関西詩人協会HPと私
                            永井ますみ



 2013年8月31日に水口洋治さんが心筋梗塞で亡くなられた。彼は関西詩人協会設立の当初からHPの構想を持ち1997年9月に開設した人だった。その頃時期尚早という委員の声が多い中、接続費も含めて3万円の予算をもって発足したと聞いている。
 私は2回目更新の「会員の詩」からかかわった。水口さんに会員の詩の選定と許諾と写真とテキストを要請されたのだ。預かった写真をスキャナーして送っても「見られない」原因が、流通している画像拡張子JPGしていない事にあると分からなかったり、一太郎が認識されないと分からなかったり、全く初歩の処でぐずぐずして、水口さんには色々教えられる事が多かった。

 1999年、水口さんの自律神経失調症の回復がままならないと、私に全面移譲を持ちかけられた。看護婦の仕事をし、子育ての真っ最中ながら引き受けた。引き受けたは良いが、その更新作業に四苦八苦した。他人の頁を乗っ取るのと同じ話だからだ。結局私の手持ちの頁「山の街から」を他へ移して、関西詩人協会を私のニフティの中に再構成することに成功した。
 その後は順調に12年ほど、私ひとりで変更作業にかかわった。なるべく早い報告(頁作成)と具体的な写真や講演内容を盛り込んで、それが自分の主な仕事のようになった12年間だった。

 2011年から関西詩人協会運営委員を辞した。(二回以上継続すると委員を辞退する権利が生じるのだ)その後、すみくらまりこさんと寺沢京子さんが2014年の役員改選まで担当して、今は松村信人さんとすみくらまりこさんが関わってくれている。
 イベントの度に写真を撮ったり記事を書いたりと大変だと思う。画面が少し上品な感じになっている。会員の詩は三ヵ月毎にテーマ性をもって更新されている。詩画展やイベントなどにも参加してちゃんと更新されているのを頼もしく思う。この度はエッセイのコーナーも持続的に変えていくという新方針に応えて、一番に書かせていただいた。

 義務として続けてきた委員だったが、最近の私の動き方を考えると、ずいぶんお陰をこうむっているものだと思う。前に出て喋る事はおろか、テキストを読むことでも避けて来た私を知っている古い友人たちは、色々なイベントを企画する今の私が信じられないみたいだ。「あんたなぁ、何で、いつからそんなに変わっただ?」と言うが、実は私自身も信じられないでいる。

 詩を書くのは孤独な作業である。勿論だ。しゃべりながら書ける訳がないし、人の評価を気にしていても佳い詩が書けるとは思わない。しかし、関西詩人協会のような集まりがあり、時々顔を合わせ、声を掛け合うことで、その人の詩を読んでみようかと思い、読んで貰いたいと思うことがあるのではないか。
 詩は省略が多いので伝えきれないことも多いけど、文章にしたらその人の普段の考えや暮らしがもっと伝わって、親近感が湧くのではないかと思う。このエッセイのコーナーが繁盛する事を願っている。(2015年10月記)

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