いやな空気と詩の言葉


畑 章夫

 


 

 「政治の言葉」出会うたびに思う。危機をあおり、戦争に反対する人々を非国民と非難する。かつて日本帝国がそうだったように、ロシアでも、ウクライナでも、きっと「ヒコクミン」と攻撃される人々がいる。
 政治の言葉は同質の価値でまとめようとする。敵を作って内をまとめる。国民というまとまりを作るために、非国民を作り出す。言葉はシンプルなほうがいい。
 詩はどういう言葉で対峙できるのだろう。答えはもっていないけれど、ひとつは「個」にこだわることかな、と思う。
 団体行動が苦手。まとまることに違和感をもってしまう詩人たち。多いのではないかな。そうだとすると、詩人を増やすことは、まとめようとする空気に抗することかもしれない。僕の敬愛する詩人は「詩は空気を作る」とおっしゃった。一人の詩人が作る空気は小さい。でもね。小さい空気でも、ぽっぽっと、たくさんあれば、少しは見える空気になるかもね。
 来年は関東大震災から100年。災禍でたくさん亡くなった。そして、東京言葉を話せない、多くの朝鮮人、そして沖縄人も、地方から上京していた人たちも災禍にあった。
 日本はそこから戦争への道へ転がり込んでいく。「美しい日本」。政治家と一緒にポスターになっていた言葉。この言葉の陰にどれだけの醜さが隠されていくことだろう。そう考えると、詩人にとって、隠されようとすることを暴くこと、死者と対話すること、これも詩人の課題のように思うのだ。
 政治の言葉は情緒に訴え、短い言葉でまとようとする。詩の言葉も短い。けれど、人にとって大切なことやもの、その根源にせまる言葉を探したいな、と思うのです。 

                 

inserted by FC2 system