日仏国際交流の午後
     L'apres-midi en poesie france-japonaise

日・仏語現代詩集発行記念詩祭

日時:2004年5月22日(土)
場所:京都市北文化会館
主催:関西詩人協会・京都詩人の会
後援:国際交流基金・日本現代詩人会
京都新聞社・関西日仏学会
京都市芸術文化協会・留学生協会
出版社 竹林館

第一部 (司会:原圭治・左子真由美)

@開会挨拶  関西詩人協会総務:外村文象(杉山平一氏代理)

 アンソロジー「言葉の花火」第二版(フランス語版)の出版を記念してこの会を持たれたという経緯の話をされる。

A祝  辞  日本現代詩人会会長:菊田 守

 日本の詩と考えた場合、世界的に考えると松尾芭蕉の事をもっと知るべきではないか。実存主義の実践者として、西行の後をあるいた芭蕉こそが相応しい。隅田川のほとりに芭蕉庵を結んで、杜甫の詩の勉強をした。
 五言絶句というのがある中国の詩の中にある二つの思想がその中に含まれている。
一つは移り変わっていくと言う感覚。
二つに人間は不完全であるが自然は完全である。自然の中に自分の思いを如何にして投影していくかということを芭蕉は考案している。

 私は最近、腹で書くということを考えています。皆さんは「ナンバ歩きとかナンバ走り」とかご存知でないですか草むしりをするときまた山登りをするときですが、右手が出るとき右足が出る。これが「ナンバ歩き」というものです。腰を低くして歩くものですから、足腰が鍛えられる。その足腰で鍛えられた、腹で詩を書くことが必要なのではないか。頭で(知識で)書いては駄目なのではないか。
 芭蕉は何もかも捨てて旅に出る。西行の後を追って奥の細道を行くのですが「西行」って言うのは西へ行くと書きますこれは西方浄土へ向かうという事です。
 西行の和歌を読むと月と花しかないですね。その同じ道を歩いているのです。
私はこの頃芭蕉が面白くなった。何故かというと歳を取ったのですね、歳を取って改めて作品を読む、と分かります。芭蕉も旅に行って、寝る所と食べるもの以外のものを、何もかも捨てて作品を書いています。

 芭蕉は俳句の中に日本人の持っている感性や思想を持っていて、それとユーモアですね。例えば 

道のべの木槿は馬に食はれけり

山路来て何やらゆかし菫草

 ゆかし、という日本語の独特な言葉を書いて、私は大好きなんです。心の中のものを言葉に読み込んで表わすという芭蕉の骨法が良いと思います。
 経験を自分のものにして、体験とする。東洋の詩の中で、芭蕉は東洋的な美を自分の躰を通して表わした詩人であると思いますね。
 今回どうしても言いたかったのはナンバ歩きの腹で歩くことですね。腹を据えて本当の本音でやれば、何でも出来るのじゃないかということです。


B観世流仕舞「土蜘蛛」 河村禎二(重要無形文化財)・河村和晃

源頼光(河村和晃)が御所で伏せっておりますと、そこへ坊さんの姿をした化け物が出てきて言葉を掛ける。頼光は「怪しいモノ」と言って斬りつけると、蜘蛛は糸を持って投げかけるという見ているだけでも楽しい曲でございます。

















































C講演「アルチュール・ランボーの日本語訳について」
            京都大学人文科学研究所教授 宇佐美 斉

 今年はランボーの生誕150周年に当たります。
フランス詩が日本に訳されてから約120年になります。昭和初年に小林秀雄と中原中也という個性的で傑出した日本の文学者が競って翻訳した事で日本の近代文学に大きな影響を及ぼしたといえます。その辺りの事を少しお話します。


 翻訳には誤訳は付き物だけれど、詩の翻訳で誤訳というのは難しい問題で、翻訳には写すと言うことと欺くということが切り離されないと言われている。石垣りんさんの「一握りの米」を「人に義理のある米」というお粗末なのもある。


 佐藤春夫の「秋刀魚の歌」をどう訳するか、秋刀魚という魚自身がフランス語が存在しない。魚の種類で秋刀魚に近いのはマクローがありますが、これは鯖です。「鯖の歌」と訳するとイメージが出て来ないし、しかもマクローというのはヒモとか女衒、淫売屋の亭主という意味を持っています。だから「マクローの歌」は一寸都合が悪いですね。小津安二郎の「秋刀魚の味」という映画がたまたまフランスでやっていましたがそれは「酒の味」という風になっていました。
 フランス人の背負っている生活習慣や歴史を考えながら訳しないといけない。で、その友人はどう訳したかというと「サウディーン(イワシ)の歌」と訳していました。「シャンソン オブ サンマ」としたら良いという意見もあるが・・・。ポルトガルや南西フランスではイワシをレモンを絞って掛けて食べるという、サンマのような食べ方をするので、「イワシの歌」で最良の訳だったと思う。


堀辰雄の風立ちぬ
ポール・ヴァレリーの「海辺の墓地」という詩の一行を、堀辰雄は「風立ちぬ」に翻訳して引用しているのだです。「風立ちぬ いざ 生きめやも」と訳している。しかし「やも」という古語は奈良時代に反語として使われていたので、生きめやもは「生きることはしない」と逆な意味になってしまう。これは誤用かと思われるが、「やも」に言い淀むような、頼りない語感を狙ったのではないか。強い勢いの原詩を自分流に感嘆符を省略して、使ってしまっている。おそらく自分のリズムにしてしまったのではないかとおもわれる。


ランボーの詩「永遠」というのがある。デカプリオ主演の「太陽と月にそむいて」という映画にも引用されている。
小林秀雄が「またみつかった 何が 永遠が 海ととけあう太陽が」
中原中也が「またみつかった 何がだ 永遠 行ってしまった海の事さ 太陽もろとも行ってしまった」
と訳して現代に至るまで、殆どが「またみつかった」です。私は「また」としない方が良いと思う。何度もみつかるものではない。探し求めていたものがやっと見つかったという意味だから。太陽もろともと言えば夕陽にイメージされてしまう。ここで詩人がうたっている永遠は一回性のものであるから「また」は良い訳とはいえない。


ランボー「地獄の季節」
 中原中也と小林秀雄の訳はインパクトが強くて記憶から抜くことができない。
ランボー詩集は詩を中也が「季節(とき)が流れる城塞(おしろ)が見える・・」これは一番流布されていた訳だった。小林秀雄が昭和13年岩波文庫に「地獄の季節」の中でですが「ああ季節よ城よ無傷な心がどこにある」という風に訳しています。堀口大学は「おお 歳月よ憧れよ 誰かこころに傷の無き」としています。
   セゾンー季節ー時間的な節目 (複数)
   シャトーー城・館ー空間的な節目(複数)
を意味しています。
 「季節(とき)が流れる城塞(おしろ)が見える・・」と動詞にすることが創意工夫だと私は思ってきた。
 ここ数年角川から、新しい中原中也全集が出され、それに拘わってきました。
はじめは新潮社の小林秀雄全集に載っている訳が「ときが流れる・・・」となっていた。細かいことは省略します。口承的に伝わったのかも知れない、小林の訳が最初にあって、中原がこれを踏襲した。中原がこれを取ったということではない。考えられるひとつに、昭和初年に建設社というところで中原中也が 韻文詩を小林が散文詩、書簡を三好達治が訳すという構想でランボー全集をだすという計画があったのですが、それがポシャってしまった、ということがあった。それが関係すると思われる。

以上具体的な例を挙げてお話し致しました。


Dシャンソン ヤマハ・カワイ認定講師:吉永修子

 シャンソン界の上沼笑子と自己紹介されるお茶目な歌手。

「パリの空の下」「詩人の魂」「枯葉」「  」「貴婦人」「老人の思い出」「声のない恋」

 フランス語で歌われたり、翻訳詩を歌われたりしたが、中でも六月に行われる「盲導犬のチャリティコンサート」に歌うご予定の「声のない恋」は、耳の聞こえない人のことを歌った歌でした。多分会場の皆さんも多分初めて耳にするもので、ジェスチャーを含めた歌声が、しんと心に響いて来た。

暗い闇で 手探りする 貴方の指 語れる愛に 応えたくて このわたし 手話を 習い始めました。これが嬉しい、これが悲しい そしてこれが 貴方が好きです、ほんの少し 分かるだけに もどかしさが 募るのです。モナムール モナムール モナムール モナムール モナムール  

いのち掛けた私の声 聞こえますか。それはある日 私を待つ 二人の部屋 急ぎ帰ると 貴方と同じ 言葉のない 闇に暮らす あの子が言った。指と指で 語り合って 初めて見る 貴方の笑顔に 出し切れぬ 手話の世界を その時不意に 感じたのです。モナムール モナムール モナムール モナムール モナムール 


モナムール モナムール モナムール モナムール モナムール 
 身も心も 張り裂けそうな 私の声 聞こえますか
モナムール モナムール モナムール モナムール モナムール 




E詩朗読

フランス語版『言葉の花火』参加作品より
フランス語 ラローズ・ジャック
日本語 おれんじゆう(あなた)


苗村和正(人生の不幸は)


三木英治(午後の花ざかり)



森 ちふく(再生の夏)



安森ソノ子(ミラボー橋)



横田英子(アルルの村からー夏の陽きらめいてー)






ほんやら洞の詩人たち

 1970年代京都の喫茶店「ほんやら洞」を拠点として、自作詩の朗読を始めました。関西フォークソングの高まりと共に北は北海道から南は沖縄まで日本各地の詩朗読キャラバンをされたそうです。
詩朗読の草分け的存在といえるでしょう。
 

そのころアンダーグランドレコード(URC)から出したLPが、今回エイベックスからCDとして復刻されたので、よかったお求め下さい。

ほんやら洞の詩人たちというのは、日本でサンジョルマン・ヂュプレの詩人達(黄金時代)という所からネーミングされたそうです。
秋山基夫



有馬 敲


片桐ユズル

F閉会の挨拶 関西詩人協会事務局長 金堀則夫




11月でまる10年になります。
水口洋治さん、福中都生子さんの後に事務局長をやっています。昨年はフランス語訳の「言葉の花火」という翻訳詩集を出しましたのでそれの、出版の祝いを兼ねています。
芭蕉のこと、伝統芸能を見せて頂き、日本語やフランス語の言葉の響きを味わうことができました。善意で沢山の方に集まって頂きまして、ありがとうございました。


一部の参加は130名くらいは居ただろうか、椅子がほぼ埋まった状態であった。



第二部 懇親会

司会:名古きよえ・佐古祐二

 一部に参加頂いたなかから、80名位も二部の懇親会にお集まり頂けたのは希有のことだと思います。
ベルノージャックさんの古典的シャンソンを聞いて、マリー・ルネ・ノワールさんに乾杯の音頭をとって頂きました。お二人とも日本語が堪能です。
 

 詩を書く人ばかりではなく、小説を書いているという人、朗読の人、着物の先生など(今回は国際交流を意識してか、着物姿が非常に多かったですね)沢山の方々に出逢い、親しくお話をすることができました、ありがたいことです。
 予想外の参加者の多さに、椅子が沢山持ち込まれました。テーブルの上のおつまみは、アッというまに無くなって、メッセージや歌も出て、あとは懇親の輪が広がりました。
有意義で、楽しい会でした。勿論、私もこのHPの宣伝を致しました。





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