主催 関西詩人協会 共催 京都芸術センター |
下の説明は京都芸術センターHPからの引用です 建物は、1993年(平成5年)に小学校の統廃合のため閉校となった、元明倫小学校。昭和6年に改築された元明倫小学校の歴史や建物の外観、大広間、講堂、和室などの文化財的価値に着目し、自由な芸術活動を行えるよう配慮しつつ、既存の施設をできる限り生かした改修を行いました。 芸術センターは、この都市に蓄積されてきたすぐれた伝統文化を現代に活かしつつ、美術、音楽、演劇などさまざまな分野の芸術が出会い新たなものを生みだす場として、さらにその成果を生活や技術、産業へとつなぐことでいっそう豊かな都市を再生させる場として構想され設立されました。 センターでは、さまざまな自主事業を展開します。より具体的には、(1)
ジャンルを問わない若い世代の芸術家の制作活動の支援、(2) さまざまなメディアを用いた、芸術文化に関する情報の収集と発信、(3)
アーティスト・イン・レジデンスとして受け容れる、国内外から京都を訪れる芸術家を中心にした、芸術家同志また芸術家と市民の交流の場の提供、に要約できるでしょう。こうした活動をとおして、新しい世紀の都市文化の創造拠点となることを、京都芸術センターはめざしています。 |
お世話をして下さった 薬師川虹一さん 白川淑さん 白川さんは、京都らしくお着物でした。 様子は、絽の小紋で、紺地に銀河の模様に小蝶をあしらったもの。 帯じめにも、小さな星があしらってあるそうです。 ちょっと、向こうを向いてみて下さいな。 |
森乃福郎師匠 落語:演題「抜け雀」 前振りに、京都と大阪の食べ物の違いについて。 七夕に関連して、節句についてのお話。 賢こうなりましたえ 福郎師匠のホームページはこちら |
ちょっと休憩
小さな小さな机は黒光りしていて、それぞれはコーヒーや紅茶やジュースを頂いた。 人間が多すぎて小さな机の上に三人分のお皿を並べるところもあった。それはそれで、親密感を増すものであった。私たちは給食の時の子どものように嬉々として並んだ。 |
黒板に貼られた標題『星の部屋』は杉山平一氏自らが書いて(貼り絵)こられました。 「もともと朗読は、好きではないのだが白川さんに星の詩が沢山あると言われて、その気にならされたのですが、 数えてみると30から40編ありました」と話されました。 このような形で朗読されるのは初めてということでした。 短編の詩を数編と長編(氏はミステリーとして書いたと言っておられましたが)は圧巻でした。
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詩のキャッチボール
短い詩を口頭でしゃべる
右チームと左チームとでやりとりをする
村田辰男・中井不二男組 | 原圭二・藤井雅人組 | |
薬師川さん @星が流れる夜 |
A止めどなく、どこまでも。 | B思い浮かべ、止めどなく。 |
C星の数だけ | D消えたような気がして | |
Eふとみれば | F織女の姿かまぼろしか | |
G牛に牽かれて |
このような作品ができました。
福田万里子・日野友子組 | 松岡啓子・早川玲子組 | |
薬師川 @ある夜わたしは星をつかんだ |
A掌のなかでそっと | B少し先輩だけれど私は異星人ではありません |
C織り姫と彦星は逢えたのですか | D夢の中の想いがよみがえる | |
E窓の外から | Fキラキラ星のワンピースを着ていた乙女の日頃戻りたい | |
G戻れるようにカササギをたくさん連れてきましょうね | Hカササギの橋を渡って | |
Iあなたの所まで | Jいつになったら行けることか | |
Kそんなに足踏みしないでさっさと来てよ | L私はその橋を本当に渡りたい |
このような作品ができました。
詩の闇鍋
無記名でそれぞれがとっておきの一行を書く。それを集めて並べるとちゃんと?一つの詩ができあがります。 みんな熱心に書いているところ。 |
できあがったのがこれです
星のテーマで 村田さん朗読分 ああ、光があるなら見てみたい、光があるなら与えたい。 母を思い、あるか無きかの星のまたたきを見ている、 流れ星がふところに飛び込んできた。初めての経験、胸の鼓動が高鳴る。 七夕の夜 初めて浴衣を着た 若者が 私の頭に星屑を詰める 星の言葉に幸多く 夜遅く家にたどり着いた頭上に北斗七星がまたたいている お父さんのように、 億万光年の彼方から降りそそぐ愛のきらめきを受け止めて下さい。 あの夜の流れ星、なんと美しかったことか、今もよみがえる 星は頭上(ずじょう)に充ちあふれ 夢は頭中(ずちゅう)に充ちていく、 太古より星は近くなったか、遠ざかったか。 星の橋を渡って故里を訪れる。 梶の葉に描いてみたい織姫の恋ぶみを。 |
それぞれの作品を笹の葉に飾って
また遊びましょうね