バルバラ

 
左子真由美

 

         
 思いだしてくれ バルバラ
 あの日ブレストはひっきりなしの雨で
 きみは歩いてきた 微笑みながら
 雨のなかをはなやいで うっとりと きらきら光って
 思いだしてくれ バルバラ
 ブレストはひっきりなしの雨で
 ぼくはシャム街できみとすれちがった
 きみは微笑んでいた
 ぼくも微笑んだ
 思いだしてくれ バルバラ
 きみをぼくは知らなかったが
 きみはぼくを知らなかったが
 思いだしてくれ バルバラ
 それでも思いだしてくれ あの日のことを
  ・・・・・・・・・・・・・・・・

  (ジャック・プレヴェール「バルバラ」大岡信訳)

 映画のワンシーンのように始まる雨の情景。ジャック・プレヴェールの「バルバラ」の冒頭である。戦いの始まる朝、通りすがりのぼくは、優しく降りしきる雨の中ブレストの街を歩く女を見た。その女はぼくを見て微笑み、ぼくもまたその女を見て微笑んだ。雨宿りしていた男が「バルバラ」と呼びかけると、彼女は走って彼の腕に飛び込んだ。けれど、その幸せな情景は、その後の「鉄の雨」によって無惨に打ち砕かれてしまった。「おお バルバラ/何という気狂い沙汰だ 戦争は」と、止まらない雨のような饒舌でプレヴェールは語りかける。
 この詩を知ったのは学生の頃だった。それからずっと胸に焼きついて忘れられない詩となった。この詩のなかに次のようなフレーズがある。

 一度しか会ったことのない人でも
 ぼくは愛するすべての人をきみと呼ぶ
 たとえ一度も会ったことのない人でも
 愛し合うすべての人をきみと呼ぶ

 ことあるごとに呪文のように思いだした、私にとっては大切なことばである。
 今も世界のどこかで鉄の雨、はがねの雨、血の雨が降っている。そしてバルバラは世界のどこにでもいる。たったひとりのバルバラ、たくさんのバルバラ、それは決して失ってはならない普遍の愛、人間にほかならない。   




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