子育てと仕事


田島廣子

 
 

 1年間働き助産婦学校を受験しようと思っていたのに、「そんなにまでしなくていい」と言うので結婚した。銭湯帰りには線路沿いに歩いて月見草を見た。

「月見草は月を見て咲くんだよ」と、言った。

 子どもたちは大和川でオタマジャクシをとってきたり、電信柱に登って2階のベランダから部屋に入ったりした。勝手に洗濯機にズボンを入れられると小石が回ったりした。「田島さんみたいに思い切り子どもを遊ばしたい」と言われたりした。勉強ばかりしているとか もやしっ子はいやだった。                           

 長男が「首から鍵をぶら下げて汚い顔をしたアホみたいな、子やなあ」と道でおばちゃんがいうたでと怒っていた。「おとおんも、おかあんも大きな立派な病院で一生懸命に働いているから気にせんでいいよ。」と夫は言った。

「今度言うたら、追っかけて行ってビンタしてやるわ」と私は言った。

 27歳 私は厚生省の婦長試験を受けた。夫は「あんたが、合格したら2階から1階に逆立ちをして、おりたる。」と言った。「はやく子どもにご飯を食べさせたい」と夫は買い物したり、食事を作ったり、掃除機をかけたりした。

 いよいよ面接 緊張しながらそっとドアをあけた。そのとき、するっと足元からスリッパが、看護部長 事務部長 10名並ぶ方に滑って行った。

 私は動揺を隠して椅子に腰かけた。何を話したかもはや覚えていない。

 残念な結果に終わるのだろうと思っていたが、半年後に聞くと合格をしていた。

 

 36歳 私たちは夫のいとこたちと毎月ボウリングに行っていた。車から朝日が真っ赤に燃えながら登って来るのを「ああーなんと美しい」と思っていると、娘は「ボウル ボウル」と指をさした。一番先に保育園についた。

 

「おい こらっ またんか」タオルを腰にぶら下げて、自転車で走っていると、不審者と間違われて呼び止められた。「名前は何というのか、どこに行くのか」

と言われ「田島 諭と言います。」と言って名刺を出すと,びっくりして「はあ ご苦労様です。」と手を顔の横にかざして、最敬礼をした。「おもろかったでえ」と、楽しそうだった。

 第一印象は言うまでもなく大切です。全身から溢れ出る魅力は、すてきで、言葉はいらないように思う。

 子どもは毎日変化をして成長していき、親をビックリさせたりした。

 

 

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