統」となり、詩人の自覚的行為」となっている。「もし民間に広がらなかったら公開の出版物に載る詩歌の資料だけに頼って見られるのは氷山の一角であり、・・・まさに「民間性」この偉大な伝統が、・・・20世紀後期と新世紀の中国現代文化の一つなのである」


 先に私は「民間」の対極となるのはたぶん「官製」であろうと述べた。確かに中国四千年の歴史においても、詩歌の流れは決して為政者によって定められたものではなかった。歴史でさえ、司馬遷による「史記」はきわめて個性的で物語的でさえある。そこには君主の道も記されているが同時に破落戸、無頼漢の話も記されているではないか。文化と言うものはそれ自体生きているものであって、権力によって移植されたり、品種改良されたり、クローン化されたりできるものではない。中国の現代詩が本来の姿に戻っていることを、楊氏は雄弁に語ってくださったと思う。


 官製の年鑑でない中国新詩年鑑にはきわめて多様な作品が集められているようである。民間出版の詩集、自費出版詩集、自由投稿の作品、編集委員推薦の作品、公開出版物掲載の作品、等を網羅しているだけでなく、海外で活躍している詩人達にも呼びかけ、また、インターネット詩歌にも門戸を広げていることは注目すべきであろう。これまでは国家認定の正式な刊行物つまり、非公開出版物に掲載された詩のみが年鑑に掲載されてきたことを思えば、隔世の感があろうし、楊氏が胸を張るのも肯ける所である。


 楊氏は続ける。「詩が独立して人の心に通じ、じかに読者の芸術的直覚に訴えかけようとするものであることを強調する」と。私はこの言葉を、詩は説明や理解力を通してではなく、直接的に人の心に突き刺さるものだ、と理解したい。さらに楊氏は新しい詩が平俗化することの危険性を指摘している。「生き生きとした口語が無駄なやり取り俗語と違う」とも言う。おそらくは、白話文学の発生から続いているのであろうが、日常語で詩を書くことの危険性を楊氏は鋭く指摘していることにも私は注目した。日本人が文語世界と口語世界と言う二次元世界を持っていたことをもう一度考え直すべきではないだろうか。「新しい日常言語を新しい詩歌言語に転化させる可能性を捜し求めている」という彼の言葉は今の我々が一番気に懸けていることではないだろうか。我々の身辺に、無駄なやり取りをしている俗語詩が多いのではないだろうか。この辺りの楊氏の発言は私にとって耳の痛い言葉であった。


 次に出てきた彼の言葉「高い山で剣をふるう」と言う表現は、私には難解であった。それに続いて「知識人の創作」と対立する「民間の立場の創作」と言う言い方は、「民間」と言う言葉の意味をさらに理解困難にさせるものであった。「知識人」は「民間」と如何に異なり如何に同じなのか。民間は日常生活の場にあり、知識人はそれがないと言うのだろうか。


 だが私のこの疑問は些細なものかもしれない。楊氏の言葉はさらに続く。まさに詩人相互のぶつかり合いが、「民間」の内包する意味を活性化させた。皆を「大民間」に包み込んだのである。さあ困った。「民間」で困っていたところに「大民間」が出てきたのである。幸か不幸か、「大民間」と言う言葉はこれ一回で消えてくれた。が、消えたからなおさら困ったことになる。狐につままれた、とはこのことだろう。


 まあ、いい。「大」が付こうが付かなかろうが、気にしないことにしよう。大陸的鷹揚さを持たねばならないところだろう、と変な納得をして進もう。
 楊氏の発言は確かに巧みに沈先生の講義の補完をしてくれている。「民間の立場に現れている秩序は不断の変化の中にある」これは確かエリオットが「伝統とは変化するものだ」と喝破したことと似ているのではないか。民間と言うのは人間の姿ではなく、在り様を言うのだという事が判ってきた。というように理解すれば、「民間は一種の芸術の心情と芸術のあり方であり、実は始から「詩経」以来の古くからの中国詩歌の自然の生態と偉大な伝統に立ち戻る」と言う楊氏の言葉が極めて素直に理解できるではないか。楊氏はさらに言う。『「民間」の意味を独占している人はいないし「民間」の全ての真理を言いきれる人もいない。民間の存在は、・・・混沌としたものである』と。そして私はギリシャの世界が混沌から始まったと言うことを感じていた。楊氏の話を良く聞いていたら、沈先生に食い下がる必要も無かったのだ。


 楊氏は最後にこう結んだ。「別々の芸術の品格と観念を持っている人に、その芸術的抱負を発揮させれば、違った方向の芸術的追究をして、相互に均衡をうまくとることが保障できよう」これは見事な結論だった。嘗てスペンダーが地球上の何処からでも、真っ直ぐに下に向かって掘り進んでゆけば、必ずどこかで出会うことになる、と言うようなことを言っていたことを思い出す。
 勝手な解釈をさせていただくなら、沈先生の発言は『知識人』の立場であってその講演はきわめて滑らかに整理されていた。そして楊氏は『民間人』なのかもしれない。そして、二人合わせると『大民間』人が出現するのだろうか。これは冗談である。


 大切なことは、異なった芸術の品格と観念とを持った人々が対立しあうところから新しい世界が生まれる、と言う考え方であろう。アメリカの批評家がその著書の表題に、Opposing Self と言う言葉を当てた。私はこの言葉が気に入って、しばしば引用したものだ。楊先生もおそらくこの言葉に共感されるだろう。民間という言葉はともすれば、一般人とか、民間人、あるいは一般市民、と言う言葉と同じように理解されやすいし、私もそういう理解で苦しんだのだが、民間と言うのは可視的人間ではなく、人間の状況なのだ、と言うことが良く判った。
対立する自我が一人の人間の中に存在する状況が「民間の立場」なのだ。思えば私は丁度五十年間『知識人的立場』でものを言ってきたようだ。つまり、対立する自我の存在を、何とか整理して、一つのものに纏めて物を言ってきたのである。知識人あるいは研究者という立場はそれを義務付けられる。しかし、今、詩人として自立してみると、いかに詩人と言う状況が、自己の中に対立する自己を持ったまま、つまり、矛盾を抱えたまま、物を書くことが出来る存在であるか、と言うことが判ってきた。常に自分自身が対立する状況を抱えていると言うことであり、そのままの状況がなければ、平らな世界になってしまう。マルクーゼの言う一次元的世界が生まれてしまうのであろう。楊さんの言われる『民間の立場』と言うものはまさに、マルクーゼ的二次元の世界を言っているのだ、と私は理解して納得した。そしてそれが中国詩歌のバックボーンであり、それが『常態』なのだ。と言うことは、今までの中国の状況が『異常態』であったと彼は言っているのである。


 社会主義国だと思っていた中国が、これほど自由を持ち始めていることを知って、私は正直、驚いた。驚きながらいまだに半信半疑であることもまた正直なところである。私は中国の詩人たちが、彼らの詩を英語という半ば世界の共通語となっているものに翻訳して、世界に問いかけてくれることを願いたい。同じ土俵で語り合いたいのである。彼らの年鑑が世界に配送されているのは結構だが、中国語を理解する人たちだけのものであってはならないのではないだろうか。配送先を見てそう思った。通訳を介さずに話し合えること、これが必要だと言うことは、ここでもやはり痛感させられたのである。私は楊氏ともっと突っ込んだ話がしたい。通訳を介さずに。
                            終わり

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