現代詩に未来はあるか
                            榊 次郎



 これから先二〇年、三〇年後は、AI(人工頭脳)やロボットが、今行っている人間の様々な労働分野に取って代わる時がやって来るであろうと、識者たちが発言している。中でもイスラエルの若き歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』『ホモ・デウス』で人類史に新しい分析・検証を提示し、人類の行く末についてまったく新しい見解を発進している。  

 人類は今、石器時代の何千倍ものパワーを手にしているが、何千倍も幸福になっているとは思えない。「金だけ今だけ自分だけ」の世界が続く限り人類の未来はない。テクノロジーの急激な進化に人間の意識が追いついていないため、近未来がどうなっていくのか、予想することさえ出来ない状況だ。このままテクノロジーに振り回される時代が続けば、いずれ「役立たず階級」が大量発生するとも筆者は警告を発している。だが、どんなに知識を集積しようともまだ人間に取って代われないものがある。AIやロボットはインプットされた領域でしか活動出来ないからである。自己判断できるようなものが現れれば別問題であるが、それらが現れる間は、感情や情緒的な事柄に左右される複雑な人間の心理をAIなど、どれだけテクノロジーが進化しようともその意識(喜怒哀楽)を表すことは出来ない。

 人間が何たるものであるかも理解できないのである。そこに詩を初めとした文学の存在が生き続けて行くことが出来る。

 これからの時代、我々人間の精神的規範として創り上げて来た宗教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教等々)に取って代わるテクノロジーと云う新しい神に席を譲り渡すのかもしれない。だがそれゆえ、人間性復活のために、詩の果たす役割はますます力を発揮できる要素が残されているのではないだろうか。





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