社会人一年生の頃


安森ソノ子

 

 

 今から61年前の事である。母校を卒業し、続けて学んでいた京都大学での日々に、「勤務するのなら大変活気のある大阪へ通って仕事をしたい。同級生や知人の多くも大阪で働いておられるし」と思ったものだ。
 その意志に基づいて「未知の場で自分を磨こう」と、就職の決った大阪で働き始めた。京都の北区から市バスか市電で四条烏丸へ出て、そこから阪急電車で大阪へ向った。梅田で阪急電車を降りるとすぐ、御堂筋線の地下鉄に乗り本町で下車。そこからオフィス街を東の方へ少し歩く。京都の自宅では、その様な遠い所へ毎日通って苦労しなくとも良い、と親は反対していた。が私は一度決めた事はやりますよ!という気持ちで、京都では体験できない文化的な催しが日々渦巻いている職場で仕事をこなしていた。
 繊維業界の元締めをする古くから知られている某組織の企画部で一日の欠勤もなく働いていた。新卒の女性であったが、繊維業界における大企業の幹部や有名デザイナーを招いての講演会の企画、実施も行い、毎年の繊維デザインのコンテスト、発行されていた冊子『デザイン・ジャーナル』の発行など、忙しくとも楽しい毎日であった。
 ある日、御堂筋の通りにあった当時のたしか御堂会館で大規模なファッションショウが行われ、取材をしてデザイン・ジャーナルに記すために、会場へ行った。どのような新作の衣装がどのように発表されていくのか、期待をもってステージを見つめていた。
 美しい姿で登場されたモデル達の中で、ひときわ心に残ったのは若き日の入江美樹さんである。またミッキー・カーティスさん、芳村真理さんも目の前で見事なモデルの仕事ぶり。ショウ終了後に芳村真理さんがミッキー氏を探して「ミッキィ、ミッキィ」と言っておられた声は今も耳に残っている。
 先日の2月10日、京都新聞の朝刊等で小澤征爾さん死去という報道を目にし、悲しくて声も出なかった。小澤征爾氏の音楽を尊敬している私の胸に、夫人の入江美樹氏が現れ、私は深々と頭を下げるのである。61年前お目にかかっていた入江美樹様、モデル、俳優、デザイナーとしての実績は多くの人々の心をとらえた。そして小澤征爾氏の妻として揺るがない心意気をもって歩まれたのですと、更なる敬意を抱く京都での日々である。 

  

 

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