万博点描


和比古

 

    

 万博が大阪へ2025年に戻ってくる。EXPO´70は大学に入学した翌年の1970年に開催された。数多くの人が訪れたものである。特に月の石を見るため長い行列ができた。今でも、太陽の塔は多数の人が内部見学をしている。当時京都にいた私は、北千里に住む大学の友人宅から万博を訪ねようと考えた。丁度彼の両親が転勤で不在だったため、友人たちと泊りがけで行った。しかし、徹夜でマージャンをし、疲れで万博見物どころでなくなり、目的は達せられなかった。閉幕の直前に機会があり、従弟のブラスバンドの演奏を会場で聞いた。その後、会場跡地は万博記念公園になった。四季折々の花を観賞したり、日本庭園の散策などを楽しめる。民族博物館ができ、万博駐車場の一部は大阪大学の吹田キャンパスになった。大阪大学に赴任した当時は、学生たちの野球場であった。小生もアスファルトの硬いグランドで学生に混じって野球を楽しんだものである。後日、そのグランドは医学部保健学科や情報科学研究科の建物が占めた。また万博開催の少し前に、自動改札システムが万博会場に近い阪急電車の北千里駅に初めて導入された。この技術課題の解決において、大阪大学の手法が大きなブレークスルーをもたらし、ムロン近畿日本鉄道が共同開発に参画した。千里ニュータウンは未来を感じさせる街であった。

 一方、大阪万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」は関西詩人協会にも在籍された(故)島田陽子さんの作詞によるものである。レコードの総売り上げは300万枚を超えた大ヒットとなった。6年後の大阪・関西万博ではどのような詩(歌)が生まれるか楽しみである。

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