刃(やいば)の先が わたしに


長岡紀子

 

          
 今までに二度 刃を向けられたことがある。
 一度目は出刃包丁で 二度目は山刀で。

 一度目のそれは 私が23年間働いて退職し次の目的への準備をしていた頃。 時間がたっぷりあるなと見越した知人から「息子の面倒みてくれないか」との頼みがあった。息子はしんちゃん。彼が小学生だった頃から知っているが学級内で出回ったり異言を放ったり母親は絶えず心配していた。父は高校教師 母は大学の講師で翻訳の仕事もいそがしい。エリート家庭である。確かに共働きで彼にたっぷり寄り添えなかったかもしれないが。家庭の事情は大なり小なりどこでも。その後引っ越しされ出会いは薄れていたが。

 その頃は車を運転していたので京都の南から北の端へと向かって走った。数年ぶりに出会うしんちゃんは年齢は高校生ぐらい。ひょろりと背も伸び学校も行かず家にいるので少し蒼白いが母親似の大きな目で私を迎えてくれた。私の仕事は両親の留守の間 週2,3回 昼食を用意し彼と共に食べ共に時間を過ごすこと。「しんちゃーん。お昼ご飯だよ」というと2階からダダーと大きな音がして降りてくる。テーブルに用意された食事を食べてくれたり食べなかったり。会話はあったりなかったり。
 ある日 食事が終わって片付けようとふと振り返えると彼が出刃包丁を私に向けていた。私は立ちすくみ不動の姿勢のまま「しんちゃん」と言ったような言わなかったような。

 彼はショパンやモーツアルトの曲を聴きしばらくするとピアノで叩き付けるようにその曲を弾いたことがある。豊かな才能を持ちながら自分自身をうまく表現できなくてクローズしてしまった彼。私に向けた刃はあなたの言葉として大切にしています。

 2度目の刃は山刀。
 私は退職後 あるNGOを通じてインド南部タミールナド州のアンバッカムという村に滞在したことがある。住まいはキリスト教系のNGOの宿舎。ドロップアウトした あるいはその傾向のある女性(中学生か高校生の年齢)がドレスメーキングの裁縫や染色の力を身につけ村に帰って自立出来るように共に学び生活するのである。そこには貧しくて学校に行けない子 身体の不自由な子供達も一緒に生活していて女性が面倒をみて共に成長するのである。日曜日には礼拝があり広間に全員が集まり大太鼓やタンバリン カスタネットをならし盛大に神を賛美するのである。
 私の受け持ちはバチック(ろうけつ染め)部門。インドにある伝統的なデザインを取り入れ フェアートレイドとして日本に帰国後売れるような製品をデザインしたり作ったりして手伝った。

 ある日 散歩好きな私は陽の沈む前に宿舎の周りに足を運んだ。建物自体が森林を切り開いて建てられたもので周りは自然の只中に身を置いている日常である。しばらく歩くと切り開かれた広大なマンゴー農園がある。季節によっては黄色 桃色 橙色 赤色とずんぐりおいしそうな実がぶら下がっていた。農園には入れないので その周りをぶらぶら歩いていると一人のインドの男性が私の前に現れた。

 布を腰に巻いたロンギ 着慣れたシャツと頭にはタオルを巻いて 裸足。 多分農園を守る人であったろう。なにか話しているがタミール語の解らない私は黙っていた。すると彼は腰の山刀を抜くとわたしに差し向けてきた。。。。。。。。が彼はそれをひらりと動かし踊り出したのである。身振り面白く曲はないけどきっと伝統的な踊りのような。ひとしきり踊って最後に片手を私に差し出した。
(あぁ お金が欲しいのだ)と思ったがその時 私はノーマネー。きっと私も身振りでノーノー持ってないのよと伝えたと思うが。外国人はお金持ちと思っていたのでしょうに申し訳なかった。彼はそのままマンゴーの実る農園の奥へと消えていった。

 記憶は忘れてしまうが 波のように寄せ返す。映し出すと胸は高まり 私の財産のようなもの。



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