「国際交流インド2009」に参加して
                            薬師川 虹一



比留間一成会長 シュニエル・ゴンゴパダエ氏

 日本詩人クラブ創立60周年記念事業の一つとして、「インド国立文学院」会長である現代詩人シュニエル・ゴンゴパダエ氏を招いて上記の会が催された。12月12日の会は「タゴール以後のインド詩―多言語国家の詩文学」というテーマでゴンゴパダエ氏の講演を中心に芝・弥生会館で開催された。インドの詩と言えばタゴールの「ギタンジャリ」を読んだと言うよりパラパラと見た、程度の私なので、インドの詩人から話を聞けると言うので東京まで出かけて行った。関西からは、関西大会担当の横田英子さんをはじめ、外村文象さん、名古きよえさんのお姿をお見かけした。
 小柄な婦人を伴ったゴンゴパッダエ氏は大きな体の詩人だったがその話す声は体に似合わず可愛い声なのに少し驚いた。詩人クラブの準備はとても行き届いたもので、詩人の講演はあらかじめ日本語に翻訳されていて、立派なパンフレットになっていた。その上、彼が話すと、一段落ごとに通訳の女性が日本語で話してくれる。さらに詩人の後ろにおろされたスクリーンの画面にその日本語が映し出されると言う二重の親切さである。だが、その連携が少しうまくいかないこともあって、やや煩雑に感じられた。詩人の英語は少々聞き難いものだった。
 話の内容は、そのパンフレットを見て頂ければいいので、私の個人的な感想だけを記してみよう。
 詩人は1934年の生まれと言うから私より五歳お若いと言うことになる。現代詩を書き始められたのは、五十年以降のことで、これはかなり意味のあることらしい。と言うのは、休憩の後の講演で丹羽京子氏の言われるには、インドで詩人が自分の個性と言うか感性を表現し始めたのは五十年代以降のことらしいので、ゴンゴパッタエ氏はインドにおける現代詩の黎明期の詩人と言うことになる。タゴールからゴンゴパッダエまでと言えば、それはまさにインド現代詩の歴史そのものと言うことになる。
 はじめ、インドの新しい詩人たちは十九世紀イギリスの詩人たちを手本とし、T.S.エリオットやイエーツに学び、ボードレールやランボ―を見出したのは六十年代になっていた、と彼は回想する。つまり一世紀遅れてインドの新しい詩人たちはヨーロッパの詩人たちを追いかけていたことになる。だが百年前の、しかもヨーロッパの詩人たちに見習うのはばかげたことだと気付いた彼らは、自分たちの詩を書き始める。詩人は自分のルーツに根ざしているものであり、自分の環境から生まれた言葉で書くことによってその精神は世界を超え宇宙にまで届くのだと言うことに気付く。ゴンゴパッダエ氏は自分の言語すなわちベンガル語で詩を書き始める。自分の言葉で書かねばならない、と言うのが彼の信条なのだ。だがインドには二十二とも二十四とも言われる言葉があると彼は言う。それぞれが土地に密着した言葉なのであろう。私はこれは大変なことだと思った。日本には一つの日本語しかない。もちろん方言は幾つもあるが、これはインドの場合と根本的に異なる話なのだ。シュニエルさんの生い立ちや伝記的な話も興味はあるが、私は彼の語る言葉の問題に心を惹かれた。一体インドの言葉と言うものはあるのだろうか、という素朴な疑問である。確かにインドと言う広大な大陸と、日本という小さな島国とは国としての風土が根本的に違うことはわかる。我々が「言霊」と言うような意味の言葉がインドにもあるのだろうか。二十二の言葉が「言霊」を持ちうるものだろうか、という疑問である。
 講演の後、質問の時間が持たれた。めいめい質問を書いて提出するようになっていたので、私はそういうようなことを書いて提出しておいた。時間の関係で、多くの質問から四つ、五つの質問が読まれてシュニルさんが答えられたが、幸い、私の質問もその中に入っていた。私の質問に彼は、皮肉な答えをした。「日本の現代詩の言葉に魂がありますか、あるのはただ意味と音だけではありませんか」と。これは痛い返答だった。確かに今の日本の現代詩の多くは、奇を衒う言葉、器用な言葉、難解な言葉、などが羅列されることは多いが、詩人の魂がこもった言葉があるか、と正面切って問われると、いささか答えに窮さずにはいられない。そのくせ、「言霊」を口にすることは多いのだ。言われてみれば、「言霊」とは言葉そのものにあると言うより、詩人自身の中にあるものだろう。「仏はどこに居る」と尋ねられた羅恰羅尊者は自分の胸を開いて見せた、そこには仏の顔があった。「霊」は言葉にあるのではなく、言葉を使う人の胸にあるのだと言ってもいいだろう。
 シュニルさんの答えを聞いて、私はその通りだ、と思った。当たり前の答えを聞いて感心するのは変かもしれないが、インドの詩人からそれを聞くと、妙に納得してしまった。この納得感を貰っただけで、ここまで来た意味がある、と自分に言い聞かせて、懇親会で杯を傾け、その後、気の合った友人たちと外の居酒屋に出かけて、楽しく酔ってホテルに戻った。楽しい一日だった。




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