不揃いの湯呑み茶碗たちよ


北村真

 
  京都の「ほんやら洞」が全焼した朝は、よく覚えている。幾人かの懐かしい友人から動画付きのメールが届いた。出火時間は午前4時ごろ、私は寝ていたが、スマホ撮影された動画が拡散され、朝のニュースはそれを繰り返し放映した。木造建ての二階、三方の本棚の壁に、積み上げられた本が、燃えているのだろう、異様なくらい太く激しい炎が窓から吹き出ている。すでに消火を終えたはずなのに、目の前で起こっているような、錯覚を起こす。何かを助け出さなくてはと思うのだが、何かを持ち出せばいいのかわからない。悲しみと虚無感に襲われながら、その時、なぜか、冷静に「ほんやら洞」で過ごした最後の日のことがよみがえってきたのだ。                 

 「ほんやら洞」は、1972年、岡林信康らミュージシャン、文化人、市民たちの手で開店した。2階スペースでは、文化人らのミーティング、若い画家たちの個展、ライブ、映画会などが、連日、行われたという。馬有敲さんらオーラル派と呼ばれる詩人たちが集まり、詩の朗読会も行われたとも聞く。伝聞調で描いているのは、そのイベントに一度も居合わせたことがないにもかかわらず、強い関心と憧れを抱いて、「ほんやら洞」で珈琲を飲んで過ごしたことのある「遅れてきた世代」の、私もその一人だからである。
 
 最後に訪ねたのは、火事の前年の12月である。午後の半日、2階を貸し切り、同人誌「冊」の合評会を行った。名古屋や東京に住む同人たちと、京都で合評したのは初めてであった。店長で写真家の甲斐さんのブログ「カイ日乗」の、2014.12/6(土)の記録として、「2F、13人の読書会」と記されているのを、後で知った。

 同志社大学構内の「ユンドンジュの詩碑」を訪ねた後、子育てで遅れてくる若い同人を、二階で待っていた。大きなごつごつした木のテーブル。三方の壁に取り付けられた本棚。無造作に並べられたチラシや写真集。うずたかく積まれた本。床の片隅には、マイクスタンドやスピーカーにつながれたままのコードが這っている。思い思いの場所で、それぞれのページをめくったり、それぞれの会話を楽しんでいた。

 しばらくして、ぎしぎしと木の板をきしませながら、チャカチャと瀬戸物がぶつかる音が階段の下から聞こえてきた。カレーとたばこと珈琲のにおいのする暗闇から、パントマイムのようにゆっくり若い女性が、湯飲みを盛った大きな二つのお盆を、両手にのせて登場したのだ。そして、大きな樹のテーブルに、お茶の入った13個の瀬戸物を並べたのだ。その手慣れた振る舞いや温かいほうじ茶に感激したが、なにより、湯呑み茶碗のそれぞれ形や模様や大きさが微妙に異なっている、そのありように驚かされた。どこか、陶器市で、適当に買い込んでそのまま出したような無骨さで、しかも、それが暮らしの中に溶け込んだ自然さとともに運ばれてきたのだ。

 ほんやら洞の火事は、2015年1月16日の朝だった。すでに、5年たった。日常の中の哀しさにあっても、行き先の見えない不穏な非日常にあっても、ときどき、あの日の「ほんやら洞」の「不揃いの湯呑み茶碗たち」を思い出すことがある。何かが終わり消えていくときに、かならず残されてゆくものがあるとしたら、「ほんやら洞」が私に残してくれたのは、いや、私が受け取ったものは、その「ガチャガチャと音を立てぶつかり合いながら、闇をくぐろうとする不揃いの湯呑み茶碗たち」の姿なのだと思う。

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