第三回・文学散歩 (宇治)

主催:関西詩人協会
期日:2008年5月11日
場所:宇治





 今年の文学散歩のテーマは「源氏物語千年紀」ということで、源氏物語ミュージアムと藤原氏の別荘であった平等院に案内して頂いた。高校時代に、源氏物語を古文の時間に習ったと思うし、大阪へ就職して出てきたから源氏物語の講座を何回か受けたと思うが、男は兎も角、女の数が多すぎて理解ができていなかった。結婚の制度が違うし、新鮮な気持ちで参加した。  

 朝の内は少し曇った見えた空の色も、十時の京阪宇治駅集合の頃には薄日がさして、宇治川添いを歩く頃には誠に気持ちの良い空気になっていた。参加者は30名。ほぼ揃ったところで、出発。
まず宇治神社にお参りする。


くは離宮八幡宮・桐原日桁宮(きりはらひげたのみや)と称し、
祭神は応神天皇の皇子菟道稚郎子
(うじのわきいらつこ)とされている。日本書記によれば、兄の大鷦鶺(おおさざき)皇子(のちの仁徳天皇)との皇位をめぐる葛藤から宇治川に入水したという悲運の皇太子である。

流造りの本殿(重文)は鎌倉時代に建立されたものであるが、他にも木造狛犬や白色尉面など貴重な文化財が伝わっている。


 さらっと見て通っただけでは重要文化財の木造の狛犬とか、白色尉面などを見学するのはできなかったが、石の狛犬を二枚写真に残してきました。
左のはツツジを背に、口をきりりと引き締めた形
右のは桜若葉を背に厳しく口を開いた形
いかにも守っている・・・という感じがした。


参加のみなさんはそれぞれの祈りを捧げ
おみくじを引いたり。
行程表ではこの後に宇治上神社へ参る予定だったが、結婚式が厳かに執り行われている最中だったので、帰りに立ち寄ることにして、まずは「源氏物語ミュージアム」へ。
早蕨の道(さわらびのみち)
柔らかな紅葉若葉が新緑を誇示し、私たち30人ばかりの仲間たちはそれぞれにおしゃべりしながら歩いた。

与謝野晶子の歌

橋姫
しめやかに心の濡れぬ川ぎりの立ち舞ふ家はあはれなるかな

椎が本(もと)
朝の月涙の如し真白けれ御寺(みてら)のかねの水わたる時

総角(あげまき)
こころをば火の思ひもて焼かましと願ひき身をば煙にぞする

さわらび
さわらびの歌を法師す君に似ずよき言葉をば知らぬめでたさ

宿り木
あふけなく大御女をいにしへの人に似よとも思ひけるかな


源氏物語ミュージアムは庭の手入れの行き届いた美しい建物だった。
下村和子委員に今回の文学散歩についての経緯と今日の予定を聴く。




西村恵子学芸員
宇治という処の解説。
源氏物語の舞台の最後は宇治十帖と言って四十五帖(橋姫)から最後の五十四帖(夢浮橋)が宇治です。宇治は昔から景色の良いところで知られていましたが、御陵も多く貴族たちは別荘を作、日常の暮らしとは別な時間を持っていた。別荘には御堂を作り仏を安置し、癒しの場とする特別な意味を持っていた。宇治はあの世とこの世が混沌とした土地と言える。
中井和子氏『なびかなかった女たち』
源氏物語は五十四帖あって、それぞれに光源氏、薫、匂宮と女たちの交流が書かれているのだけれど、この沢山の女たちのなかで、靡かなかった女が三人いるという。
【空蝉】【朝顔姫宮】【宇治大君】の三人について、その経緯を細かく話された。
高貴な男に身を任すことで生活の安定を得た女という身には、靡かないということは強い意志を必要とする事だったという。特に【空蝉】の場合は歌も示されながら話して戴いたのでとても分かり易かった。

京都弁による源氏物語はこちらへ。
源氏物語ミュージアムの映像展示室にて篠田正浩監督作品『浮舟』の映像観賞する。
 宇治神社は延喜式にいう宇治神社二座のうちの上の社である。祭神は菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、応神天皇、仁徳天皇。

 宇治川の東岸の朝日山の山裾には、神社建築では、日本最古の本殿である宇治上神社が鎮座する。
 拝殿(国宝)は、鎌倉時代前期に伐採された桧が使用されており、鎌倉時代の優れた建物遺構。
 本殿(国宝)は平安時代後期に伐採された木材が使われて、一間社流造りの三殿からなる。左右の社殿が大きく中央の社殿が小さい。(京都府ホームページより)


 平成6年12月に平等院と共に世界遺産に登録された

宇治川をバックに参加者の面々。一人足りないのは撮影してくれた人です。
喜撰茶屋で遅めの昼食
おいしかったですねぇ。豆腐や麩が名産であるらしく・・・・・。

このお弁当を持って舟に乗るという趣向もなかなかと思うのですが、
今日は呑み会ではなくて「文学散歩」ですから。

店先で、毛利真佐樹さんが抹茶焼酎を購入。私もご相伴にあずかりましたが、宇治らしく抹茶の香りのする、気持ちの良いお酒でした。
 ときの権力者、関白藤原道長が左大臣源重信の婦人から譲り受けた別業をその子頼通が、永承7年(1052)にこれを仏寺に改め、平等院としました。(世界遺産・平等院より)

 この建物自身が1000年の建物として、世界遺産になっているようです。これを外からぐるりと巡り「平等院ミュージアム鳳翔館」を見学しました。

その後は流れ解散で、私はお友達と京都美術館であった『暁斉』展で、地獄と極楽を見てきました。(文責・永井ますみ)





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