関西詩人協会総会第三部  

       講演会『「荒地」の秘密』     講師村田辰夫氏


                                         梅花女子大学名誉教授
                                         日本T・Sエリオット協会会長


 戦後に出た同人誌の中に『荒地』というのがあります。荒地派の中でもまず、鮎川信夫の名前と、その『荒地詩集』の主張として書かれていることを紹介します。
 「平安を知らぬこと、問いを発すること、注意力の器官である耳を鋭敏に働かすことそして自らの生の認識を深めるために忍耐深く知的探求を続けること・・・これらの切実な精神の努力によって、僕等は現代の荒地に立ち向かってゆかなければならない」とか「詩は感情に知的裁可を与え、思想を情緒によって正当化する生きた統一体であらねばならない」さらに「何の為に詩を書くかといえば、結局、そういった詩の機能が我々の 経験の再組織に役立ち、言葉の全体的な運動の統一された秩序の中に、我々の存在を満たすところの映像を、つまり、わかりやすく言えば・・・」なんて言うてますが、分かりやすく無いでしょう?これ、実は確かに鮎川さんのものでありますが、エリオットをやっています者からみますと、全部と言うていいほどエリオットの詩論なんです。(秘密その一)
「耳を鋭敏に」「感情に知的裁可を与え生きた統一体」「抽象的なものを高めて具体的な形で表現しよう」「全体的な運動の統一された秩序の中に我々の存在を」など原文と全く一致します。「聴覚想像力」「感受性の統一」「伝統と個人の才能」等々、鮎川さんとか先輩は、実に貪欲に外国の詩論をとり入れようとする努力をしていたといえます。
『荒地』の元になったエリオットの作品『荒地』を読んでみます。
「死者の埋葬」の章には、四月の新芽、セックス(性・生)の芽生えが出てくる。
「チェス遊び」では男女の駆け引き、
「劫火の説法」の章では、テムズ河で良からぬ事をした三人の娘のセックスの場面を細かく描写している。事が終わってから男は泣いた。そして彼は新しい出発を約束した。私は何も言わなかった、いまさらどうしようもない。そこに仏陀の説法、「燃える、燃える」、だから欲望の火を消せと来る。
次の「雷の曰く」では、雷がダッダッダと、サンスクリット語で、布施、慈悲、禅定を説く。
 エリオットは実はハーバードの時代にインド哲学や日本人の姉崎正治という仏教学者から佛教を習っているのです。これを上手に織り込んでいるのです。二つ目の秘密は「エリオットの背後にはインド哲学やブッダの言葉がある」ということ。
 もうひとつの秘密の前に、一寸一言。大江健三郎氏の近著『さようなら私の本よ』ですが、これには全面的にエリオットが使われています。大江氏もエリオットのなかにある何か仏教的なものを感じて響きあっているのではないでしょうか。
 最後の秘密は、我々は詩を書き始めたとき何かを見て学び始めたと思うのですが、エリオットは「二流三流の詩人は他の人を真似てくる。一流の詩人は借用する。そして元のものより高い何かを創り上げる」と言うてます。「自分の思っている方向のものに影響される」とも言うてます。皆さんも「最初に何に詩を感じたか」という自分の秘密みたいなものに光を当ててみるのも良いではないかと思います。
(文責永井)


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