空也の滝


福田ケイ

 

          
 

 ある春の午後、姑と私が日頃から憧れている近所の匂やかに影ふかい、臈長けた奥様がわが家を訪れ「京都、嵯峨野の化野、清滝、愛宕山のあたりを案内して下さいませんか」と言われた。嵯峨野によく行き、くわしい姑は喜んでひき受け案内することになった。「化野は昔、死骸を捨てた所なの。念仏寺には、古い八千体の無縁仏が並んでいる。少し歩くと愛宕山(あたごやま)があり、その麓の道を右横に入ると奥深く静かな木々の間に、空也の滝があるのよ。そこには、それはそれは美しい細身の背の高い金色に輝く観音様が立っておられるの」と姑は話してくれた。私は嵯峨野にはよく行ったが、この滝は初めてなので観音様にお会いしたく同行する事にした。 

 数日後の早朝、三人でハイキングの恰好をし出発した。春の光があふれる中を、土の道を歩いて行くと数体のお地蔵さんが並んでいた。手を合わせ拝みまた進んで行く。姑は桜や羊歯(しだ)や大文字草、うすゆき草などの花々の話をし、樹木の名前を色々教えてくれた。

 橋をわたり林道を歩くと空也の滝に着いた。落差15mの滝が、白い水しぶきを飛ばして流れ落ちる。不動明王が祀られていた。私は手を合わせ祈ったが、金色の観音様はどこにも見えなかった。私達は観音様の話はせず、ただ、心は幸せに満ち、森の道を下り帰った。

 後日、また奥様に出会った。あの日の不思議な出来事を忘れられず私は「観音様はおられましたか」と聞いた。

「古い石仏が並んでいただけでしたね。ああ、お姑さまだから、見えたのよ。

 人に優しく、とても謙虚で浮世ばなれした人だから・・・」と言われた。

 そして二十年が過ぎ臈長けた奥様は故人となられたが、姑は嵯峨野の事はすっかり忘れ穏やかな顔をして九十六歳で永遠の沈黙に入った。

 いくつもの春が巡り去っていった。姑だけに見えた、金色に輝いていた背の高い観音様は、厳しいコロナの今も、空也の滝に美しい姿を現されているのだろうか。

※空也の滝・・・平安時代中期の僧、空也上人が修行した滝。

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