童話作家の創作を支えるもの


大西久代

 


 

 今年二月、豊中市で「富安陽子お話の種の育て方」という講演会があり参加した。童話作家として多くの著書がある富安さんの事は知らなかった。私には6歳と9歳の孫がいて、二人の家に行くと、いつも童話を読んで!と急かされるので、童話作家がどのような視点を持ち、書いているのかに興味があった。

 「なぜ、子供の本を書いているのか」については、熱心な読者であること、好きな本と真剣に付き合ってくれる事を挙げ、では「子供の本とは何か」と、問いかけた。私は単純に、 優しい言葉で書かれているもの、子供に夢を与える内容であるもの、と思っていた。富安さんは、子供の成長に合わせて心に届く語彙で書かれたものであると言われ、児童書には、幼年シリーズ、小学生向き、5・6年生用、ヤングアダルトがあるということだ。

 それから後の話しは全く痛快で、子供時代に起こったこと、取り巻く大人たちの言動が生き生きと語られた。私はもっと知りたくて、その後富安さんのエッセイ集を二冊読んだ。 (「童話作家のおかしな毎日」「さいでっか見聞録」)もちろん童話の本も。

「富安家はほら吹きだった?」

 父親と叔母さんが語る話に夢中になった。児童作家は子供の頃の話しを良く覚えていて、富安さんも、小さい頃の体験を手探りしながら物語を紡いでいるそうだ。詩を書くとは、体験と発見だと言われるが、言葉を尽くして創造する行為は、根底に於いて同じではないかと思えた。叔母さんが話した、(月から降ってくるお餅)はとりわけ忘れられない。ある秋の日、叔母さんは富安さんに、「良い子にしていたら、満月の晩に空からお餅が降ってくる」と言い、ある晩ほんとうに空からお餅がばらばらと降ってきたのだ。庭に落ちたお餅を大事に拾い、母親や叔母に喜んで見せたが、二人はさして驚いた様子もなく「それは良かったねえ」と言った。真相は叔母さんが二階からお餅を撒いたのだが、その時は、本当に空から降ってきたと思ったことだろう。この話はエッセイ集「さいでっか見聞録」にも載っていて、後日談が書かれている。世の中は変化していて、自分の書くものが今の時代の子供に共有できるのかと思うけれど、子供の核のようなものは変わらないのではないか。不思議を受け入れられる子供、その子たちに向けてこれからも書いて行きたい!と話を締めくくられた。 私達が詩を書こうとする時、モチーフを何処に求めるか?改めて詩作についても考えを巡らせた。

                 

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