関西詩人協会 第2回(納涼)詩話会 


おはなし「詩のことば」  有馬 敲氏


2010年8月1日 14時〜 於:エルおおさか 
             講話筆記録者:紀ノ国屋 千
          テープ起こしとリライト;永井ますみ
                      司会:神田さよ

 今日は、納涼詩話会ということですが、むくつけき僕がでてくると、かえって暑苦しいかもしれませんが・・。(笑い)また、このあと五行詩のワークショップがあるということなので「詩のことば」ということで、お話したい。
 話の前段はお配りしたA3プリントを資料に、原稿の書き方についての定石をしゃべりたい。作品原稿を依頼するとき、A4サイズと指定しても応募者の提出する用紙はいろいろの種類のものを出される。しかし、提出または参加する原稿であるならその用紙の右肩には必ず書かねばならないことがある。たとえばこの会楊の原稿なら「納涼詩話会用」と書く。
 つぎにこの資料の左半分の2段目をみてほしい。そこに、『日本語大辞典』というのに載っていましたのをコピーした「片かな書きのルール」がある。外来語や外国の国名・地名・人名などは、原則として片かなで書く。また、常用漢字以外はかな書きにするというのが普通です。また、副詞・接続詞・感動詞・助動詞・助詞等々やあいさつの言葉などはなるべくかな書きにしたい。
 関西詩人協会の方もそうですが、まじめに散文を勉強されて、知性と教養のある方は、漢字好みがあるんですね。(会場笑い)「是非」とか「程」とか「出来る限り」とか、現代かな使いから言うと、平がなが普通なんです。名詞の「机」とか「時計」とか、そういうのは漢字なんです。で、僕は詩集を貰ったり雑誌を貰って、ぱっとめくって、「程」があったり「限り」があったり、「突如」という言葉がでてきたりすると、もう、それは真面目には書いているかもしれませんが、次を読む気がしません。たとえば「ほほえむ」は<微笑む>などと書かれるが、これは当て字であり、やはり、<ほほえむ>としてほしい。次の例で、「○○することは」というとき、<こと>を事とかいて、「○○する事は」と書く人が多い。これもやはり、<○○することは>と、ひらかなにしてほしい。詩を書いたばあい、書かれた原稿用紙を如何に白くみせるか、に意を配るのが基本である。漢字が多いと黒くなるのです。日本語は、表音文字のひらかなと表意文字の漢字からできている。ちゃんぽんになっているので、朗読の時など書いたものを見せないと正しく伝わりにくい。私は、漢字多用には疑問を持っています。
 話題になった、村上春樹の「1Q84」などは漢字が少ないが、ストーリーは幻想的で奥が深い。ただ編集者のミスでたった一ヶ所だけ「かもしれない」を<かも知れない>としてあるのを発見してしまいました。


 二十歳代に読んだのですが、サルトルがね、『文学は何か』という著書で、詩と散文が完全に違うのは「詩は言葉に奉仕する(servir)」「小説は言葉を使用し(s'enservir)て物語る、説得し説明する」と論じています。言葉に奉仕するということは言葉を丁寧につかえということでね。サルトルには『ボードレール論』というのがあります。詩人のボードレールを高く評価しているんですけど、サルトルが、実存哲学というのは現実に存在するという Existentialismの現実存在ということで、実存ということばで日本では訳されているわけです。ヘーゲルの存在というのと区別しているのです。ボードレールは反対のための反対の詩を書いている。まあ、詩人として評価したいが、サルトルは革命的人間の必要性をそこで論じているのです。サルトルの場合は無神論的実存主義いうようなところから自分の文学を論じています。
 実存文学についてはわれわれも大きな影響を受けた。 アルベール・カミュもいました。不条理の人間を書いた彼の有名な文学論は『シーシュポスの神話』といってギリシャ神話に出てくる王さんが地獄で山に登るのですが、頂上近くへ行くと石が転げ落ちる、それをまた、上へ持っていかんならんという繰り返しの哲学なんです。アルベール・カミュは頂上近くへ持ち上げるたびに落ちて、また繰り返しするという、同じ実存哲学でも違う考え方なんですね。サルトルは徹底した無神論的実存主義なんですよ。だからノーベル賞をやろうと言われても彼はそれについて「ノン」です。ノーベル賞を拒否する、彼の哲学から。ところがアルベール・カミュはノーベル賞を受賞した。ノーベル賞を拒否するのと貰うのでも違う。


 日本の詩について考えるとき、近代詩調・現代詩調いろいろあるが、そんななかで、現代詩時評を書く人々の姿勢には問題がある。それは、自分の枠または、テリトリーの中しか書けていない。たとえれば、会社の人事部的感覚の時評者が多い。詩のことばの本来は、用語にいかに命をあたえるか、が重要である。これについては僕はひとつ納涼詩話会にふさわしい話をさしてもらおうと思ってます。
 NHKの国会討論会ですが、勝手なことをワイワイ言ってるんです。各党の幹事長とか書記局長とか、あれだけ自信を持って自分の考えを自分の党のために言うんです。ある意味で政権交代した以後、現在の政治家ほど熱心に自節を演説するというのはね、詩人以上やなと思います。というのは自分の信念を確信犯のように言うてます。面白かったのは「政治の言葉」を信頼しないかん。こう言ってるんです。首相は言うたことがぶれてる、信頼しないかんと言うてるわけですけれども。なるほど、政治家いうもんは詩人以上に言葉を重視しているなぁと。ところが、政治家の言うてる言葉というのは演説なり説得なりの言葉です。政治家の言葉ちゅうと漢字の言葉ですわ、僕に言わすと。詩の言葉としてわれわれが期待するのはそこに生命力があるということです。そしてどのように与えるかです。
 僕は少年時代、明智光秀の建てた城跡近くに住んでましたけど。まあ言うたら農村ですわ。父親は寒天を製造してました。その僕の家の一軒置いて隣に農家の人が居ました。その人は見かけはふつうの百姓ですが、じつはその人は神通力を持っていたんです。
 少年の僕は、忍術の猿飛佐助や雲隠才蔵などを読んで、こんな超能力があったらええなと思いよったけど。その人がね、百姓して肥桶を肩にかついでいるときは普通だけど、夕方、親父のところへ来るわけです。父親は商売をしていたから、ときどき自分の事業のことを相談するわけです。その人は金儲けではないのです。いまだに覚えているのはまず、日本とアメリカが戦争した、親父が訊くには「どっちが勝ちまっしゃろ」というわけです。その人はアグラをかいて火鉢のそばへキセルを持って、こう失神状態というか、トランス状態となる。その時はうわごとというか、言うとることが神さんの言葉ということになりますが。ところが本人は終わったあとは何を言ったか分からない。目をつむって「飛んでる鶴を一生懸命、犬が追いかけてまんな」とか。「なんででっしゃろ」「いや、分かりまへんな」と。どういう事やろなと僕も子供心に思ったですわ。二三年経ってみたら、日本は負けたんです。
 六歳上の姉が結婚するとき「今度の縁談、どうでっしゃろ」という訳です。で、また失神状態になって「ああ、ええ松の木が出てますけど、芯が折れてますな」。どういうことかというと「いや、分かりまへん」。つまりものごとのシンボルというかメタファというか、こうやからこうと説明はしないのです。結婚したあと十数年経って、姉の主人は肝臓癌で死んだんです。
 僕は兄弟五人でしたが、父親が運勢を順番に見てもらえまへんかと言うたら、「一番上の松が一番小さい、二番目はちょっと大きい」三番目はその姉、僕になると「火柱が立ってまんな」ときた。僕は隣の部屋で盗み聞きしてましたから「火柱ってなんや」というわけですわ。僕の弟が末っ子で、「一番末っ子の息子さんが一番立派な松でんな」と占いました。「何でそんな火柱が立っとんでっしゃろ」と親父が訊きよった。「いや、分かりまへんな。将来の事とかあまり見んほうがよろしな」ちゅうわけです。僕は火柱立ってるから早く燃えて死んでしまうのやないかと、ずっと恐れておりました。
 それから二十年ほど過ぎて、東京へ金子光晴に第一詩集の跋を書いてもらいに会いに行くときに、アナキスト詩人の秋山清の家に泊めてもらったことがあります。「僕は火柱が立っとるから早よ死ぬ」というと「いや有馬君、すべて世の中のもんを燃やしてしまうから火柱が立ってるのじゃないか」と言われましたが、すぐに納得できませんでした。
 また父が事業の将来のことを尋ねたとき、「竹の上を、亀が渡ってまんな」といわれた。つまりそれは危険な事業だということだった。
 自分が非常に傷つけられてストレスがたまる。このころは、それを大事に辛抱して、痛みをメモする。皆さんもそれぞれご経験があると思いますが、詩を書こうとされる場合は自分に暗示を与えるトレーニングで、そういうメモをしょっちゅうするいう習慣をつけていくといい。
 同志社の学生時代にちょうど朝鮮戦争が始まって反戦運動をしていた。同志社ですからクリスチャンも多いし、共産主義者もいる。僕は文学研究会を創ってサルトルにいかれとったから実存主義志向でした。そのときに、姫路出身の『深夜の酒宴』『永遠なる序章』とか書いた小説家、椎名麟三を講師に呼んだとき、僕は文学研究会の世話役をやっていたから、「作家になるにはどうしたらよろしいか」と訊いたんです。そのとき椎名さんは明解に、「毎日、日記をつけなさい」と言ったんです。それは、ひとに見せるとかいうのではなくほんまに自分自身のために書くということです。「詩のことば」という場合に、一時、暗喩というメタファが盛んで東京の商業詩誌なんかでも非常に華やかだった。そういう時代は時代でメタファは重要ですが、百姓のおっさんの憑依ほどの根拠がない。一つの傾向をブランド化するというやりかたですね。
 古い記憶になりますが、アンドレ・ジイドの『贋金づくり』のなかでもですね、パサヴォン伯爵というのが「サンボリズムは、ひとつの美学を残した。しかし、人生観がない」という意味のことを言っていたと思います。これはまさしく日本の今までのメタファがブランドにはなるが、強烈な批評にはならない。したがって僕は、自分の矛盾した生活とか生き恥をさらしても自己批評を書いていくことが大切だと考えます。

 さらに、今日の五行詩との関係をいいますと、このころはおしゃべりの、説明の詩が多い。それが悪いとは言わないですが、五十行書いていたら、僕だったら十行でできるのになと思う。読む方がしんどくて、最後まで読めませんわ。五行なら五行で、そこではっきり自分の考えを述べる。
 たとえば安西冬衛さんの一行の詩ね。「蝶々が一匹韃靼海峡を渡っていった」の題は何か知っていますか。(会場から「春です」の声)それです。題名によって大体の暗示が与えられますわな。「春」がなければ何やろなと思いますけどね。説明の多いのは、僕は詩やないと思うんですわ。詩というものは一行が独立して、次の行と断絶して、それが全体として連結しているというのが理想なんです。
 また、僕流に解釈すると「荒海や佐渡に横たふ天河」これも学者や研究者の解釈があります。僕流に受け取るやると、「荒海や」と言って出てきて「佐渡に」は遠くにあり、「横たふ」の擬人法はなかなか生きた言葉です。そして、「天の河」と上にある。つまり、こういうことを芭蕉がやっているんです。一行のなかでも断絶ができる。詩というものはそういうふうにしていきたい。
 また構成についていえば昔から起承転結。中国には絶句とかがありますね。フランスではカトラン、四行詩、イギリスなどにはソネット、十四行詩がありますね。僕はソネットを一時期、およそ八百作ったことがある。量を自慢するつもりはありませんが、さっき言った自己暗示をかけて。少し離れたところで食後に瞑想してね。一行を考えるのではなく、全体の枠組みを考えて、休憩が終わるときにスッとメモするんです。メモせんと、忘れてしまう。そういう意味でみんな詩人なんですわ、ただメモをするかどうか、その違いがあるとは思うんです。
 四十年ほど前の古い話ですが、大阪文学学校の通信教育の講師をやっていた時に、校長の小野十三郎さんとはよくお会いしました。たとえば小野さんが生徒の前で言うことには「自分の好きな言葉が気になってしようがない」と、それはどういう言葉かというと、「大」という字です。大詩人といわれる人でさえ、自分の言葉が気になる。新聞社とか出版社は煽てて田村隆一がどうやとか言うてるけどね、みんなボチボチですよ。ホントですよ。小田実さんが、「みんなボチボチや」といってべ平連やっていた。芭蕉にしろ俳聖といわれながら名句ばかりではありません。田村隆一でも佳い詩はあります、しかし田村隆一や萩原朔太郎がやれなかったことを現在の人間がそれ以上のことができる。彼らは亡くなったから。生きている人間が現在を透視したらそれができるということです。


 関西詩人協会は十五年経ちました。僕は自画自賛するわけではないですが、皆さんには実力や才能が充分ある。『現代詩大辞典』というのが数年前に出ていて、東京系の学者が監修をしているんですが、そこで見たら関西の載せるべき詩人を載せてない。関西に対しての無知識です。僕の項目はあるのはありがたいけど、まったく的はずれの記事で気分が悪い。それで僕は、関西詩人協会から十五周年の『会員名鑑』を出してくれと提案して、ようやく二年分の予算で発行できました。つまり、世の中に欲求不満なり意欲なりを持って望んだら関西詩人協会はハイレベルとなる。そのことがいいたいと思います。
 要は「詩のことば」は説明ではなく、知性と教養も重要だが、自己暗示をかけて現実の矛盾、不条理を自分の目でみて、作品に結晶させること。金子光晴が数十年前「よほど腹の立つこと、軽蔑してやりたいことか、茶化してやりたいことがあったときの他は今後も詩は作らない」と言いましたが、とにかく素直に書かれたらどうかと思います。



(神田)熱いお話をうかがって納涼かなと思いましたが。質問を受けたいと思います。

(質問)弟さんは?
(答え)まだ生きています。占いのように、そんなにえらくはなっていませんが。
(質問)資料が役に立ちます。ありがとうございました。
(答え)言葉はいろいろ変わりますが、あえてつけ加えますと、感動詞、感嘆詞は主観的なものであるでしょう、名詞とか代名詞は客観的なものでしょう。その両方を織物のように織りつづけていくのが詩人の仕事と思います。
(質問)「?」「!」「…」は余り使わないのがいいでしょうか?
(答え)好みですが、原則として僕は白く見せる意味で、あまり使いません。会話では使う場合がある。「…」はもっと言いたい事があるけどという意味なので、散文には使うけど、詩には使わない。谷川俊太郎さんの詩にはそれが全然無い。ところが河邨文一郎さんには「!」がある。使わないという前提でやる方が歯切れがよい。別にそうせんならんということはない。
(質問)最近、横書きが多いのですが、詩の場合はどうですか。
(答え)結論は縦書きも横書きもこだわってない。四十年前に「ゲリラ」という雑誌を出した時は横書きでした。ところがね縦書き詩人からはかなり批判的な意見があった。しかし今や横書きでいいけど、日本では短歌、俳句が縦書きだから、縦書きで良いと思う。中国では革命以後新聞の横書きとともに詩も横書きだった。ところが中国語圏の台湾やシンガポールなどは縦書きだった。いまは印刷機械の都合で横書きになりました。でも、インターネットの普及から横書きの詩を見かけますが日本の文化的な状況から俳句や短歌と同様、詩も縦書きが主流になります。




 
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