第4回文学館ツアー

関西詩人協会 主催
「陽」の会    協賛

時 間  集合 JR大阪駅中央改札口案内所前に  正午 世話係が目印のポスターを持ち、出欠をとります。
          集合する前に各自でJRの切符を買って下さい。「茨木」行き210円です。
      解散 三好達治記念館(到着時) 午後4時
行き先 F 茨城市立富士正晴記念館(茨城市立青少年センター併設)
          茨木市畑田町1−51  п@0726−27−7937
     K 茨木市立川端康成文学館
          茨木市上中条 2−11−25 п@0726−25−5978
     M 三好達治記念館
          高槻市上牧(かんまき)町 2−6−31本澄寺(ほんちょうじ)内
                           п@0726−69−1897
費用  一人2000円程度(大阪駅までの各自交通費・食事代は含まない)
 コースを表にしました


このHPでその時の感想等ミニエッセイを募集します。
永井ますみ宛にメールでも葉書でもお寄せ下さい。ここで公表したいと思っています。
写真もあれば欲しいです。デジカメでなくて結構です。
私は当日勤務の都合で参加できませんが、皆様の収穫の大からんことを。


文学館ツアーのレポートを頂きました。ご報告します。



         文学館ツアー報告     神田さよ

                            2000年3月24日(金)
                            JR大阪駅集合(正午)
                            参加者 21名
    
 前日の雨も上がりJR大阪駅で待ち合わせ、正午に出発。JR茨木駅にて、5名の参加者と合流。タクシーに分乗し茨木市立中央図書館内の富士正晴記念館を見学した。
 大正2年徳島県に生まれた富士正晴は、昭和26年、茨木市安威に移る。昭和62年、安威の自宅にて死去。
 富士正晴資料は昭和63年富士家より茨木市に寄託された。総数約8万点に及び、一人の文学者が残した資料としては最大級である。
 書籍、雑誌、原稿、日記、創作ノート、書簡、書画、版画、雑資料等約78,600点が展示、及び収蔵庫に保管されている。目録にて資料を閲覧できる。当日ツアーの参加者が富士氏へ宛てた書簡の目録等を発見したり、身近にその人物像を抱くことができた。
    2.
 徒歩にて、15分ほどで茨木市立川端康成文学館に到着。
 川端康成は、明治32年大阪市北区天満に生まれる。2歳の時父を、3歳で母を亡くし、大阪府三島郡豊川村大字宿久庄(現在の茨木市宿久庄)の祖父母のもとにひきとられた。その後大正3年祖父が亡くなり、豊里村(現在、大阪市東淀川区)の伯父の家にひきとられる。大正4年、茨木中学の寄宿生となる。大正9年東京帝国大学文学科入学。その後数々の作品を発表する。昭和43年ノーベル文学賞受賞。茨木市名誉市民に推挙される。昭和47年自らの生涯を終える。その後昭和60年茨木市は川端康成文学館を開館した。著書、遺品、書簡、原稿、墨書、模型等
約400点が展示されている。入館料200円(茨城市民は無料
    3.
 川端康成文学館を後に、阪急茨木駅まで歩き、阪急電車に乗り、上牧駅に着く。駅より徒歩約15分。三好達治記念館がある本澄寺に到着する。
 三好達治は明治33年大阪市西横堀に生まれた。兵庫県三田市の祖母の再婚先の日蓮宗妙三寺で育ち、11歳で大阪に帰る。その後大阪陸軍地方幼年学校から東京陸軍中央幼年学校へと進む。21歳で東京帝国大学仏分科を卒業。昭和39年逝去する。
 没後、13回忌に弟妹親族が寄り、弟が住職である墓所日蓮宗本澄寺に記念館をつくる。館内には自筆原稿、遺品、著書、写真、参考文献等が展示されている。達治研究の基礎資料の確保につとめている由。現在は弟の子息が住職となり管理をしている。
 達治研究のそれぞれの評論家の論と達治の甥の住職の達治観に、大きな根本的違いがあり、達治が戦争詩を書いた精神の源などを、直接私たちに力説された。
 寺の境内には山茶花で囲まれた三好達治のお墓に参加者でお参りした。
 達治記念館は、個人所有であるので次世代の保管管理はどのように引き継がれるか考えさせられた。資料の面では文学館と言うのには少し不足の観があるが、血縁の方の保護にあって、詩人三好達治が熱く見守られていることは、喜ばしいことと感じた。
 4時半、現地にて参加者は解散した。

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