みずから呼吸する「いのち」


吉田定一

 

赤子(あかちゃん)は生まれるとみずから呼吸をする それを誰かが教えたわけでもない」、そんな田島廣子さんの詩のフレーズに目が止まった。「おぎゃあー」と、ロシアのロケット弾によるウクライナ侵攻で破壊された首都・キーウの街中で、大声をあげて生まれた赤子(あかちゃん)も、悲惨な状況下でみずから呼吸を始めている。誰かが教えたわけでもなく、母から与えられた「いのち」を生きようとしている。「明日の未来を欲せんとすれば、今の子ども(赤子(あかちゃん))を見よ」(小川未明)ではないが、我々もまた、赤子(あかちゃん)と同時代を生きて、与えられたいのちに生き呼吸している。それを誰かに教えられたわけでもない。先ほどの言(ことば)は、童話「野ばら」「赤い蝋燭と人魚」を書いた未明のことばであるが、常にこのことばを自身を生きるThese(テーゼ)としている。子どもの未来にある幸せ、人を愛する幸せを誰からも奪われはしない社会的現実を我々は見つめ、その実存を歩んでいかねばならない。

 時々、公園のベンチに腰を下ろして、何することもなくぼおっと、遊んでいる子どもを見ながら時間を過ごすことがある。そこで感じたことを「何でもないこと」と題して詩にしたことを次に掲げてみよう。

 

           (1)

 

公園の砂場で ひとり遊びをしている

女の子を見ながら その傍を通り過ぎた

 

女の子は 突然立ち上がって手を振った

笑みを浮かべて 僕も手を振った

 

取り立てて言うことではないことだけど

何でもない この光景が

 

何でもないことでは なかったかのように

何時までも 胸に焼きついて離れない

 

ああ、気付かせてくれたのだ

何でもないことの大切さ――

 

取り立てて言うことではないが  

あの女の子に心から 「アリガトウ! 」

 

           (2)

 

ぽかぽかと暖かい冬日和(ふゆびより)

公園のベンチで 何気なく見ていた女の子が

 

胸に抱いていたお人形を 砂場において

突然 立ち上がって べそをかき始めた

 

「おかあちゃん……」「おかあちゃん………」

( どんな感情が この子を襲ったのだろう )

 

小鳥の囀りのような声で 母を呼ぶ

何でもないことだけど……… 

 

ひとは何処にいても 何をしていても 

独りでは 堪えていられないものらしい

 

今宵もふっと隙間風(すきまかぜ)の吹く ひとり身の俺のこころに

招き呼び寄せる 遠き友がいる—— 

 

子どもを見ていると、自身の存在の住処を教えられる。他者に身を寄り添い、ほんの僅かな未来(ロマン)が与えられる。だが、最近、五歳(つ)になる友人のお孫さんの将来像未来(ロマン)を尋ねて、返す言葉を失った。

「ボク、大きくなったら何んになるの?」

「公務員になるの!」

早くから子どもは、生活的リアリズムー大人の世界に染まり始めている。みずから呼吸をする子どものいのちよ。あなたの希望は、未来(ロマン)は、何処へ置いてきたのだ……。無垢な魂は何処へ旅立って行くのだろう……。 

 

 

 

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