故郷を描かなかった画家


島 秀生

 

          

 神戸電鉄「新開地」の駅からまっすぐ海の方に向かって歩いて、突き当たったあたりに、西出町というところがある。港には今も小型船舶のドッグがある。近くには川崎重工業もあって、およそきれいな海とは言えないところだ。

 けれどこの、あまりきれいとは言えない海を、二階の窓からずっと見て育った少年がいる。父は西出町で船具商をしていて、「東山商店」と言った。それが、若き日の東山新吉、のちの東山魁夷である。

 生まれは横浜だが、父が当地で商売を始めることになって、家族で神戸に転居して来た。東山魁夷が三歳の時のことである。以降、旧制中学(五年制)卒業までをここで暮らす。画家を志す決心をしたのも、当地でのことである。

 そんな重要な地であるのだから、本当は、魁夷の記念碑でも建っているのではないかと思って、私はここを訪れたのだ。だが、当地にある老舗の船会社に聞いても、かつて魁夷の家がここにあったことすら知らなかった。他にも二ヵ所で聞いてみたが、誰も知る者はなかった。戦前の話だから、無理もないのかもしれないが。

 魁夷は旧制神戸二中(現・兵庫高校)に進み、卒業までをここで暮らしているが、実は二つ隣町の東川崎町には横溝正史が住んでいた。横溝正史も旧制神戸二中に通っていたが、横溝の方が六歳年上なので、ちょうど入れ違いのニアミスということになるのだろうか。

 戦後は、家族の疎開先の山梨から、千葉県市川市へと移り住み、以後ずっと市川で過ごす。魁夷には、昭和三十九年から四十三年頃にかけて集中的に京都を描いていた時期があるが、反して故郷の神戸を描いた絵は、一枚もない。魁夷の個人的な原風景は、実は神戸の海なのだが、「日本人」の心の底にある故郷を描くことに徹していた魁夷には、もう「個人的な」故郷は、必要なかったのであろうか。

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