『おはん』宇野千代を読んで


                                                     

                                                                 にしもとめぐみ



 「1947年発行 中央公論社 194ページ」、この作品を、宇野千代は10年の歳月を費やし仕上げたという。流れるように書かれている饒舌体の男語りは、宇野千代が暮らしていた山口県、今の岩国の言葉をもとにした宇野千代の創作で、小説中の花街の情緒ある人の動きや物音も宇野千代が描き出した世界だ。
 冒頭の別れた女房おはんと出会うところの描写を読んでみよう。
 「あのあたりはちょうど藪堤の蔭になっておりますので、昼でも淋しいようなところでございます。川風が絶え間なしにさあァと藪の上をふきぬけてきましてなあァ、そのたんびに川向うの糸くり工場から女衆のうとてる唄が手にとるように聞こえてくるのでござります」
 主人公の男は仕事ができるのでなしのヒモ男。芸者のおかよと元の女房のおはんの間をただ情けなく抱き分けている、どうしようもないくず男である。男前で女に優しくて、どこか魅力があるのだろう。そして、「一言いえばすむ、その一言が言えない優柔不断男」男とは案外そういう生き物なのかも知れない。よほど女の方がいざとなるとタンカを切れるものだろう。
 おはんとの間に八つになるやならずの悟という子が偶然男の店を訪れた。「ところが、ある日のことでござりました。もう暮に間近うござりましたが、店一ぱいにほかほかと日があたって、そこの暖簾の下の、細こい石ころの影までべったりと地面におちてましてな、逆上せるようなぬくとい日のことでござりました」の記述のあとで、こどもが毬を買いに来る。後でそれが悟とわかる。悟は何を感じたのか時々店に顔をみせるようになる。
 こんな描写もある。「へい、悟はいつでも、この店の傍まできて、店の中にもの買いにきたお人の姿でもみえますと、ついそこの石燈籠の蔭にかくれて待っていたりするのでござります」このこどもの様子が切ない。
 おかよが姉の子をもらって芸者に育てるという、それを呆然と聞いている。「遠い町から聞こえてくる山車の囃子しの音にまじって、わあっという人声のするたびに、眼の前の手摺にかけた手拭が、風になびいてるのでござります。いまがた人の出盛りで、つい眼の下を、白粉つけた男の、首に花さしたり瓢箪さげたりして浮かれていく姿をみてますと、私の胸の中には、一どきにさまざまな思いが湧き上がるのでござりました」
 主人公(加納屋)が、竜江の堤で足を踏みはずして命をおとし損なったあとの描写は次のようだ。
 「山道を吹きぬける風の、ざあと音たてて水の面へ吹きつけるのでござります。その淵の渦巻きの、きらきらと陽をうけてくるめきながら川下へ流れて行くさまの、なにやらもの言うてるよな気のしましたも、あれも虫の知らせであったやらと思いますと、人の身の定めなさに、胸もふさがる思いでござります」
 おはんと宿替えをしたのに夕方には、おかよのもとに帰ってしまう。「へい、実のこと申しますと、あの鍛冶屋町の堀端から、ついそこに、今朝抜けて出たわが家の、二階の手摺にかけてある手拭の、何事もない風に、ひらひらしてるのを見ましたとき、なにやら夢から醒めたよな心持になりましてなァ」
 宿替えから結末への語りはスピード感があって、主人公の動きをいきいきと描写している。
 実生活の宇野千代は恋愛に結婚にと華やかであったが、このような情けない男をどのような意図から書いたのであろう。 



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