山百合


名古きよえ

 


 田植えも終わって一休みの時に心をやさしくしてくれるのは、里山に咲く山百合だった。乙女心にこれほどぴったりのものはなく、花芯にほのかなピンクを染め、香りは高く、何か自然を敬愛する思いにさせられた。
 ある日、門の甕(かめ)に一杯、山百合が投げ入れてあった。私は驚きと共にある増悪を感じたが、誰?と尋ねなかった。
 父か兄? 母ではないと思っているうちに、その山百合は数日で片づけられた。二、三本か、多くても五本くらいがいいのにと思ったのは確かである。
 あのころは農機具も農薬も入っていなくて、山百合が咲き出すと父母は農閑期でのんびりする時間があった。
 家族も連れられて遊び気分になって、私は近くの山の谷あいで双子の山百合を見つけ、その頃の親友に見立てて喜んだ。戦争中であったが自然からもらう花や木の実は豊かだった。
 人知れず咲く山百合なども出会った時の喜びは単純に心をあかるく満たしてくれた。

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