○主催:関西詩人協会 共催:みえ現代詩の会
○と き:2007年7月22日(日)午後1時30分〜
○ところ:伊賀市中央公民館 (рO743−54−8000)
〒639-1160 奈良県大和郡山市北郡山町211-3
○かいひ:無料
今年は雨が多かったが、この日は久し振りに光が差して快適な日だった。近鉄大阪線、鶴橋10時17分発宇治山田行きに予定通り乗っていると八木を過ぎたあたりで、蔭山さんに出会う。しばらくお喋りしているとあっと言う間に伊賀神戸に着いた。向かいの線が乗り換えらしく、佐相憲一さんが歩いている。停まっている電車はというと、可愛らしい絵が描いてある。忍者の街伊賀上野行きだ。 お昼少し前に上野市駅到着したのだが、実は「伊賀上野」駅まで行かないといけないかと思いこんでいた。見慣れた津坂さんの背中を見掛けてホッして下車した。実は佐相さんも次の電車に乗って伊賀上野まで行きそうな勢いだった。カードの決裁をしてお貰っていると、振り返ってもついて行こうと思っていた津坂さんの背中が無い。流石、忍者の街だ。(後で分ったのだが、そこから目的地の方面に向かって、トンネルがあったのだ) まあ、ここまで来たのだからと安心して蔭山さんと昼食を摂る。伊賀牛の丼だ。霜降りの甘みの効いた柔らかい肉でとても美味しかった。 下は全部写っていないが、集まった方々。合計31名です。 |
司会・進行:奈良光男さん |
挨拶・芭蕉についてのお話:津坂治男さん | 松尾芭蕉が活躍したのはホンの十年ぐらい(三十歳後半から五十二歳で没するまで) なんですが、近代詩・現代時の百年ぐらいの仕事をしているのが驚きです。 京都で啓蒙俳諧、大阪で知的言語ゲームを経て、破調や漢詩的な作品「髭風ヲ吹いて暮秋嘆ズルハ誰ガ子ゾ(憶フ老杜ヲ)」を作った。 俳諧で付合いしていく中で俳句を完成させていきました。 わびさびの境地を書きながらそれで終わらず、更に進化をしている シュールリアズムを思わせる「十六夜や海老煎るほどの宵の闇」 自由自在な「青くても黒き目を明く「白魚や黒き目を明く法(のり)の網」 これを後世の一部の人は、即興で気楽に詠んだ、大したこと無い作品だと云い ますがそうじゃない。 現代詩もこの精進振りを学ばなければならないと思います。 |
講演・「尹 東柱(ユン・ドンチュ)の詩と死」 李 正子(イ・チョンジャ)氏(歌人) |
自国語のハングルで詩を書いたことで罪に問われ 福岡の監獄で獄死した尹 東柱(ユン・ドンチュ)の生き方と詩についてのお話。 韓国のキリスト教会について、 日本語と朝鮮語の類似と違いについて、 色々例を上げてお話し頂いた。 また、氏の大好きなと言われる 「金素月(ソウル)」氏の「詩」朗読を聴いた。 |
岸本嘉名男さん「花子さんの生き生きライフ」 能弁は人間の持つ大きな力であろう 日ごろ漫才で鍛えた話術はとても魅力的で 夫大助さんの先頃の脳内出血による 即入院集中治療の実話を皮切りに ご自身の癌との闘病体験と 二つの大事件を約六百人を前に 真剣にかつ熱っぽく吐露され ・ ・ ・ |
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谷本州子さん「母の米寿」 あれっこわい わしもマスカケ切る年やして こんねん長生きさしてもろて めっそもない この様(よ)な すっぽこ谷にいても 欲しいもんたら腹食べやしてもろて 冬は温たいとこで夏は涼ししてもろて 何でのうても にすいわしが ぐにかえりもせず 健康(まめ)できやれた おまんにけんびきに灸すえてもろてるでや さいやなあ さずかりがええんやわ ・ ・ |
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村上基子さん・松並久美さんの詩「楠 ─ 生母に」を代読 うすずみいろにさやぐ楠のした わたしはうずくまる 幼児の頃より馴れ親しんだ あのかなしみが夕暮れのさむさに 誘発されわたしの在るべきところ も覚束なくなる あのひとにこれが母のちかくに ある木だとしらされる ・ ・ ・ |
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佐藤貴宜さん「nothing」 世界が嵌め殺しの窓の向こうで流れている 二人 心を繋いだままで 嵌め殺し叩き割って手を差し出して 世界に導かれ噛み砕かれている 硝子の摩擦運動の喰い千切るに任せて 血塗れになりながら流れの渦に触れて 肉も骨も轢き千切れ流れ去った後で 心で繋がっているだけになって ・ ・ |
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今回の「詩で遊ぼう会」のための 書き下ろし作品だそうです。 |
佐相憲一さん「贈りもの」 水平線を見つめていると 太陽に地球の頬がはにかんで 波うつ顔がもう真っ赤だ さよならなんかじゃない これから炎は海の向こうへ愛撫を続けて 明日のこの時間にまたここで 夕焼けランデブー ・ ・ |
幼いときに観たチャップリンの映画 から書かれた詩です。 いつまでも心に残る映画だった ようですね。 |
ますおかやよいさん「日曜学校で出会ったチャップリン」 玄関を出ると 郵便ポストが突っ立っている 何かと扉を開けると 一人乗りの小さなオープンカーが待っていた エンジンもハンドルも幌もない 大きな磁石をハンドル代わりにどんと抱え 行きたい方向へ走る車に磁極を合わせ 右へ左へうねりながら 次第に遠くへ消えて行った あのチャップリンを見かけませんか ・ ・ |
1967年(昭和42年)頃、 劇団民芸公演の 演劇『郡上達百姓』を観劇の後に 創られた詩だそうです。 |
石井習さん「定次郎小唄」 ・ ・ 獄門台にさらされた 男の若い首の或る夜うたえる…… ”なげきはさげすみと同じ 甲斐性なしの弟宇吉に 俺は女房かよをゆずってやった 満身 郡上郡(ぐじょうごおり)数十ヵ村の匂いをふりかぶって 打首になった夫を忘れて そいとげよそいとげよ 声高らかに叫びつづけよ あの世まで 二百年ののちまで 俺の首枷が そのとき音もなく 朽ちはてるのだ” |
この後、軽く自己紹介をした。
古里や臍の緒に泣く年の暮れ 44歳。伊賀上野、「笈の小文」より |
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雑誌『伊賀百筆』を編集発行しておられる 北出楯夫さんが、生家の案内と、芭蕉の あれこれを語って下さった。 館内はよく整備されていて、幼い頃にあった竈や鍋釜など も展示されていたので「こんなのあった」 と、見学者の中から声がよく挙がっていた。 |
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「無名庵」跡 冬籠もり またより そはん 此はしら はせを |