十五文字の返句(パロディ)


藤の樹々(藤本数博)

 

 一句十五文字のハンディで、創作実験を始めて十年に成る。パロディや本歌取りや俳諧連歌と同じやり方だが、作品に添える刺身のツマみたいな、十五文字の『返句』を思いついた。

闇汁からもいだ手足がごろごろと  樹々

蝶々が一匹グランドキャニオンを  樹々

 鶴彬と冬衛のパロディだが、子規や三鬼とも交流できる。

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺  子規

 柿も鐘も法隆寺に関係があるが、柿を食う行為と鐘の音には、因果関係が無い。それどころか、法隆寺で柿を食ったわけでもない。この句を詠んだ時子規は、前夜の奈良の旅館で柿を剥いてくれた月ヶ瀬の少女を、思い浮かべていたのである。鐘の音も東大寺の鐘である。

 返句

牡蠣を買えば金が無くなり室津港  樹々

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水枕ガバリと寒い海がある  三鬼

 子供の頃、田舎では夏の氷は貴重だった。風邪で熱が出たとき、木製冷蔵庫の氷をかち割って、赤いゴム製の袋に入れてくれた。確かに耳元に冬の海があった。若き日に戯れたラブホテルの、ウォーターベッドが懐かしい。

 返句

戯れるウォーターベッドや夏の海  樹々

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滝上に水現れて落ちにけり  夜半

 擬人化も比喩の一種である。滝の上に不意に現れた女性が、次の瞬間に身を投げる。そんな錯覚にドキリとする。明治の昔、『人生不可解』と書き残して、華厳の滝に身を投じた学生がいた。

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その頃は恋など知らずゆすらうめ  樹々

 母の実家には、大きなユスラウメの木があった。その家には、三歳で亡くなった妹と同年の従妹が居た。私が中学を卒業して大阪へ就職する直前、そのY子と一緒に、再婚した母の家で一泊した。異父の弟妹たちと一緒に、Y子と同じ布団で眠った。その時は、なぜY子なのかと思ったが、親たちの間では、Y子は私の許嫁に決まっていたらしい。

二年目の正月、帰郷した叔母の家で、茶を運んできたセーラー服が、ぽっと顔を赤らめた。初々しさは、山桜桃の実のようだった。

 返句

いつか民さんと重なる野菊の墓の  樹々

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図書館の窓辺の席のフェルメール  樹々

 喜多尾道冬 著『フェルメール(窓からの光)』(講談社)を読んだ。窓から射す淡い光の中に立つ女性の、柔らかい肌に注目した。『手紙を読む女』『牛乳を注ぐ女』『真珠を秤る女』等々に、その特徴がある。四国八十八ヵ寺巡礼の途中、宇和島の真珠店で、カウンターに飾られた『青いターバンの少女』の耳で、キラリと真珠が光っていた。

 返句

番台からちらりと覗くルノアール  樹々

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