クライストチャーチの惨劇


田村照視

 

世界一平和な都市といっても過言ではない公園都市、家々は競うように花々の庭園を作り、市の中心をくねくねと緩やかに流れるエイボン川を、ゴンドラが恋人たちを乗せてゆっくりと時間が流れていく。

こんな穏やかなクライストチャーチに起きた大地震(2011)に大聖堂は崩れ落ち185人の犠牲者を出した、中には28人の日本人留学生も含まれていた。

エイボン川に架かる橋は飴細工のように折れ曲がり、震災から四年後に訪れたクライストチャーチは以前の姿と雰囲気は一変していた。

その上 今年の3月15日の暴徒による銃の乱射による惨劇である。

初めてニュージーランドを訪れたのは、1980年代であった。

本気で移住を考えて、西オーストラリアのパースと、この国の南島の最北の港町ネルソンを中心に、北島から南島までレンタカーで走り廻った。

空港に到着するとレンタカーを借り、ゴルフバッグと小さめのスーケースをトランクに載せ、一号線をその日の気分で決め南か北へ走る。

当然のことホテルも決めないまま、ゴルフ場があると飛び込みビジターでプレイするのだが、大抵はパートナーを待っていたゴルファーと廻る、その気さくなこと日本では考えられない。

休日は大抵のクラブがクラブコンペをやっているのだが、そのコンペにメンバーでもないわたしを、各地で招待してくれた。

コンペが終わりクラブハウスでの表彰式にも必ず招かれ「今日は珍しいお客さんを紹介します、日本から来られたミスター田村です。」グリーンジャケットを着たキャプテンから、ロゴマーク入りのゴルフボールを頂いたことも数回ある。

夕方になるとホテルを探すのだが、極めて簡単で国道筋にモーテルが多い、ホテルの前には必ず、VACANCY(空室あり)の看板が掲げられている。

わたしの一番好きな国、移住まで思いを馳せた国、以前のような落ち着きを取り戻して貰いたいと切に願う。

 

*10数回旅をしたこの国には多くの友人や、私の車に乗り込んで来たヒッチハイカーの人たち、その他多くのエピソードがあるが、紙面の都合上またの機会に書きたい。

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