関西詩人協会総会・講演

     方言詩から生活語詩へ、そして・・・ 
                          小松弘愛

日時:2009年11月22日
場所:エル・おおさか










































































































































































































































































































































































































 私は選詩集1冊を含めて12冊の詩集を出していますが、8番めと12番めの詩集をのぞいて他はすべて共通語の詩集です。共通語でどんな詩を書いていたか。話の組み立ての都合から、1つだけ「狂泉」という散文詩を用意してきましたので、第1連を読ませてもらいます。


 このような詩を書いていた私が、なぜ、2000年に『「びっと」は”bit” 土佐方言の語彙をめぐって』というような方言についての詩集を出すことになったのか。それは高知の詩人片岡文雄さんの土佐方言詩集『いごっそうの唄』(1979年)、おなじく『はちきんの唄』(1984年)に影響されて、です。「いごっそう」は「頑固で、気骨あること」、「はちきん」は「男まさりの女」の意です。この二冊の詩集の中でも『いごっそうの唄』の冒頭に置かれた「山鬼」という詩は、私の土佐方言への目覚めを促す役割を果たしてくれた一篇だったと思います。読ませていただきます。
  

 こうしてこの詩を読むと、ぜひ紹介したくなる「おたより」があります。茨木のり子さんの片岡さん宛の「おたより」です。『いごっそうの唄』の「おぼえがき」(あとがき)に引かれています。

 既におききでしょうが、「ことばの勉強会」でも〈山鬼〉が多大の感銘を皆々に与えました。あとで木下さん、山本さん、川崎さんと飲んだときも、ゼッサンされていました。声の良さにも一驚いたしましたが、神保町角の一角を一瞬ふしぎな風が通り抜けたような気がいたしました。

 「木下さん」というのは「夕鶴」の劇作家・木下順二さん、「山本さん」は夕鶴の女優・山本安英さん、「川崎さん」は詩人の川崎洋さんです。「ことばの勉強会」というのは山本安英さんが主宰されていた会です。川崎さんは、岩波ホールで持たれていたこの会で、片岡さんの朗読テープを皆さんに聞いてもらったのです。それを聞かれた茨木さんの感想が、片岡さん宛の「おたより」となったのです。
 私は土佐の方言で「山鬼」のような詩が書けることに驚き、また土佐方言の詩を、茨木さんのように受けとめてくれる方がいることに驚きました。方言についてきちんと考えなくてはならないと思いました。方言についての認識を新たにしなくてはならないと考えるようになりました。
 実は私には方言コンプレックスがありました。遠因は戦前の小学校(国民学校)で受けた教育にあると思っています。それに触れた詩を見てもらいます。『「びっと」は”bit” 土佐方言の語彙をめぐって』の中の一篇です。

おかいす  小松弘愛

 
『高知県方言辞典』をひもとくと
忘れかけていた言葉が目にとまった

おかいす 女陰。(「御貝す」か。「す」は鼻のス(巣)、耳のス(巣)などの穴に当たるス)

なるほど
こういうことであったか
女の子たちが遊んでいて
何かの拍子に
白いパンツの奥がちらっと見えたりすると
男の子たちは
「いやぁ おかいすが見えた」
などと はやしたてていたけれど


そういえば
貫之さんの『土佐日記』にも
十三日(とをかあまりみか) 室津のあかつきのシーン
 女これかれ、浴(ゆあ)みなどせむとて、あたりのよろしきところに下(お)りてゆく。……十日あまりなれば、月おもしろし。……何(なに)の葦(あし)かげにことづけて 老海鼠(ほや)のつまの貽(い)ずし。すし鮑をぞ、心にもあらぬ脛(はぎ)に上げて見せける。

 ところで
 フリッツ・マウトナーという人によれば
 「学校とは
 鞭でもって方言を叩き出す場所である」*

 国民学校
 と言われていた小学校のとき
 厚紙を切って作られた
 汽車の切符大の紙片を
 一人当たり二十枚ほど配られた
 生徒どうし 方言を使うと
 例えば
 「おかいすが……」などと言えば
 聞きとがめた者に
 切符を渡さなくてはならなかった
 わたしは
 たちまち自分の持ち分をなくしてしまい
 それからは 友達の言葉に
 狐のように耳を立てる少年となり

 今 思えば
 あの切符は「方言札」と呼ばれるもの
 たしかに
 学校とは
 「おかいす」にも鞭を振るう所だった。


         *田中克彦『ことばと国家』

 今なら、フリッツ・マウトナーという人が言っているように、「学校とは鞭でもって方言をたたき出す場所である」、そう、学校とは間違ったことを教える所だった、怖い所であったと振り返ることができますが、当時はなんにもわからず、ふあふあと学校に行っていたと思います。
 ともあれ、私はこういう教育を受けて大人になり、方言を、土佐方言を、別の言葉でいえば母語(幼時に母親などから自然な状態で習得する言語)を標準語(共通語)より劣った言語と思うようになっていました。といっても、日常生活では適当に方言を使って劣等感もなく、特に恥ずかしいとは思っていませんでしたが──。
 しかし、1960年、東京に初めて行ったとき山手線のどこかの駅で、私の前に並んでいた女性が「……まで、二枚」と言っているのを聞き、その「二枚」の東京式アクセントをきれいな発音、美しい言葉と受け止めた記憶があります。だいぶいかれていましたね。
 更に、言語形成期に身につけたアクセント、言い換えれば母語のアクセントは変わりにくいと言われますが、私はいつごろからか、教科名の「社会」「理科」を東京式に発音するように変わっています。高知で生まれ、生活の場はずっと高知であったのに、です。やはり、いかれていますね。
 このような言葉についてのゆがんだ意識のあり方に揺さぶりをかけてくれたのが片岡さんの『いごっそうの唄』、『はちきんの唄』です。後者の刊行は1984年ですが、私は高知新聞に「『はちきんの唄』を読む」と題して一文を書かせてもらっています。その中には次のような一節もあります。

 一方で方言の詩に向かうのは、共通語で果たすことのできない、むすぼれたものがこの詩人の心を領しているからであろう。遠流の地と言われた土佐に生まれ、この地にうずくまるようにして詩を書き続けてきた詩人である。心のむずぼれを解きほぐすには、自らの血肉を作ってきた土佐言葉でなければ、という思いになるのも当然というべきか。

 どうやら、小松の方言コンプレックスも過去のものになってきているようです。そして、このような心のあり方の延長線上に、私の『「びっと」は"bit" 土佐方言の語彙をめぐって』が出てくるわけです。
 さて、この詩集を出したのは2000年でしたが、その後も「続・土佐方言の語彙をめぐって」という形で、連作を現在に至るまで続けることになります。
 その間、2006年から2008年にかけて、「生活語詩」という言葉が詩集のタイトルに入った合同アンソロジーが次々に刊行されることになりました。皆さんご存じのとおりです。発行順に挙げてゆきますと、
 
『現代日本生活語詩集』(06年・澪標) 『続現代日本生活語詩集』(07年・澪標)
『生活語詩二七六人集 山河編』
(08年・コールサック社)
『現代生活語・ロマン詩選』
(08年・竹林館)


 私はこれらのアンソロジーに全部参加させてもらいました。それにしても「生活語詩」とは何か。四冊のアンソロジーの編集に携わった方々がそれについての考えを述べられており、教えられることが多かったですが、きょうは2008年刊行の有馬敲さんの『現代生活語詩考』(未踏社)についての、私の短い一文(書評)を見ていただくことにします。これは「詩と思想」(2008年12月号)の「新刊Selection」に書かせてもらったものです。

 ご覧のとおりですが、私にとって一番うれしいのは「生活語」という考え方を詩の世界に導入することによって、共通語か方言か、という二項対立から自由になれるということです。この点については今後私なりに考え、論理を深めてゆかなくてはと思っていますけれど、私にとって今、もう一つ考えなければならないことが起こっています。「生活語詩」と深くかかわる問題ですが、話題は一挙に変ります。
 いったい何が起こっているか。それは高知県が日本から独立するという問題です。2008年11月8日(土)の高知新聞をコピーしてきました。「エピローグ」の冒頭を読んでみます。



 これはお読みのとおり、「やっちゃれ、やっちゃれ! ──高知独立宣言」と題した高知県出身の直木賞作家坂東眞砂子さんの小説の「エピローグ」です。毎週土曜日の紙面1ページの大半をとって32回にわたって連載され、これがその最終回のものです。
 なぜ、このような小説が新聞に登場することになったか。詳しい経緯は知りませんが、これには大きな前提があります。実はこの小説に先立つ2004年の10月に高知新聞から『時の方舟 高知 あすの海図』という本が出版されています。この本の帯文には「切り捨てられるならいっそ…/『勝ち組』『負け組』社会への逆襲/200X年、高知県独立!/改革の嵐の中、地方に生きる道はあるのか」」と書かれています。
 この本は「高知新聞社創刊100周年記念出版」で、2004年の1月から9月にわたって高知新聞に連載されたものを1冊にまとめたものです。帯文に「切り捨てられるならいっそ……」とありましたが、本文「第六章 近未来フィクション 高知県独立」は「『お荷物』ならいっそ」の題のもと、次のように始まります。

 200X年4月1日午前10時、高知県庁はいつにない緊張と興奮に包まれていた。集まったマスコミは国内外から約200人。特設の記者会見場に現れた坂本慎太郎知事は、正面を向いて宣言した。
「10カ月後、高知県の日本国からの独立を決める県民投票を実施いたします」
 予想されていたとはいえ、会見場はどよめいた。坂本知事は続けた。
「独立に向け、県民の最終意思を確認します。独立に備え、準備は進んでおります。日本国とは今後も友好的でありたいと願っています…」

 ところで、こうして独立すれば言葉はどうなるか。この点については「第七章 フォーラム詳報 自立のかたち」で、すこしだけ触れられています。2004年、高知市で高知新聞社主催のフォーラム「時の方舟──あすの高知を考える──」が開かれました。その時のパネルディスカッションで佐高信さん(評論家)とイーデス・ハンソンさん(タレント)との間で次のような発言が交わされています。

 佐高 仮に高知独立の場合、私が一番興味があるのは、言葉とお金をどうするかです。地域通貨がはやっているでしょう。それを展開させていけば、随分面白い。「日本政府の金より地域の金だ」となるか。この辺が高知独立の鍵と思う。
 ハンソン そうね。お金は自分たちで「本物だ」と思ったら本物になるのだろうし、言葉は味わいある「高知語」にすればいい。防衛は最初から考えない。やったって間に合わんから。後は自分とこの”認識”やね。高知をどういう国にしたいのか。その中で自分たちがどういう生活を送り、次の世代にどういう生活を渡していきたいのか。その価値観をきっちり考えることが大事。

 ここで、「生活」という言葉が二回使われていますが、私たちが日頃の生活で使っている土佐方言が「新生高知国」の独立によって方言でなくなりますので、「高知語」にすればよいというご意見です。
 私はこのようなことが書かれている『時の方舟 高知 あすの海図』に大いに共感することになりました。それで、昨年4月に開かれた「日本現代詩人会 西日本ゼミナール・高知」の「開会宣言・挨拶」でこの本をかざし、ゼミのテーマ「南荒の詩魂を求めて」に関連させて、「私は独立に賛成します」と言ってしまいました。
 そこで、私は一つの課題を背負うことになったのです。私は2000年の詩集『「びっと」は”bit”』の後も、「続・土佐方言の語彙をめぐって」という題で方言についての詩の連作を続けてきました。そしてこの11月『のうがええ電車 続・土佐方言の語彙をめぐって』という詩集を出し、その「後記」にこの「続」に続く更なる続篇の詩集を出したい、という意味のことを書きました。これはこれでよいのですが、将来、三冊目の方言についての詩集を出すとき、「土佐方言の語彙をめぐって」というサブタイトルはちょっとまずいじゃないかと考えるようになりました。私は「高知県独立」に賛成していますから。これが今、私の背負っている課題です。

 さて懇親会の時間も近づいてきています。私の背負った課題は今後考えてゆくことにして、最後に酒国土佐出身の詩人についての詩「ようたんぼ」を読ませていただきます。『のうがええ電車』に収めた一篇で、一種の讃酒歌にもなっていると思います。。ちなみに「のう」は「脳」ではなく、「能」で、「のうがええ」は「具合・調子がよい」という意味の土佐の言葉です。

ようたんぼ  小松弘愛


「ようたんぼ」
わたしは「ようたんぼ」が好きである

『高知県方言辞典』には
「ようたんぼ」は「泥酔者 よいどれ」
用例
「ゆうべ、あしんくの前で、ヨータンボがあばれて困った」

それでも
わたしは「ようたんぼ」が好きである
「泥酔者」というより
「泥」となった「ようたんぼ」が好きである

「泥」
 「海虫の名。骨がなく、水を失えばどろのようになるので、
 ひどく酒に酔うたとえに用いる」(旺文社『漢和辞典』)

「泥」になったわたしは
これも柔らかい「泥」と化した一人の詩人を
夜更け
高知駅まで見送っていったことがある
ホームに出て
「泥 」の詩人が乗った車輛の窓のそばに立つと
目の前に
「高松行き」と書いた鉄製のプレート
わたしはそれを取りはずし
窓越しに
「これは土佐のお土産ぜよ」と「泥」の手に渡した

土讃線で酔いがまわり
更に柔らかくなった詩人は
丸亀駅に降りたち
「高松行」を小脇に抱えたまま改札口を出ようとして
「ちょっと待ってください」と駅員に呼び止められ

「泥」の詩人の名は 故真辺博章
「泥」については別の辞書に
「南海に住むという、伝説的な一種の虫」とある

真辺さんは
土佐には多い「泥」たちの中でも
伝説的に語り継がれてゆく「泥」の中の「泥」

わたしは「泥」が好きである
「泥」となった「ようたんぼ」が好きである


           *「1932年高知県生まれ。詩集『鳥』他。訳詩集『エドウィン・ミュア詩集』、
                『オクタビオ・パス詩集』。現代英米詩の翻訳多数」

            (真辺博章訳『続オクタビオ・パス詩集』より)               



それでは、懇親会では楽しく「泥」になりましょう。
 ありがとうございました。






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