講演
 「詩と俳句のことば」坪内捻典
 講演する坪内稔典氏
 

 まず俳句では「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」 という子規の句が有名で、それは古い昔から続く日本人の心の故郷のように思われている。じつは日本の和歌に食べ物が歌われることは先ず無かった。和歌というのは貴族の文学であったので、食い物を和歌に詠むという下品な事は禁忌だった。日本で詩歌と呼ばれているのでは、詩は外国のもの(中国の漢詩)で歌とは和歌の事だった。

 時代が下って、江戸時代、和歌は非常に難しいので(禁語が多い為)日常の言葉で歌を作る俳諧というものが流行った。その中でやっと柿が登場した。かきくけこ、くはではいかに、たちつてと とか木のそばに市を立てたる熟柿かな いわゆる言葉遊びである。更に芭蕉で、物から風景を感じさせるようになる。里古(ふ)りて柿の木持たぬ家もなし というように。昔、嫁に来るとき柿の接ぎ穂を持って来る風習があった。老いて、死んだときはその柿の木を切って薪にして遺体を焼いたという、そしてその骨を柿の枝で拾うという女の人生に沿って柿の木がある、という風景が浮かんでくる。

 近代に入って、新体詩が漢詩に代わって現れた。この新体詩は「思想」を中心とした詩を目指したが、そこに問題があった。思想に拘りすぎたが為に、現実から非現実への離陸がうまく行かなかった。現代詩が元気がないと言われて久しいけれど、現代詩が思想の詩だから行き詰まったのではないか。思想が現実を引きずりすぎているから面白くなくなったのではないか。

俳句は今のところ創作人口も多く活気があるが、その内、元気のない詩の影響を受けるのではないかと思う。近代俳句は新体詩に対応した短詩だからだ。
私自身、ことばに依って自分が変わる経験をしてきています。1982年の三月の甘納豆のうふふふふという俳句なのですが、一月から十二月まで作りましたが、これが一番評判が良かった。甘納豆に即して考えられるようになり、坪内さんは甘納豆が大好物だと、あちこちから甘納豆を贈られて体つきまでふっくらとしてきた次第です。

 句会というのは作者名を出さないで評価します。評価する者も作者名を考えないでひたすら作品のみを読みます。作品はどう読まれるかが問題で、このように読んで欲しいという自己解説をするのは駄目です。そして添削をしますが、その添削をされた句が本人の句という事になります。俳句のように短い詩では5・7・5と言う枠を作る事によって非日常の世界を作りますので、一時流行った自由律俳句は非日常が作れないと言う意味で非常に難しい。
 
 現代詩を元気づける為にはもっと徹底した遊びを取り入れることが良いのではないか。(文責・永井ますみ)

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