関西詩人協会イベント・2011
詩の言葉にできること

見つめましょう!詩の現在 想いましょう!詩の未来

日時:2011年10月2日 午後2〜5時
場所:「京都きよみず花京か」(旧京都健康保険組合保養所)
参加費:1500円(飲み物つき)
レポート:永井ますみ
司会:橋爪さちこ・左子真由美/進行:北村真・北原千代
始まりの挨拶:横田英子

第一部:アーサー・ビナードさんのお話「立ち上がる言葉、生き残る詩」

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詩「ねむらないですむのなら」朗読。

この詩は徹夜をして眠らなかったら仕事が捗るだろうなと思った時に浮かんだ。
 この詩を発表する時に編集者と食い違ったところがあった「海も放射能のスープと化して」というところです。なぜこれを削ったらいけないのかというと、(二行削って朗読)この詩が地球温暖化、いわゆる自然破壊をなんとかしなきゃと訴えている詩になります。意図に反して電力会社のPRに利用される可能性もなくはないです。この詩に「放射能のスープと化して」が入ってないと、CO2による温暖化問題を書いている詩に解釈ができちゃう。電力会社がでっちあげた「原発はCO2を出さないからクリーンエネルギーだ」という90年代から繰りひろげられた詐欺大作戦に利用される可能性があります。作者の手から離れると、どう読まれるか使われるか解釈されるか、コントロールできない。だから書き手として自分の作品が誤解がないように悪用されないように作品自体に本質的な表現を盛り込む必要がある。



 2008年にまとめたもう一篇の詩「ウラン235」朗読
核の問題に関することは、その正式名称のなかにインチキが入っていて、事実を歪曲している。「ウラン235」が原子炉に装填されると「核燃料」という名前に変わります。燃料ではないのに燃料と言った方が皆さんに売り込みやすいだけです。「核分裂生成物」が正しい呼び名です。これを原子炉に入れて一年間ジリジリ焼くとウラン235が核分裂して、もっとイッパイ手ごわい核物質が作られます。その後、原子炉を止めて抜きますね。「核燃料棒」をどう呼ぶかというと「使用済み燃料」ね。これはもっと凄い嘘。プルトニウムという核兵器を作る原料がやっと出来上がった。それを使用済みという嘘。それを見抜いてないと、言葉で詩を作ろうとしても、その言葉を自分で解剖して腹黒いなと分かってないと読者に本質が伝わる詩にならない。福島で起きていることによって、よりはっきりあぶり出され、分かりやすくなっている。


 詩人の仕事としては、嘘を見抜いたうえでどうするかだ。僕の来日のタイミングと重なったから、よけい驚くような言葉のずれが見つかったのが1990年の湾岸戦争です。新聞の見出しに登場したのが「勃発」だったのです。これ「勃発」と「勃起」の同じ「勃」だったのです。忘れられない衝撃でした。しかし、戦争というのは勃発するのか?英語で考えていたときは気づいていなかったけど、戦争は勃発するものではない、と気づいた。戦争するためには経済界と権力者と国民をどうごまかすかを、長期計画でじっくり堂々と長いスパンでやっている。僕はそれを見抜いて、何年もガミガミ周りには言っていた。それに対して作品でその事を振り返るところまでしてなかった。詩人としてやってないという事にさえ気づいてなかった。



 イタリアのジャンニ・ロダーリの童話に、『ベルの鐘の戦争』フランスのベフが絵を描いた絵本が送られてきました。
絵本『キンコンカン戦争』朗読


 終行「平和勃発のお祭りさ」ロダーリは戦争勃発の嘘を見抜いて見事な物語作品を作って「平和勃発」ということばに命を吹き込んだ。そうすると「戦争勃発」の嘘に気づくのですね。詩を書く人間も常にそういう問題を抱えて創作することになるの。読者に全部新しくて、全部常識を覆すことや、怠けている思考回路を刺激するような濃密な作品を手渡そうとすると誰も読まないですね。現代詩が難解だと言われているのはそれもひとつ関係しているのかも知れませんね。だから物語や歌のなかで、一番新しい命を吹き込むべき場所を作り手が感じて、その題材と相談しながらヘソの部分を読者に手渡すのです。欲張って全部新しく、全部斬新なものにしようとすると、読者に何も伝わらない。



 ベンシャーンの絵と僕の文章で絵本を作ることになった。第五福竜丸物語です。23人の乗組員がマーシャル諸島の近く、といっても100キロ以上離れているのだけど、その南の海でハエナワでマグロを捕っていて、1954年3月1日の未明にアメリカ国防総省がビキニ環礁で行った水爆実験と遭遇したんです。それを見た久保山愛吉という船長はそれを核実験と察知した。見つかったら証拠隠滅のために米軍に消されると分かっていて、死の灰を浴びながら内部被曝しながら2週間掛けて焼津港へ帰還した。
 日本で初めて原発予算が組まれたのは同じ1954年です、正力松太郎、中曽根康弘たちが作った予算の金額はいくらでしょう?
(会場から)235億・・・23億5千万・・・・
 そうそう、2億3千500万円です。1953年の12月8日に「原子力平和利用」というアイゼンハワー大統領の演説があった。今までは原子力といったら原爆だった。戦争の道具、脅しの道具として作ってきた原爆を平和の為に利用するというそれなのに12月8日にブラボーという、一発で広島の原発の1000倍の威力がある水爆実験をする。5発セットとして行われたのですよ
 原子力は戦争の道具だったでしょう?この演説の前までは、正直に「核分裂生成物」と言っていたのです。ウランの爆弾を広島に落として、プルトニウムの爆弾を長崎に落とした時は、アメリカでは秘密の核開発だった。アメリカ国民に秘密にそういうことをするのは憲法違反なのです。しかも金額が半端ではない。戦争が終わろうとしていて、誰も責任が取れない。ドイツもへたっていたし、もし日本が降伏して爆弾を落とせなかったら大変です。世紀の使い込み犯罪です。爆弾を落とすしかない。トルーマンたちは原爆を落として、アメリカ国内外にPRして同時にアトムを売り込む大作戦しかないと思っていた。何も知らないアメリカの国民に、「この新しい兵器を使うことで戦争が早く終わって、皆さんの息子たちが死ななくてすんだ」と売り込みをした。戦争が済んだら予算を組むために、原爆は夢の兵器だと宣伝し、ソ連に対する恐怖を煽った。50年代に入ってソ連に水爆ができて、アメリカの国民が少し目覚めて、もしソ連と戦争になれば、どうもアウトだという事に気づいた。ソ連に対する恐怖をあおれば逆効果になる。国民は核廃絶を望むだろうということになったのです。
 これが広告業界のプロの奥の手ですパッケイジを作り変える。今、原子炉は何かというと電気?発電所?というでしょう?原子炉は本当は何ですか。熱い釜のなかで原爆をジリジリ核分裂反応を抑えながらやるとプルトニウムができあがるその装置が1942年にマンハッタン計画の中で作られて、その核兵器を作るための原料を作る装置として開発されたのが「原子炉」です。そのあと作られた核兵器水爆も含めてプルトニウム。原子炉はプルトニウムを作るための機械、今もそうです。しかし、それじゃあ売り込めない。
 見えてるとマズイからパッケージを変えます。色々管を付けます。蒸気がでるからね、原爆を圧力釜のなかでやるから凄い熱がでる。、冷やすために水を掛けると蒸気が出る。蒸気が出ると汽車ぽっぽが走らされる。タービン回すこともできる。タービン回すためだけにこんなバカをする人はいない。でも、ついでにできるからそれを主たる目的のように見せて、皆さんの便利な機械として売り込もうではないかという天才的なコピーライター達がいて、その作戦が発表されたのが1953年の12月8日それが今の福島を作っている。それから出てくる言葉はみんな嘘。平和利用を屁とも思っていない。この中にいれるウラン235は燃料ではない。出てきたのは勿論使用済みではない。核兵器を作ろうと思ったら作れる。では今プルトニウムが欲しいかというとそうでもない。余っているけど、平和利用というPR作戦、核戦略の隠れ蓑として機能する為には続けなければいけない。ドイツは原発を要らないというでしょう、それは核兵器も要らないと言っていること。そこをチャンと見抜かなければ何も書けない。見抜けないまま書いたら、逆に無意識のうちにどこかでそのペテンに加担することになりかねない。詩人として私たちにやんなきゃならないことは、言葉ひとつひとつに何が組み込まれているか点検して、見抜いて。それで終わりにしないで、ロダーリが「平和勃発のお祭さ」と素晴らしい言葉を作ったみたいに、僕らも創作でしか示せない方向を、これからも打ち出していかなければならないと思っています。


 詩人の集まりなのでこれは絶対言わなけりゃと思っていたのですが、『本当のサーカス』というお話があって。とんでもなく搾取されてサーカスを止めた六匹の仲間が新しいサーカスを始めたのです。その時のポスターが村に張り出されたのですが「新しいサーカス!子どもと詩人だけが入場できます!」としたんです。子供たちは行きたい。大人たちは詩人だけ?という拘りがあるけれど見てみたいという気持ちがそそられて、会場は超満員。この子どもと詩人だけというのはどういう意味かというと、子どもは裸の王様を見ると「裸だ」と言っちゃう。詩人も裸だと言わなくちゃいけない。核燃料じゃないよウランという核物質だよ、とバカみたいに言うのが詩人なんだね。僕もあるイベントに「嘘を信じて安心したい人は来ないでください」とタイトルをつけようとしたら主宰者の人に「この会には烈しすぎるので」と使われなかったのですが、皆さんこういう否定する事で興味をそそるタイトルは効果的なのでどんどん使ってください。


第二部コラボとポエム

音楽と詩 中尾彰秀 書と詩 加納由将 写真と詩・音楽と詩 尾崎まこと
詩集『静かな背ビレ』より
「星の言葉」
「おのれ」「桜」「詩」「進」 「哲学」「シャボン玉」「方舟」
キーボードを持ち込み
演奏しながらの朗読
書をプロジェクターで映しながら朗読
解説部分は母上の朗読
写真をプロジェクターで映しながら朗読。音楽とのコラボは中尾さんのキーボード
声を一部聴くことができます。は開始。は中止となっています

第三部詩の朗読の集い

有馬 敲 村田辰夫 もりたひらく ときめき屋正平
「せみ」 「提灯と釣り鐘」
「ドミノ倒し」
「手のひら」
「いのち」
2010 原水爆禁止
国民平和行進(斑鳩)

香咲 萌 岩井 洋 白川 淑
「存在」 「流れるせせらぎの
下で」
「夕やけこやけ」
「桔梗とセキレイ」

閉会の挨拶 北村 真





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